<悲惨な内戦の終結から半世紀を経た今も、独立を望むイボ人と抑圧する政府の構図は変わらない> 若い人が知らないのも無理はない。50年前のことだし、あれからも世界中で数え切れないほどの紛争や内戦があったのだから。 1970年の1月15日、ナイジェリア(今やアフリカの大国だ)の内戦が、少なくとも形式上は終わった。南東部のイボ人が1967年に「ビアフラ共和国」の分離独立を宣言したことに始まる凄惨な争いだったが、負けたのはビアフラ側。ほぼ3年にわたる内戦と飢餓の犠牲者は200万~300万人とされるが、その大半はビアフラ側の女性と子供だ。 その後、石油輸出でナイジェリアは潤い、キリスト教徒が多いイボ人の再統合も順調に進んだように見える。しかし半世紀たった今、再びビアフラ独立の機運が高まっている。 今年5月30日には分離独立派の人たちが幻の独立宣言の記念日を祝った。53年前のこの日、33歳の若さでビアフラ独立を宣言したオドメグ・オジュク中佐は、英オックスフォード大学で歴史を学んだ男だった。 新型コロナウイルスのせいで集会は開けなかったが、多くの人がオンラインで半世紀前の記憶をシェアした。そして今も独立の夢を追い続ける民族組織IPOB(ビアフラ先住民族)への賛同の声があふれた。 IPOBなどの分離独立派は5年ほど前から国内各地で平和的な抗議行動を組織し、民族自決を訴えてきた。IPOBの指導者ンナムディ・カヌは亡命先のイギリスから、一貫して平和的な住民投票による分離独立の実現を掲げている。しかしナイジェリア政府はこれを拒絶し、しばしば暴力で抑え付けてきた。 カヌはロンドンでオンライン放送局「ラジオビアフラ」を立ち上げ、その主張を内外の支持者に伝えていた。だが祖国へ舞い戻った後の2015年10月、ナイジェリアの治安部隊により、反逆罪と国家の分裂を画策した容疑で逮捕された。 これで一気に政治的緊張が高まった。各地で連日のように支持者が街頭に繰り出し、何千人もがビアフラの旗を掲げ、ビアフラの歌を歌って行進し、カヌの無条件釈放を求めた。 治安部隊が活動家を殺害 それはおおむね平和的なデモだったが、治安部隊は過剰に反応。実力行使と法を無視した殺害が繰り返された。翌2016年には国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが、ナイジェリアの治安部隊は「超法規的処刑と暴力による冷酷な作戦を展開し、同国南東部で少なくとも150人の平和的なビアフラ独立派活動家を殺害した」と非難している。 【関連記事】「物語はイズムを超える」翻訳家・くぼたのぞみと読み解くアフリカ文学の旗手・アディーチェ 【関連記事】殺人を強いられた元少女兵たちの消えない烙印 ===== 海外でも、カヌの支持者たちは欧米各国のナイジェリア大使館や領事館の前で抗議行動を繰り広げた。カヌは裁判なしで18カ月以上も勾留された揚げ句、2017年4月に厳しい行動制限付きの条件の下で釈放された。しかし抗議行動が収まることはなく、南東部の分離独立を求める声は大きくなるばかりだった。 それでもムハンマド・ブハリ大統領(北部に多いフラニ人の出身でイスラム教徒)の率いる中央政府は住民投票の実施を断固として退け、国家の統一は「交渉の余地なき」大前提であるとし、分離主義者の要求には絶対に屈しないと宣言した。 同年8月、さらに苛酷な運命がビアフラ独立派に降り掛かった。政府軍が「パイソンダンス作戦」と称する掃討戦を開始。活動家の拠点を襲撃し、複数の活動家が殺害される事態となった。南東部ウムアヒアにあるカヌの自宅も治安部隊に襲撃された。IPOBによれば、それは「カヌの暗殺を目的とする計画的な試み」だった。しかしカヌは支援者の手で救出され、2018年10月にイスラエルに姿を現した後、直ちにイギリスへ戻っている。 一方、IPOBは2017年9月に非合法化され、テロ組織と認定された。ただしアメリカは、ビアフラの分離独立を支持しない立場を堅持しつつも、現時点ではIPOBをテロ組織と見なしていない。 IPOBに結集する人たちも、非合法化くらいではひるまない。独立の悲願を達成するまでは一歩も引かない構えだ。 