<当初ウイルスを過小評価し続けたトランプは、感染拡大が深刻化し、影響が経済に及ぶと、一転して中国を非難し始めた。米中両国が互いの知見を共有し協力しなければ、問題の解決は難しい> 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生源に関して、米国のトランプ政権は、最初の発生地となった武漢市のウイルス研究所から流出したものとの見方を強めている。ポンペイオ国務長官は、中国政府がこの研究所への米国人専門家のアクセスを拒否していることを明らかにし、トランプ大統領は武漢の研究所が発生源となった可能性についての調査を行い、中国が意図的に情報を隠していたなら「重大な結果」を招くと発言している。大統領の側近の中には、中国がウイルスの情報を隠すのは、ワクチンを真っ先に開発し、世界中に恩を売るためだと考えているものもいる。 中国科学院武漢ウイルス研究所(Wuhan Institute of Virology)は、2003年の重症急性呼吸器症候群(SARS)の感染拡大をきっかけに深まった国際保健分野での米中協力の最前線の1つである。同センターは、病原体を取り扱う上でもっとも高い基準のバイオセーフティレベル4(BSL-4)を満たす実験施設を備えており、SARSの感染拡大のような事態の再発防止のため、米国国立衛生研究所の資金提供を受けて、ハーバード大学やテキサス大学などと提携して1500種類以上の危険性が高いウイルスの研究が行われている。 現時点では同研究所が新型コロナウイルスの発生源となったという確たる証拠はなく、同研究所も中国政府もその可能性を否定している。しかし、米国第一主義を掲げるトランプ政権と、中華民族の偉大な復興を目指す習近平体制の対立と相互不信は、地政学と貿易の分野から国際保健にも急速に拡大しつつある。世界の2大経済大国である米中の対立は、現在の感染拡大を収束させる上でも、将来の新たな感染症拡大を予防する上でも、国際社会にとって重大な懸念である。 発生源をめぐる疑惑 新型コロナウイルスがコウモリに由来することは間違いないが、当初中国政府はウイルスの発生地が武漢市の海鮮市場であると主張した。しかし、この海鮮市場ではコウモリは取引されておらず、中国の研究者の中には、コウモリのウイルスが希少生物のセンザンコウを介してヒトに感染したという見方を示すものもいる。しかし、新型コロナウイルスの正確な発生源も、最初の患者(ゼロ号患者)も未だに特定されていない。 発生源が不明な中、米国内ではこれが武漢ウイルス研究所で開発された生物兵器ではないかとの憶測が一時広まった。保守系のワシントンタイムズ紙がその可能性を報じただけでなく、トム・コットン上院議員なども中国の生物兵器との見方を表明した。また、ウイルスの発生地を明確にするため、トランプ大統領は「中国ウイルス」、ポンペイオ国務長官は「武漢ウイルス」という呼称にこだわった。これに対し、中国外交部の報道官は新型コロナウイルスの発生源は米国で、米軍によってウイルスが武漢にもたらされた可能性に言及した。このような陰謀論と情報戦は、米中の根深い相互不信を反映するものであった。 ===== 一方、米情報機関は、武漢の研究機関からウイルスが意図せず漏洩された可能性に注目するようになった。米メディアによれば、2018年1月に武漢ウイルス研究所を訪問した米政府関係者が、同研究所内でのコウモリのウイルスの取り扱いに関して安全性と管理体制が不十分であることを危惧し、米政府の支援が必要だと公電で報告していた。この公電は、武漢での新型ウイルスの感染拡大後、政権内で広く回覧され、同研究所のインターンがゼロ号患者となったという見方が強まっている。トランプ政権内では、同じく武漢にある疾病対策予防センターのウイルス研究の責任者である田俊华(Tian Junhua)氏が、不注意から最初の患者になった可能性も検討されている。 武漢ウイルス研究所でコウモリ研究の責任者で「バットウーマン」の異名を持つ石正麗氏は、いち早く新型コロナウイルスの遺伝子配列情報を解析し、科学誌ネイチャーで、武漢から遠く離れた雲南省のコウモリに起因するウイルスと96パーセント類似していることを明らかにした。石氏は、米科学誌のインタビューに答えて、新型コロナウイルスが自身の所属する研究機関が保有するどのウイルスとも一致しないと述べ、漏洩の可能性を否定している。中国外交部の報道官も、その可能性を否定した。 