<人を「コスト」でなく「財」としてみる。そんな日本の姿勢がかつて世界を魅了した意味を、多くの外国人労働者を受け入れる今こそ考えたい。本誌「ポストコロナを生き抜く 日本への提言」特集より> 日本の将来を左右する「出入国管理及び難民認定法の改正案」が2018年12月に可決・成立した。国家の長年の方針を大どんでん返しする法案であるにもかかわらず、国会において熟議されることなく、与党の数の論理で押し込まれた印象は否めない。国民が消化不良のまま迎えた「移民開国元年」の昨年を経て、世界中がコロナ禍真っただ中の今年4月、改正法は満1歳の誕生日を迎えた。 後に「あの時が日本にとって大事な局面だった」と振り返るであろう、歴史的な1ページを私たちは生きているに違いない。そしてこれは、かつて輝いていた日本的経営の「復活」にも大いに関わる話だと思う。 30年ほど前にも、日本はまとまった数の外国人労働者を受け入れた。それは日本人の慎重な国民性が表面化した瞬間でもあった。どうしても受け入れるなら、どこの馬の骨か分からないのでは困ると、かつて幸せを求めて祖国を離れ、海を渡った日本人の子孫に対象を限定した。血統主義を頼りに同質性に期待を寄せられ、迎え入れられた日系人だが、血の濃さより育った文化が勝っていたため、住み働くようになった企業城下町を中心に、受け入れ側も日系人労働者たちも狐につままれたような気持ちを味わうことになった。 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と叫ばれた1980年代の日本はまぶしかった。当時、国内にとどまらず、世界に華やかに羽ばたいた日本経済のパワーに魅せられ、日系ではない私のような人間も大勢この国にやって来た。そして何よりもこの国を世界のトップに牽引したエンジンは、人を大切にする「日本的経営」であると知り、世界中が稲妻に打たれたかのような衝撃を受けた。労使対立が固定化し、性悪説に立った両者間の人間不信と緊張関係を基とするトップダウンの企業文化が主流だった時代に、その真逆ともいえる画一的で、労使協調型の「日本的経営」はやはり驚きでしかなかった。 日本的経営の海外移転の可能性も大きなテーマとなった。画一的な日本的経営が各国で導入されたときは予想どおり、威厳を失うことを嫌った現地のホワイトカラーが露骨に反発した。だが、それまで階層制の中で虐げられてきた、組織の大多数を占める一般工員からは人気を博した。 家族のような企業慣行に驚く 私の母国スリランカなど英国式が根付いている国々の企業文化にはステータス・ギャップという概念があり、例えば社内で使用するトイレや食堂は管理職、事務職と工員とで分かれている。そのような階層性の強い文化圏に、職位などを気にせず同じユニフォームを着用し、始業時はみんなでラジオ体操をし、仲間意識を持って助け合って仕事をこなし、仕事が終われば上司と部下が仲良く飲みに行く、まるで家族のような日本的慣行は大きなショックを与えた。 ===== 私は、論文作成のためにいくつかの国の日系企業をリサーチしたことがある。品質管理のための自発的グループ活動であるQCサークルや5S(整理、整頓、清掃、清潔、しつけ)などの慣行が日系企業に限らず、非日系企業さらには学校などでも取り入れられ、「日本的経営」は世界の老若男女の合言葉となった。もとは「特殊で劣っている」と世界からレッテルを貼られていた経営方式が、1980年代頃から手のひらを返したように「普遍的で優れている」と称賛されるようになり、日本は長年の鬱憤を晴らした格好だった。 だが、あれから四半世紀を経て日本的経営のイメージは随分と変わった。ブラック企業、過労死、非正規雇用、ワーキングプア、パワハラ、従業員軽視など不評ばかりが聞こえてくる。私など「人を大切にする経営」に心酔して高校時代に来日し、一貫してそのテーマで学び続けて博士号を取得してその余韻のまま日本国籍を選んだ者にとって、今の状況はそれこそ本当に狐につままれたような気分だ。 今年に入ってからの突然のコロナショックがいずれ落ち着いてくると、日本企業では外国人労働者と共に働く体制が本格化するに違いない。ただ、経済が膨張するなかで人手不足を補うために日系人を受け入れた30年前と、日本経済が縮小しアジア諸国の経済が上向いているなかでの外国人労働者の受け入れは、同じようにはいかない。外国人労働者は日本の経営、さらには日本社会全体を映し出す鏡となる。右肩上がりの経済成長期でなくとも、人を大切にする日本的経営は永遠に不滅であるということを国内外に証明していく必要があろう。 多様性と包摂をキーワードに かつて海外に生産拠点を置く日系企業の現地化のための、人材育成の一環として重宝された「技能実習制度」。それが今となっては低賃金労働力確保の変則技として日本社会に定着している点一つ見ても、楽観視はできない。実習生の過労死や自殺者を出すなど非人間的な制度運用が明るみになって「現代の奴隷制度」と悪評を浴びせられ、状況を無視できなくなった結果、登場したのが外国人を正面玄関から迎え入れるための入管法改正である。 それなのに、日本人労働者と同等の処遇をうたう特定技能1号と2号を盛り込んだ法律の施行から1年たっても、受け入れ目標は思うように達成できていない。原因は2つあり、具体的な体制が整わないまま法律が先走りしたことと、特に賃金において日本人と同等の条件で受け入れができる企業は限られるということだ。 ===== ここは、いま一度立ち止まって考える時である。日本が外国人労働者を必要としているのは、陳腐化し消耗戦に突入した今までのシステムを生き永らえさせるためだけではないのか。いつの間にか人を「コスト」として見るようになっている原因はまさにそこにあるのではないか。人を「財」として向き合う日本的経営を取り戻すには、まずは経済成長を伴う産業構造の根本的な改革が必要ではないだろうか。 そのためにはもう1点、大切なことがある。30年前に若い日本人男子の同質性を力にジャパン・アズ・ナンバーワンと称賛された日本だが、再びよみがえるときの大きなキーワードとなるのは多様性(ダイバーシティ)と包摂(インクルージョン)であることは間違いない。 日本的経営が世界から称賛されるところを、生きているうちにもう一度見てみたいと願う日本ファンは、言わずもがな私だけではない。 <2020年5月5日/12日号「ポストコロナを生き抜く 日本への提言」特集より> 【参考記事】コロナ禍を機に観光業を「解毒」せよ(アレックス・カー) 【参考記事】ロバート キャンベル「きれいな組織図と『安定』の揺らぎ」 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年5月5日/12日号(4月28日発売)は「ポストコロナを生き抜く 日本への提言」特集。パックン、ロバート キャンベル、アレックス・カー、リチャード・クー、フローラン・ダバディら14人の外国人識者が示す、コロナ禍で見えてきた日本の長所と短所、進むべき道。