<新型コロナ禍をいち早く克服して積極外交に打って出たが、あからさまなゴリ押しと欠陥品のせいで、かえって中国離れが進む。本誌「中国マスク外交」特集より> 新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)は、世界を根底から変えるだろう──。そんなことが、今や常識のように言われている。だが、コロナ後の世界秩序がどのようなものになるかについては、大きな議論がある。 このうち現在有力になりつつあるのが、世界における中国の台頭が加速する、という説だ。 これは一見したところ説得力がある。中国は当初こそ、事実隠蔽や情報統制などのミスを犯したが、一党独裁体制ならではの過激な対策により、ひとまず感染拡大を封じ込めた。公式発表が事実だとすれば、中国で確認された新型コロナの感染者と死者は、アメリカの約25分の1だ。 さらに、中国はマスクや医療用ガウンといったPPE(個人用防護具)の世界一のサプライヤーとして、いわゆる「マスク外交」を展開してきた。世界の非常時に乗じて、自らの地政学的影響力を拡大しようとしてきたのだ。 経済面でも中国は、欧米諸国よりずっと早く新型コロナのダメージから立ち直りつつあるようだ。2020年1〜3月期のGDPこそ前年同期比6.8%減となったが、成長は加速しており、4月の鉱工業生産は前年同月比3.9%の伸びを見せた。 政治面では、中国共産党と習近平総書記(国家主席)は、これまで以上に中国のパワーを誇示する方針を取るようになった。5月末には、高度な自治が認められているはずの香港で、中国の統制強化を可能にする国家安全法の導入を決定。根強い民主化運動の息の根を止めようとしている。 軍もおとなしくしていなかった。中国軍のジェット戦闘機は台湾海峡の中間線を繰り返し越えて台湾の領空に侵入し、南シナ海では中国海警局がベトナムとフィリピンの漁船を追い回した。さらに中印国境では、中国軍とインド軍が小競り合いを起こしている。 新型コロナ危機は、08年の世界金融危機のように、欧米諸国の相対的衰退を加速させ、超大国・中国の地位を強化するのか。 実際、中国はWHO(世界保健機関)に20億ドルの拠出を約束して、WHOからの脱退を表明したアメリカの後がまに座ろうとしている。さらに、巨大市場へのアクセスを武器に、新型コロナで経済が打撃を受けた国への支配力を強めるかもしれない。 こうした懸念は、安易に切り捨てることはできない。だが、中国自身が直面している地政学的な問題や経済不振、そして国内に抱える火種を冷静に分析すると、今回の危機は中国の台頭を加速するどころか、衰退を促す可能性のほうがずっと高い。 マスク外交も、実は中国の脆弱性の表れだ。新型コロナが世界で猛威を振るい始め、中国に対する批判が高まると、中国政府は心配になった。国際社会における中国の評判が悪化するだけでなく、外国から賠償を求められるのではないか、と。そのダメージコントロールとして考案されたのが、マスク外交だ。つまりマスク外交は、世界に中国の影響力を広げるための積極的な措置ではなく、国威を守る防衛措置だったのだ。 ===== トランプは自身への批判をそらすため「中国たたき」に精を出す TOM BRENNERーREUTERS だが、習と側近の思惑は大きく外れた。中国がどんなに取り繕っても、武漢での初期の事実隠蔽と情報統制が、その後の感染拡大の大きな一因となったことを、世界中の人は事実として知っているからだ。 善意のマスクは不良品だらけ マスク外交が失敗した原因は、ほかにもある。例えば、中国にはまともな品質管理システムがないため、世界各国に輸出したマスクや検査キットの多くは、適切な基準を満たしていない欠陥品だった。また、中国の外交官たちは、世界各地で中国政府のあからさまなプロパガンダを売り込もうとして、かえって容赦ない批判を浴びることになった。 EUのジョセップ・ボレル外交安全保障上級代表(外相)は、中国のマスク外交を「影響力拡大といった地政学的野心」を隠すための策略だと非難した。イギリスでは、ドミニク・ラーブ外相ら有力政治家が、武漢での感染拡大初期の情報統制を理由に、中国と「これまでどおりの関係」には戻れないと断言した。 中国がどんなに必死になっても、新型コロナ危機が中国の影響力に与えるダメージを封じ込めることはできないだろう。