責任転嫁から責任追及へ しかし、香港メディアによって、国家保健委員会の指示をうけて、武漢ウイルス研究所の所長が新型コロナウイルスに関する一切の情報を公開しないように部下に指示したとも伝えられている。また、武漢疾病対策予防センターの責任者に関する情報は、同センターのウェブサイトから抹消されている。SNSを通じて武漢での新型肺炎の拡大を告発した8人の市民が当局に拘束されたことも伝えられている。 このため、トランプ政権内では、中国政府が新型コロナウイルスの感染者数や死者数について情報操作を行っているだけでなく、発生源について当初海鮮市場としたのも、研究施設からのウイルスの漏洩を隠蔽するためだったのではないかとみなす向きがある。中国政府は1月初旬に新型コロナウイルスのサンプルを米国に提供したが、追加のサンプルの提供や武漢への米国人専門家の派遣を中国が拒んだことも、不信感を募らせている一因である。しかし、研究所漏洩説を裏づける確実な根拠は未だに示されていない。 米メディアによれば、米国の情報機関は早い段階から武漢での新型ウイルスの感染拡大が米国に及ぶ可能性を指摘していた。しかし、トランプ政権は、当初新型コロナウイルスの感染拡大の可能性を過小評価し、大統領選挙を控えて感染症対策よりも経済を重視する姿勢を維持した。 ===== そもそも、トランプ政権は国際保健への取組を軽視して、疾病対策予防センタ−の予算を削減するだけでなく、オバマ政権が編成した国家安全保障会議のパンデミック対策チームを解体し、2005年から続いてきた中国の疾病対策管理センターへの米国人専門家の派遣も見送っていた。1月21日にワシントン州で最初の新型コロナウイルス感染者が確認された後も、米中が合意したばかりの貿易協定の履行を確実にするため、トランプ大統領は中国がウイルスに関する情報を十分提供していないことを批判せず、むしろ習近平国家主席の対応を賞賛した。 だが、政権内では、対中強硬派のナバロ大統領補佐官や、ジャーナリストとして中国のSARS対応を取材した経験のあるポッティンジャー大統領副補佐官が、新型コロナウイルスの危険性について警鐘を鳴らし、中国の情報操作を批判しつつ、大胆な感染症対策を取ることを大統領に進言していた。そして、1月30日に世界保健機関(WHO)が公衆衛生上の緊急事態を宣言し、米国内でヒトからヒトへの感染が確認されると、トランプ大統領はその翌日に中国からの入国規制を発表することに同意した。この入国規制の発表は事前の調整もなかったため、中国側を激怒させた。 「初動の遅れは中国のせい」 その後も米国内で新型コロナウイルスの感染が拡大したが、トランプ大統領は春になれば収束するとの楽観的な見通しを示し続けた。2月25日に、政権の感染症専門家が出した感染拡大に関する警告を受けて株価が急落すると、トランプ大統領は激怒し、ペンス副大統領を中心とする対策チームを発足させて市場を不安にさせる発言が政権内から出ないようにした。ムニューシン財務長官やクシュナー大統領上級顧問も感染症対策が経済に及ぼす悪影響を懸念し、ペンス副大統領は対中批判が中国からの医療器具などの調達を阻害することを恐れていた。 2月26日の時点で米国内の感染者数は15人であったが、3月16日には4226人に拡大した。トランプ大統領もようやく重い腰を上げ、欧州からの入国禁止を発表し、国家非常事態を宣言した。株価は低迷し、医療用の防護服やマスク、人工呼吸器などの不足が指摘される中、トランプ政権はコロナウイルスへの初期対応の遅れが批判された。都市のロックダウンによって経済活動が停滞するようになると、トランプ政権の経済チームは経済対策に負われ、対中強硬派が中国による情報の隠蔽を公に批判するようになった。政権の初動の遅れを中国に責任転嫁したのである。 ===== こうして、米中は既述のようにウイルスの呼称や発生源に関して非難の応酬を始めた。3月27日にトランプ大統領と習近平主席が電話会談を行い、両国は協力を拡大することで一致 した。これをうけて、クシュナー大統領上級顧問が中国側と交渉し、防護服やマスクなどが中国から米国に届くようになった。一時休戦である。 しかし、休戦は長続きしなかった。ニューヨークを中心に米国内の感染は想定以上のペースで拡大し、大統領選挙への悪影響が懸念されるようになると、トランプ政権は中国の責任を追及するようになった。これが、中国の研究所が発生源となった可能性が公に指摘されるようになった背景である。 