無理もない。あの虐殺から50年、ナイジェリア政府はイボ人の不満に向き合おうとしてこなかった。あの悲惨な過去をオープンに語り合うことができれば互いの心の傷も癒え、和解が進み、国民の結束につながるのではないかと専門家は指摘する。しかし200万を超える犠牲者の名誉はいまだに回復されていないし、補償も一切ないという。 ナイジェリアは、今なお民族と宗教によって分断されている。それが地域による格差を生む。連邦国家といっても南東部は冷遇され、閣僚の割り当ても少ない。民族間・宗教間の緊張は高まる一方だ。2015年にイスラム教徒のブハリが大統領になって以来、軍でも政府でも北部出身者ばかりが優遇されているという。 ビアフラの独立を宣言したが志半ばで亡命を強いられたオジュク BETTMANN/GETTY IMAGES 現政権は和解に関心なし 「全てのイボ人の心に悲しみが刻まれている。南東部の人間なら誰だって(あの内戦で)家族や親戚を失っている」。そう言ったのは、当時オジュク中佐の参謀格だったクリストファー・イジョフォー。「戦時中に飢えて死んだ罪なき子供たちの血は今も報復を求めている」。自らの体験を回想録『ビアフラの生死を懸けた戦い』にまとめた老人は、筆者にこうも言った。「あんな戦い、そもそも起きるべきではなかった」 【関連記事】「物語はイズムを超える」翻訳家・くぼたのぞみと読み解くアフリカ文学の旗手・アディーチェ 【関連記事】殺人を強いられた元少女兵たちの消えない烙印 ===== 昨年5月にはビアフラ独立を支持するデモが世界各地で行われた(写真はローマ) STEFANO MONTESIーCORBIS/GETTY IMAGES 1994年の内戦で約80万人が命を落としたルワンダでは政府が追悼の日を設けているが、ナイジェリアの現政権が50年前の内戦を公式に追悼する気配はない。ただしビアフラの「首都」だったエヌグにはイボ人の歴史を伝える「センター・フォー・メモリーズ」があり、住民レベルでは記憶を伝承しようとする地道な取り組みが続いている。 内戦終結から半世紀、今年1月にはイェミ・オシンバジョ副大統領が政府高官として初めて、国を挙げて歴史に向き合う必要性を訴えた。内戦ゆかりの品々を展示する国立戦争博物館を訪ね、「あの内戦は国の運命を変えた悲劇であり、癒やしと和解を促すためには全国的な対話が欠かせない」とツイートしたのだ。 「これまでの50年は私たちのものだったが、これからの50年は子供たちのものだ」と彼は続けた。「彼らを古い怨嗟(えんさ)の亡霊から解き放たねばならない。友情を育むことは可能だと、子供は身をもって示してくれる。私たちを超えていくチャンスを、彼らに与えようではないか」 国立戦争博物館は、醜い過去を乗り越えて癒やしと和解を実現するとの目標を掲げて1985年に設立された。だが、その目標は今も達成されていない。博物館はあっても議会や政府が動かないからだ。 いま再びビアフラ独立を叫んでいるのは若い世代だ。今の、そしてこれからのナイジェリアを支えていく世代だ。なのに今の政権は、過去半世紀の政権がそうだったように、彼らと真摯に向き合おうとも、話し合おうともしない。 若い世代が独立の夢を捨てることはない。それでも政府は、いざとなれば再び力に訴えるのだろうか。 From Foreign Policy Magazine <本誌2020年7月7日号掲載> 【話題の記事】 ・全長7mの巨大ヘビが女性を丸のみ インドネシア、被害続発する事情とは ・「アフリカ系アメリカ人」「黒人」、どちらが正しい呼び方? ・ニューヨーク当局が新型コロナ時代のセックス指針を公開「最も安全な相手は自分自身」 ・米南部の感染爆発は変異株の仕業? ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月7日号(6月30日発売)は「Black Lives Matter」特集。今回の黒人差別反対運動はいつもと違う――。黒人社会の慟哭、抗議拡大の理由、警察vs黒人の暗黒史。「人権軽視大国」アメリカがついに変わるのか。特別寄稿ウェスリー・ラウリー(ピュリツァー賞受賞ジャーナリスト)