<顔面に硫酸をかけられるという衝撃的な事件の被告は有罪に。だがそこにはカラクリが......> インドネシアの汚職犯罪の捜査・摘発を専門とする「国家汚職撲滅委員会(KPK)」の捜査官が襲撃され重傷を負った3年前の事件。犯人として逮捕された警察官2人に対する裁判の判決公判が7月16日、北ジャカルタ地裁で開かれ、2被告に禁固2年と禁固18カ月(求刑はいずれも禁固1年)の実刑判決が言い渡された。 新型コロナウイルスの感染拡大防止策としてオンライン方式で開かれた判決公判では裁判官が読み上げる判決文をインターネット経由で拘留施設内に設けられた「被告席」で元警察官の2被告が聞くという方式で進められた。 判決でラフマット・カディール・マフレット被告に禁固「2年」、ロニー・ブギス被告に禁固「18カ月」が言い渡された。裁判官は判決文の中でラフマット被告は実際にKPKのノウェル・バスウェダン捜査官の顔面に硫酸とみられる劇薬を実際に振りかけたとの容疑を認定して「禁固2年」とした。ラフマット被告をバイクに同乗させて現場で犯行を補助した運転手役のロニー被告にはそれより軽い「18カ月」としたとの判決理由などが読み上げられた。 異例の捜査進展、大統領激怒で急展開 2017年4月11日にジャカルタ市内を徒歩で帰宅途中のノフェル捜査官はバイクで近づいた正体不明の男2人組の1人から硫酸とみられる液体を顔面にかけられた。犯人2人はそのまま逃走した。 襲撃現場近くの監視カメラ(CCTV)にはバイクに乗った2人組が映っていたものの、ヘルメットなどで人物の特定は難しかった。ノフェル捜査官は左目を失明する重傷となった。 ノフェル捜査官の所属するKPKは麻薬捜査にあたる「国家麻薬取締局(BNN)」と並んでインドネシア最強の捜査機関として逮捕権、公訴権をもち、閣僚経験者、政治家、国会議長・議員、州政府幹部、国営企業幹部、大使などを汚職容疑で次々と摘発、起訴して有罪にもち込むなど国民から高い信頼と支持を得ていた組織だった。 そのKPKの現職捜査官で、襲撃された当時は国会議長も関係する巨額の汚職事件捜査を担当していたノフェル捜査官が襲われたことで、ジョコ・ウィドド大統領は国家警察に対して犯人逮捕を求めて早期解決を促した。 ところが事件は当初から警察関係者ないし大物政治家の関与が伝えられ、警察も「迷宮入り」を狙った節があり、特別捜査チームが編制されたものの捜査は一向に進展せず、犯人の特定もできなかった。 これにジョコ・ウィドド大統領が怒り、期限を切って捜査結果を求めるも、それでも進展がなかったことから2019年12月9日に当時の国家警察長官を大統領官邸に呼びつけて犯人逮捕を厳命した。 大統領の怒りが予想外に大きいことに驚いたのか、国家警察は同年12月26日、襲撃犯容疑者として現職の警察官2人の逮捕を明らかにした。事件発生から2年8カ月かけても不明だった犯人が、大統領の厳命からわずか15日で逮捕されたのだ。それも容疑者は現職の警察官だった。 国民もマスコミも逮捕された2警察官が実際の犯人ではないと薄々感じており、2警察官は「警察という組織のスケープゴート」との観測が強く、「軽い刑で服役して早期釈放」により一件落着と、事件の幕引きを図るシナリオが指摘されていた。 【関連記事】 ・感染防止「総力挙げないとNYの二の舞」=東大・児玉氏 ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・東京都、新型コロナ新規感染286人で過去最多を更新 「GoToトラベル」は東京除外で実施へ ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然 ===== 裁判では軽い禁固1年を検察が求刑 裁判では2被告は全面的に起訴事実を認めて争う姿勢をみせず、6月11日に行われた検察側の論告求刑では捜査への協力姿勢や警察での勤務評定が評価され、また襲撃は顔面を狙ったものではなく「たまたま顔面にかかった結果」などの被告側言い分を考慮したとして「2被告に禁固1年」という実に軽い求刑となった。 この求刑にマスコミなどは「汚職捜査官に失明という重傷を負わせて求刑1年とは、出来レースに違いない」と疑問を呈し、これに世論も沸騰。この日の判決公判の行方が注目されていた。 2被告への判決が検察側の求刑を上回ったことについて裁判長は「2被告は警察への国民の信頼を著しく損なわせた」と述べた。しかし「求刑通りの禁固1年という軽い刑では、世論が再び沸騰する可能性もあり、司法としての立場を強調するという裁判官の配慮ではないか」(地元紙記者)との見方が有力で、長年言われている「インドネシア司法の腐敗」が依然として現存していることを国民に強く印象付ける判決となった。 判決後、2被告は判決を受け入れて控訴しない方針を明らかにしている。判決によると2被告は未決拘留期間が算入されることになるため、実際には刑期より早く釈放されることになる見込みだ。 「裁判は終始茶番」と捜査官 襲撃事件の被害者で現在も「隻眼の捜査官」として活躍中のノフェル捜査官は、判決公判を前にして「被告の2警察官が実行犯でないことは明らかであり、直ちに釈放されるべきだ」と述べ、被害者が加害者の釈放を求めるという異例の展開となっていた。 16日の判決を聞いたノフェル捜査官は地元マスコミに対して「裁判は実際の事実に基づかないで進められるなど終始茶番劇であった。これで全て幕引きになるということは汚職事件とその汚職事件捜査に対するインドネシアの司法、国家の姿勢が問われることになる」と不服を明らかにしている。 ジョコ・ウィドド大統領は「インドネシアの司法を信じる」として初公判以来司法に介入するのを避ける姿勢に終始している。今回の裁判、判決は2警察官が逮捕された当時から言われてきた筋書き通りに進行しており、国民の間からは「事件の本当の黒幕はこれで永久に暴かれることがなくなった」と司法、警察への不信をさらに強めている。 [執筆者] 大塚智彦(ジャーナリスト) PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など 【関連記事】 ・感染防止「総力挙げないとNYの二の舞」=東大・児玉氏 ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・東京都、新型コロナ新規感染286人で過去最多を更新 「GoToトラベル」は東京除外で実施へ ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然   ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月21日号(7月14日発売)は「台湾の力量」特集。コロナ対策で世界を驚かせ、中国の圧力に孤軍奮闘。外交・ITで存在感を増す台湾の実力と展望は? PLUS デジタル担当大臣オードリー・タンの真価。