この流れの中で、WHOは中国共産党の共犯とされた。WHOのテドロス事務局長は「中国寄り」とされ、中国の情報をそのまま受け入れ、ヒトからヒトへの感染の可能性も否定した。WHOによる緊急事態やパンデミックの宣言も、中国国内の事情に配慮したタイミングで行ったと批判された。こうして、トランプ大統領は4月14日に、WHOへの拠出金の提供を当面の間停止すると発表することになった。 失われた機会 繰り返しになるが、現時点では武漢ウイルス研究所がCOVID-19の発生源になったという確たる証拠はない。しかし、パンデミックの最中に米中の感染症対策の最前線が発生源であることが疑われ、両国の対立が深まったことは、1970年代以降の米中関係における最大の皮肉である。トランプ政権としては、11月の大統領選をにらみ、中国共産党の責任を追及する姿勢を維持し、WHOのテドロス事務局長の辞任を求めていくであろう。米国内では、米政府が武漢ウイルス研究所に資金を提供してきたことが批判されるようになっている。また、フロリダ州などでは、住民が中国共産党を提訴し、新型コロナウイルスの感染拡大の責任を問う動きも始まるなど、対中批判は草の根レベルにまで拡大している。トランプ政権による中国の責任追及は、米国内のアジア系差別の助長にもつながっている。 2003年のSARSの感染拡大をうけて、米中は感染症対策での協力を拡大させてきた。世界各国の指導者が中国政府のSARSへの対処を批判する中、ブッシュ大統領は胡錦濤主席の対応を評価し、米中の保健当局間の連携が進んだ。米国の疾病対策管理センターの専門家が北京の米国大使館に常駐するようになり、中国はWHOの専門家を受け入れ、治療薬とワクチンの開発に取り組んだ。2005年には米国疾病対策予防センターが中国に出先のオフィスを持つようになった。2008年の新型インフルエンザ(H1N1)が蔓延した際には、中国が米国への支援を表明し、中国の研究チームがワクチンを開発した。2014年にエボラ出血熱の感染が拡大した時も、両国は協力関係を維持し、アフリカでの対策を調整しながら行った。 ===== このように、米国政府は超党派で中国との国際保健分野での協力を拡大してきた。もちろん、中国共産党の一党独裁という制度のため、中国との協力を行う上で情報の透明性は常に付きまとう問題である。特に、習近平体制は国内の監視体制と情報統制を強化してきたため、感染症問題に関して透明性を期待することはより困難である。新型コロナウイルスに関する誤った情報を中国政府が拡散することにも、毅然と対処する必要がある。一方で、パンデミックに関して中国の責任を追及することは、中国からの情報提供をますます難しいものとするだけである。中国の責任を追及するのではなく、中国とともに実態を解明し、今後の対策につなげていく努力が何よりも求められているのである。 しかし、トランプ政権は、米国第一主義の立場から中国と地政学、技術、貿易での対立を追求する一方、感染症対策に関する中国との協力を軽視し、疾病対策予防センターの中国オフィスを空白にしてきた。中国が近隣諸国の主権を脅かし、技術を通じて権威主義的な秩序の拡大を目指していることや、貿易において不公平な慣行を続けて行くことは批判するべきである。だが、トランプ政権は感染症対策や地球温暖化対策など、協力すべき分野での関与も縮小してきた。その結果、たとえば、米中の貿易戦争は、中国から米国への医療用品の流通を阻害することにもなった。もしトランプ政権が歴代政権の築いてきた中国との感染症対策における協力体制を維持することに注力していたならば、その後のグローバルな感染拡大の流れを大きく変えることができたかもしれない。 新型コロナウイルスのパンデミックを収束させるとともに、将来の感染症の発生に有効に対処するためには、米中の協力が不可欠である。両国が過去20年にわたって深めてきた協力関係に戻り、WHOや国連を通じたグローバルな対応が取れるように、日本を含めた国際社会は働きかけを強化する必要がある。 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年4月28日号(4月21日発売)は「日本に迫る医療崩壊」特集。コロナ禍の欧州で起きた医療システムの崩壊を、感染者数の急増する日本が避ける方法は? ほか「ポスト・コロナの世界経済はこうなる」など新型コロナ関連記事も多数掲載。