それどころか、今回の危機はアメリカと中国の冷戦を大幅に加速させた。 中国当局が1月初旬に、武漢で新型肺炎が増えている情報を隠蔽したという報道は、アメリカの民主・共和両党を激怒させ、説明責任と補償を求める声を噴出させた。一方、ドナルド・トランプ米大統領は、自らのお粗末な新型コロナ対策から国民の目をそらすために、中国に対して一連の制裁措置を取り始めた。 米商務省は5月、中国の通信機器大手の華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)に対し、アメリカの製造装置で造られた半導体チップの使用を事実上禁止する新規則を発表し、ファーウェイの事業継続をほぼ不可能にした。アメリカの技術の輸出が禁止される商務省の「エンティティー・リスト」には、ファーウェイ以外にも30以上の中国企業(または組織)が含まれている。 5月末に香港国家安全法の導入が決まると、米中間の溝は一段と広がった。トランプは、アメリカが香港に認めてきた関税や渡航面での優遇措置を廃止すると発表した。 新型コロナを機に中国に背を向け始めたのは、アメリカだけではない。多くのヨーロッパ諸国が中国との関係を見直している。イギリスは短い移行期間を設けた上で、次世代通信規格5Gの環境整備事業からファーウェイ製品を排除することを検討中とされる。 世界の工場の終わりの始まり フランス政府は、在仏中国大使館が「フランスの高齢者介護施設では職員が職場放棄し、老人たちが適切な介護も食事も与えられずに死んでいる」というデマを流したとして、中国大使を呼び出して正式に抗議した。これまで中国批判を控えてきたドイツでも、中国市場への過剰依存を見直す機運が高まっている。 EUとしても、香港情勢を受け、中国の人権侵害に対してもっと厳しい態度を取るべきだという域内からの突き上げが激しくなるだろう。 ===== マスク姿で求人票を見つめる青島の市民たち(4月8日) CHINA DAILYーREUTERS 中国の地政学的環境は、今後数年間に3つの方面でさらに悪化しそうだ。アジア域内では南シナ海での強引な振る舞いと、インドとオーストラリアに対する強硬姿勢(新型コロナウイルス発生当初の中国の対応に関する独立調査を求めるオーストラリアに罰を与えようとしている)が、関係諸国をアメリカの反中陣営に傾斜させるだろう。 米中の緊張が高まれば、両国間の経済的切り離しが加速し、軍拡競争が激化する。欧州主要国との関係も、中国国内の人権問題のせいで冷え込む公算が大きい。 加えてコロナウイルスのパンデミックにより、中国は大きな経済的打撃を受けるだろう。グローバルなサプライチェーンへの影響は明らかだ。多国籍企業は危機への耐性を上げるため、サプライチェーンを縮小せざるを得ない。現在は世界の製造業の多くが中国に集中しているため、サプライチェーンの再編は必然的に「中国外し」につながる。 既に米中貿易戦争の影響で、サプライチェーンの東南アジア移転が始まっている。パンデミックに対応したサプライチェーンのさらなる再編は、アメリカ以外の市場向けに製品を生産する企業も含むため、より大規模なものになる可能性がある。 輸出は中国のGDPの18.7%を占める(2019年)。サプライチェーン移転はかなりの規模の雇用喪失につながるはずだ。輸出の58.4%を占める電気製品、電子機器、機械類といった業種の雇用は、特に大きな打撃を受けそうだ。 中国政府は明らかに外資の大量流出を懸念している。中央政治会議は4月半ばに包括的なマクロ政策を発表。「6つの維持」と題された経済優先事項の5番目は「サプライチェーンの安定維持」だった。 中国指導部にとって、現時点での最大の懸念は欧米における中国製品への需要喪失だ。パンデミックの初期段階では、当局の厳格なロックダウン(都市封鎖)で経済活動が停止した。3月に中国は経済活動を再開させたが、今度はパンデミックが欧米を直撃。中国製品に対する需要が激減した。 外需の落ち込みは経済ファンダメンタルズの悪化を招く。今のところ、中国経済回復の足取りは弱々しい。4月の鉱工業生産は前年同月比で3.9%増加したが、小売売上高は7.5%減少した。原因の1つは、明らかに厳格な「社会的距離」戦略の維持と長引く感染への不安だ。 だが、中国政府の消極的な財政政策が短期間での景気回復を阻んでいる側面もある。