<病気の姉を罵り、止めに入った母親に暴力を振るうひきこもり女性の言い分。だが中高年ひきこもり問題は、ただこうした人たちを否定するだけで済むような問題ではない> 2019年5月に起きた「川崎市登戸・無差別殺傷事件」、そして翌月の「練馬区・元農水事務次官による長男殺害事件」がきっかけとなって、「8050問題」に注目が集まるようになった。 「8050問題」とは何か、『8050問題――中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』(黒川祥子・著、集英社)の著者は次のように解説している。 文字通り、80代の親が50代のひきこもりの子を抱えている家庭、そしてそこから派生する問題を指す言葉だ(同じ趣旨で、70代の親が40代のひきこもりの子を抱える家庭を指す「7040問題」という言葉もある)。1990年代後半から顕在化してきた若者のひきこもり問題が、解決せぬまま長期化、当事者が中高年に達し、高齢の親の問題と併せて、今、深刻な社会問題として浮上してきている。(「はじめに」より) 2019年3月29日に内閣府が発表した調査結果によると、自宅に半年以上閉じこもり、外出時にも社会との接点を持たない40歳から64歳までの「中高年引きこもり」は推計で約61万3000人いるという。 7割以上が男性で、ひきこもり期間7年以上の者が約半数。注目すべきはその人数だけではなく、15歳から39歳までの「若者」のひきこもりの推計人数54万1000人を、40代以上が上回ったことだ。 かつて、ひきこもりについては少なからず「若者の問題」と思われているふしがあったのではないだろうか。ところが、彼らのひきこもり状態はいつしか長期化し、当事者の高齢化と相まって社会に衝撃を与えることになったわけである。 実は(日常的な交流こそないとはいえ)、私の決して遠くはない距離にも、親のもとでひきこもりを続けている中高年がいる。本音を言えば、言い訳を綴った手紙やメールを送りつけてくるその人に、言いようのない不快感を抱いたことも過去にはあった。それは認めざるを得ない。 だが本書を読むと、中高年ひきこもり問題は、ただ彼らを否定するだけで済むような問題ではないことが分かる。 重要なポイントは、著者がここで「8050問題」を"家族"という視点から考えようとしていることである。多くの当事者たちと出会うなか、「ひきこもりというものは家族のあり方と切っても切れない問題だ」と考えるに至ったというのだ。 当然ながら、そのあり方は家族ごとに千差万別だろう。事実、ここに出てくる7つの家族のケースは、それぞれ事情や関係性が異なっている。しかし同時に、「8050問題をめぐる家族の事情」という意味において共通しているとも言える。 「私と父とは考えも価値観も全く違うのに、私は一方的に父の考えを押しつけられてきたんです。本当はピアノを教えて働くことができるのに。私の20年を返してほしい」(18ページより) 冒頭に登場する千秋(仮名)という女性は、そう主張する。53歳になるまでの20数年間、社会と一切接することなく、自宅で一人、ひきこもって暮らしてきたという。ところがいつも上質なブラウスにフェミニンなスカートといった装いで、一人でひきこもっているとは思えないルックス。そして話をしてみれば、奇妙な"ズレ"に気づくことになるそうだ。 ===== 父親は1932(昭和7)年生まれの87歳、母親は1926(大正15)年生まれの93歳。千秋は次女であり、上に長男と長女がいる。仕事に就き、家庭を持っているのは長男だけで、長女は20歳を過ぎた頃にうつ病を発症。20代半ばで一度は結婚したものの病気が原因で離婚し、以降、自宅で闘病生活を続ける。 現在、姉だけが両親と同居し、千秋は単身で暮らしている。 なぜ、家族が分離することになったのか。その原因は千秋による家庭内暴力にあった。まず、母と姉が耐えかねてアパートに移ったのが、13年前のこと。千秋と同居を続けていた父・信二も、9年前には千秋との生活に悲鳴をあげ、家を脱出。今は父、母、長女の3人でアパートを借りて暮らしている。 一人、実家に残った千秋は父に月5万円の仕送りを要求し、ひきこもりを続けている。(16ページより) "強すぎる父"に考え方を一方的に押しつけられているという不満を持ち続け、うつ病の姉が寝たり起きたりの生活をしていることが許せず、一晩中、姉を罵り、止めに入った母親に暴力を振るう――。 その頃、信二は定年を過ぎ、再就職。