<ヨーロッパにおけるロシアの勢力拡大、民主主義の脆弱性を突いてくる中国は、東・西や保守・革新といった従来の対立軸とは異なる問題をあぶり出している。論壇誌「アステイオン」92号は「世界を覆うまだら状の秩序」特集。同特集の論考「変わりゆく世界秩序のメルクマール――試練の中のスウェーデン」を3回に分けて全文転載する> ※第1回:スウェーデンはユートピアなのか?──試練の中のスウェーデン(上) ※第2回:保守思想が力を増すスウェーデン──試練の中のスウェーデン(中)より続く。 再認識されるロシアの脅威 このように、スウェーデンでは史上空前の政治空白によって、国内政治は大きな混乱をみたが、スウェーデンを取り巻く国際環境もまた引き続き不安定なものとなっている。日本とスウェーデンとの関係では経済関係がクローズアップされがちだが、両国間には外交と安全保障の分野においても共通する課題は少なくない。スウェーデンにとっての最大の脅威はロシアであるが、昨年二〇一九年からはチャイナ・リスクも大きく取り沙汰されるようになっている。 一九八〇年代に頻発した「国籍不明」(その多くがソ連のものと考えられている)の潜水艦による領海侵犯事件に代表されるように、ソ連からの軍事的脅威への対処は喫緊の課題であった。これは、日本政府が海上警備行動を発令して対処した二〇〇四年一一月の中国海軍の漢級原子力潜水艦による領海侵犯にも通ずる。スウェーデンも手をこまねいたわけではなく、領海を侵犯する潜水艦には武力行使を伴う手段を採ってきた。特に一九八二年一〇月に発生した「ホシュフィヤーデン湾事件」では、追跡中の潜水艦に多数の爆雷と機雷を投下して撃沈の意図を持って強硬な手段に出たほどである。 同時に、指摘しておかなければならない重要な視点として、スウェーデンは「重武装中立」を標榜しながらも、実際には裏で軍部の主導によって西側との密接な軍事協力関係を構築しており、実質的にNATOのバルト海戦略を担っていたことにも留意しなければならない。 冷戦の終焉とソ連の崩壊は、スウェーデンにとっては新たな平和の時代の幕開けであった。二〇〇三年の国防省報告書と、それを基に策定された安全保障諮問会議の二〇〇四年国防決定では、ロシアとの協力関係が深まっていることからスウェーデンに対する武力行使の危険性は薄らいでいるとの分析がなされ、防衛力削減として二〇〇五年には戦略上の要所ゴットランド島の軍事基地などが閉鎖されていった。これ以降、スウェーデンの安全保障はテロ対策などに重点を置くこととなり、財政難もあって二〇一〇年には重武装の象徴であった徴兵制も廃止された。 しかし、この状況を一変させたのが、二〇一四年のウクライナ危機とクリミア危機であった。これによって、ロシアの軍事的脅威が現実的なものとして再認識されたのである。ロシアの軍事的脅威を過小評価している間に掲げられたEUとの「連帯宣言」(二〇〇九年)も大きな問題となった。スウェーデンはリスボン条約に則って、EU加盟国とノルウェー、アイスランドと民・軍双方の領域で集団的自衛権のような相互的支援を掲げていたが、いざロシアの脅威を目の当たりにして、有事となれば自国の防衛と他国との連帯のどちらを優先させるのかという切実な問題が浮上した。 【関連記事】すばらしい「まだら状」の新世界──冷戦後からコロナ後へ 【話題の記事】 ・スウェーデンの悪夢はパンデミック以前から始まっていた ・スウェーデンが「集団免疫戦略」を後悔? 感染率、死亡率で世界最悪レベル ===== さらに、どちらを優先するのかについては、もう一つ議論になった問題がある。それが「国防問題」である。スウェーデンは「積極的外交政策」によって多くの紛争地域や発展途上地域を支援し、またアフガニスタンやイラクなどにも国際部隊を派遣しているが、国際貢献と自国の安全保障のどちらを優先させるのかも二〇一四年の議会選挙の争点となった。議論の末に二〇一五年にはゴットランド島の再軍備が決定され、さらに徴兵制も二〇一七年に復活することとなったが、この「国防問題」を逆説的にいえば、世界に知られるスウェーデンの国際貢献は、自国の安全保障を固めていたからこそなし得たことだといえる。 スウェーデンにおけるチャイナ・リスク 最後に、中国との関係について触れておこう。スウェーデンが中国と国交を樹立したのは一九五〇年のことで、西側諸国の中でもかなり早い時期に国家承認を行っている。スウェーデンでは長らく中国は「貧しい国」という認識であったが、リーマンショックを受けて二〇一〇年にVolvoが吉林汽車に買収されたのは衝撃的であった(もっともVolvo自体はすでにフォード傘下ではあった)。スウェーデンでも目覚ましい経済発展を遂げる中国にはどこか羨望の眼差しがあり、中国が世界経済を牽引する工場という議論も議会では見られた。二〇一二年二月の議会における外交討論の場で中道保守の国民党自由の議員から、「民主主義国ではない独裁国が世界最大の経済超大国として君臨するような世界」を次世代が生きていく危険性に警鐘を鳴らす問題提起もあったが、あまり注目を集めることはなかった。 しかし、二〇一八年九月から中国への違和感が芽生え始める。事の発端はスウェーデンを訪れた中国人観光客が予約していたホテルに一日早く到着したところ、満室だったためロビーで一夜を明かそうと居座ろうとして悶着となり、通報を受けた警察と警備員に強制的に退去させられた騒ぎである(スウェーデンでは警備員は警察からライセンス認定を受け、秩序維持のため強い権限が与えられている準公務員である。