パンデミックに対応して赤字覚悟の積極的な財政政策を展開した欧米諸国と異なり、今回の中国はいつになく慎重だ。 IMFの試算によると、5月半ばの時点で経済活性化のための財政支出は3660億ドルと、GDPの2.5%にとどまっている(アメリカの財政支出はGDPの10%超)。 中国政府が慎重姿勢を崩さない最大の理由は「弾不足」だ。中国は08年の世界金融危機後、借り入れを原資とする投資で成長を維持しようとしたため、債務が膨れ上がった。非金融部門の債務総額はGDPの245~317%と推定されている。 ===== 香港の治安警察に囲まれる民主派デモの参加者(5月27日) TYRONE SIUーREUTERS やる気はあっても力不足 19年末の政府債務はGDPの40%未満だと当局は主張するが、IMFの推計では80%を超えている。中所得国としてはかなりの高水準だ。 家計消費に成長を頼ることも困難になるだろう。パンデミックで失われた雇用は7000万人以上。今年は中国の大卒者870万人の相当部分が就職できそうにない。 家計も高水準の負債を抱えているため、消費の回復も期待できない。ここ数年、中国の消費者も政府と同様に多額の借金を積み上げ、現在の家計負債はGDPの56%に膨れ上がっている。クレジットカードの融資総額はアメリカを上回る。 以上のような経済的苦境を考えれば、中国経済が早期にコロナ以前の力強さを取り戻すことは難しそうだ。経済が停滞すれば、共産党は中流層の支持を失う危険性がある。中国の中流層は数十年間の繁栄を享受してきた後、初めて生活水準の低下を経験する可能性が高い。 社会不安が高まりかねない状況を受けて、習はこれまで以上に強権的な権力維持策を取らざるを得ないはずだ。新型コロナの感染拡大後、習は権威を高めるため、汚職との戦いを口実に党内で新たな粛清を断行している。4月以降、公安省の副大臣を含む4人の高官が身柄を拘束された。 共産党は同時に弾圧の強化にも乗り出した。これまでに著名な不動産王など、習近平に批判的な大物が次々に拘束されている。香港への国家安全法導入は、どんな犠牲を払ってでも反対派をつぶすという共産党の決意を改めて示すものだ。 経済の低迷が政権の正当性を傷つけかねない事態に直面した共産党は、ナショナリズムのアピールに力を入れている。短期的には、この戦術は奏功しているようだ。 アメリカの経済・外交両面での対中攻勢は中国の力を弱めたかもしれないが、同時にアメリカはあらゆる手段を使って中国の封じ込めを図っているという共産党のプロパガンダに説得力を与える結果になった。習近平の強権的な統治とナショナリズムに頼る戦略は一定期間、習の権力と共産党の一党支配の維持に成功する公算が大きい。 だが、国家統制型の経済政策と米中冷戦は徐々に経済の停滞を招くはずだ。そのため中国当局の最優先課題は対外的な拡張ではなく、体制の存続になる可能性が高い。 中国政府がもっぱら国民の歓心を買うため、近隣諸国、特に台湾に対して居丈高な姿勢を維持することは間違いない。それでもアメリカとの直接的な軍事衝突という悪夢の可能性は、ほぼ確実に中国の行動を抑制するはずだ。従って中国の威嚇を本気と受け取るべきではない。 結局のところ、エスカレートする米中冷戦、厳しい地政学的環境、国内の経済ファンダメンタルズ悪化という複合的な圧力が、中国の対外的な影響力拡大に歯止めをかけるはずだ。新型コロナのパンデミックは中国政府にとって絶好のチャンスになるかもしれないが、その野心を後押しする富や人的・物質的資源の余力は乏しい。 たとえ中国政府にその気があったとしても、実行する力はない。 <本誌2020年6月30日号「中国マスク外交」特集より> 【話題の記事】 ・傲慢な中国は世界の嫌われ者 ・「中国はアメリカに勝てない」ジョセフ・ナイ教授が警告 ・日本が中国と「経済的距離」を取るのに、今が最適なタイミングである理由 ・木に吊るされた黒人男性の遺体、4件目──苦しい自殺説 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年6月30日号(6月23日発売)は「中国マスク外交」特集。アメリカの隙を突いて世界で影響力を拡大。コロナ危機で焼け太りする中国の勝算と誤算は? 世界秩序の転換点になるのか?