職場の近くに借りたアパートに単身で住んでいたが、そこに千秋を呼び寄せて2人で暮らすことにした。「女房と長女を千秋から分離させないと、2人が参ってしまう」という思いがあったからだ。 当時の千秋は1人の生徒にだけピアノを教えていて、収入は毎月の月謝、8000円のみ。したがって、信二の収入で養っていたそうだ。 75歳になった信二は再就職先の仕事を辞めて自宅に戻り、千秋を自立させることにした。信二は千秋に、「生徒を集めて、独立するように」と迫った。ここまでなら、まったく理解できないわけではない。しかし、単純に千秋だけが悪いと言い切れないことが、これに続く親の行動から分かる。 「女房も喜んで、千秋の一人暮らしのために、白物家電を100万円分ぐらい買い揃えました。なのに、千秋は『嫌だ』と実家に戻ってきたのです。買い与えたものは全部、無駄になりました」(22ページより) もちろんこれ以外にもさまざまな事情が絡んでいるので、この部分だけで全てを判断するべきではない。しかしそれでも、甘過ぎる親とわがままな娘の双方が、共にアンバランスな状態のまま問題を複雑化させていることは分かる。 これまで中高年のひきこもりは、社会から「見えない」ものになっていたと著者は指摘している。その理由としては、それまでのひきこもり支援が39歳までを対象にしてきたこと、ケアマネージャーやヘルパーなど「見えていた」人もいたものの、支援をしていく制度や仕組みがなかったことなどがあるという。 ===== しかし何よりも、彼らを「見えない」存在にしてきたのは、実の親だ。家にひきこもりがいるのは「恥だ」と考える根強い文化に基づき、親がその存在を社会からひた隠しにし、「見えない」存在にしてきたことが、ひきこもりを長期化させ、中高年ひきこもりという存在を作った最大の要因であることは間違いない。(226ページより) 確かに、元農水事務次官が40代ひきこもりの息子を殺した事件も、息子の存在をひた隠しにしてきた結果として起きたものだった。そうやって多くの親がひきこもりの子の存在を隠し続けた結果、「8050問題」に至ったということである。 モーレツ社員で出世の階段を駆け上った親世代が押しつける「昭和的成功」の価値観から、どんどん外れざるを得ない子どもたち。期待に応えようともがき続け、ぽきっと折れてしまったケースのなんと多いことか。どうしようもなくなり、家にひきこもった結果、何かを始めるエネルギーはあっという間に枯渇し、SOSを出す気力もなくなってしまう。そのまま誰からもどこからもアプローチしてもらうことなく、中高年になってもひきこもり状態が終わらない。これが「8050問題」の内実なのだ。(226〜227ページより) だからこそ著者は、ひきこもりの子どもを抱える親は外部(地元の自治体が運営する「ひきこもり支援センター」など)に向けてSOSを出してほしいと訴える。 そしてもうひとつ重要なのは、地域に中高年ひきこもりのための「居場所」をつくる必要性だと言う。いきなり就労という高いハードルを課すのではなく、まずは家から出て、日中、過ごせる場所をつくるということだ。 もしかしたら、「そこまでする必要があるのか」と感じる読者もいるかもしれない。しかし我々は、中高年ひきこもりの存在を意識し、「そこからどうするべきか」を考える段階に来ているのだ。本書は、そんなことを痛感させてくれる。 『8050問題―― 中高年ひきこもり、7つの家族の再生物語』 黒川祥子 著 集英社 (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) 【参考記事】「女性のひきこもり」の深刻さと、努力しない人もいる現実 【参考記事】毒親を介護する50歳男性「正直死んでくれとも思うんです」 [筆者] 印南敦史 1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)をはじめ、ベストセラーとなった『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(ダイヤモンド社)、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年5月19日号(5月12日発売)は「リモートワークの理想と現実」特集。快適性・安全性・効率性を高める方法は? 新型コロナで実現した「理想の働き方」はこのまま一気に普及するのか? 在宅勤務「先進国」アメリカからの最新報告。