これに対する反抗は「開かれた社会」と民主主義に対する挑戦とみなされ、厳しく取り締まられる)。 この出来事に、中国が過剰なまでの反応を見せ、「人権侵害」を盾にスウェーデン政府に抗議、謝罪を求めたのであった。さらにスウェーデン・テレビがこれを題材に風刺番組で中国を取り上げたことも火に油を注いだ。 人権抑圧が問題となっている中国が、人権尊重を第一にアピールするスウェーデンに謝罪を求めたことについてスウェーデンの識者は、中国が人権問題でスウェーデンに抗議することで、欧米に対してカウンターを試みているのではないかと分析をしている。 ===== さらに問題はこれにとどまらなかった。チャイナ・リスクがより一層強く認識されるに至ったのが「桂民海事件」である(注2)。二〇一九年一一月に、スウェーデン・ペンクラブが、抑圧されている、もしくは亡命している作家に与えられるテュショルスキー賞を桂民海に授与し、アマンダ・リンド文化・民主主義・スポーツ担当大臣が代理で授賞式に出席した。このことが中国を大きく刺激し、桂従友中国大使はペンクラブがただちに授与を撤回しなければ、対抗措置を取るとの声明を発表した。また、もしリンド大臣が授賞式に参加すれば中国は今後の訪中を拒否するとし、さらに他のスウェーデン政府の代表者が臨席すれば中国人民の感情を逆なですることになり、両国の友好関係を毀損すると強弁した。 これに屈せずリンド大臣は授賞式に出席したが、これに対し傲慢な口調でスウェーデン政府および国民に「警告」を発する桂大使の言動にスウェーデンは反発し、これを中国政府による恫喝であるとみなした。ルヴェーン首相はこうした中国の恫喝には一切屈しないと語気を強めたが、桂大使は「重量級のボクサーに軽量級のボクサーが挑発してくれば、どうなるか」という比喩を用いたり、中国外交部も「中国政府と人民の感情を害すればスウェーデン人も平穏ではいられなくなるだろう」などとのメールをメディアに直接送付したりと、経済的な圧力もちらつかせながらスウェーデン政府や様々なメディアに対して干渉を続けた。 これによって、スウェーデンでも反中感情が広がることとなったが、多くのスウェーデン企業が中国とのビジネスを展開している中で、スウェーデン本国への脅威はもちろんのこと中国に滞在するスウェーデン人の安全が侵害されるおそれが、現在進行形の深刻な問題となっている。なぜ中国がこれほどまでにスウェーデンに固執するのか定かではないが、「積極的外交政策」にあるように人権を尊重する姿勢を逆手に取ることで、その脆弱性をピンポイントに狙ってシャープパワーを用いた、ヨーロッパにおける力の変更を試みているとも考えられる。 おわりに グローバル化と人の国際的移動などによって、いま世界は激動の秩序再編の真っ只中にある。これは、国内政治においては極右の台頭によって保革の政策的距離と対立軸が従来のモデルでは収まりきれなくなり、政党配置そのものの再検討が迫られているといえる。本稿ではスウェーデンを事例に見てきたが、「新しい保守」あるいは「新しい革新」というブロック政治の終焉のような政治的対立構造の変質はスウェーデン一国に限った問題ではない。これはヨーロッパ全体にも言えることであり、ひいては日本やアメリカにおいても同様の課題が生じつつあると指摘できるであろう。 また、イデオロギー対立による体制の優位を争った米ソ冷戦が終焉したとはいえ、ロシアによる力の変更はヨーロッパを揺るがし、さらに権威主義的な大国志向を強める中国の台頭は新たな米中冷戦とまで言われる。米ソ冷戦の最前線は分断されたヨーロッパにあったが、もし中国がヨーロッパにおいてもその影響力の拡張を試みているとすれば、人権や民主主義の擁護を声高に提唱するスウェーデンを脆弱なターゲットとして見据えているのではないだろうか。スウェーデンがこうした問題群にどのように対処していくのかを見ることによって、新たな時代を乗り越え、生き抜いていくヒントが見えてくる。 [注] (2)桂民海は香港で書店を経営する作家で、一九八〇年代にスウェーデンのユーテボリ大学で学び、天安門事件によって難民資格を与えられた。その後、一九九二年にスウェーデン国籍を取得している。現在、桂民海は中国当局に拘束され、二〇二〇年二月二四日に禁錮一〇年を言い渡されたばかりである。 ※第1回:スウェーデンはユートピアなのか?──試練の中のスウェーデン(上) ※第2回:保守思想が力を増すスウェーデン──試練の中のスウェーデン(中) 清水 謙(Ken Shimizu) 1981年生まれ。大阪外国語大学外国語学部スウェーデン語専攻卒業。東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻(国際関係論コース)にて、修士号取得(欧州研究)。同博士課程単位取得満期退学。主な著書に『大統領制化の比較政治学』(共著、ミネルヴァ書房)、『包摂・共生の政治か、排除の政治か─移民・難民と向き合うヨーロッパ』(共著、明石書店)など。 当記事は「アステイオン92」からの転載記事です。 『アステイオン92』 特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」 公益財団法人サントリー文化財団 アステイオン編集委員会 編 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)