<暴力と憎悪がエスカレートする香港を舞台に、デジタル世代の若者はいかに戦ったか――。本誌「香港の挽歌」特集より> 母親がキッチンで肉を切っている音が、ケンを耐え難い場所に引き戻す。人間の頭蓋骨。暗い通路。悲鳴。血。香港警察が滅びるか、自分が滅びるかだ。 湯気の立つ海鮮料理の皿がアパートの狭い部屋の折り畳みテーブルに置かれ、その音にケンは顔をしかめる。「さあ、熱いうちに食べて!」母親は一人息子の顔を見つめ、しわが刻まれた顔を緩ませる。 ケンは吐き気をこらえて料理を飲み込み、しゃべり、笑う。せめて食べ終わるまでは忘れよう。香港の長引く抗議デモに加わり残酷な行為に手を染めたことも、油断すれば投獄され、両親が生きているうちに出られる望みはないかもしれないことも。 2014年の雨傘運動(行政長官選挙から民主派を締め出す制度変更に抗議した学生主体の民主化デモ)当時、ケンたちの世代は高校生。彼ら自身が民主化運動に目覚めたのは2019年6月、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官が犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正を強行しようとしたことが発端だった。 2019年の6月9日、約100万人が平和的な街頭デモを実施。ケンもガールフレンドとおそろいのアディダスを履いて参加した。2人も含めて参加者全員が平和的なデモを象徴する白服を着ていた。 2人は手をつないで世界第3位の金融センターを少しずつ進んだ。唯一の武器は自らの声、プラカード、そしてデモ参加者が香港の本質的価値と呼ぶ自由、民主主義、法の支配を守るために歩くこと──だった。「香港を愛する100万人の参加者を見て涙が出た」とケンは言う。 報道によれば、デモ隊は車1台傷つけず、窓1枚割らなかったという。若者たちはボトル入り飲料水を配り、空になったボトルはリサイクル用に分別。バスや救急車が通る際は道を空けた。「アジア最良」とされる香港警察は一定の距離を保っていた。 それでも標的である林鄭は心を動かされなかった。中国政府が任命した62歳の行政長官は、デモの3日後、立法会で改正案の2度目の審議を強行しようとした。 ケンは4万人のデモ隊と共に立法会の建物周辺を占拠、審議を阻止した。だが喜びもつかの間、機動隊がゴム弾などを装填した銃を手に建物を包囲。丸腰のデモ隊に対して催涙ガスを使い、大混乱を引き起こした。 「白い泡を吐いている人が大勢いた」とケンは当時を振り返る。「なぜそんな目に遭わせたんだ。追い払えば済むのに」 警察は先頭集団でレンガや鉄パイプを投げていた32人を逮捕。「暴動罪」で有罪になれば最大10年の禁錮刑が科される。 【関連記事】香港で次に起きる「6つの悪夢」 ネット、宗教、メディア... ===== 衝突を繰り返し、デモ隊の暴力も警察の取り締まりも厳しさを増した(2019年8月14日、香港市内) THOMAS PETER-REUTERS 6月16日、デモは約200万人と歴史的規模に膨れ上がり、服も黒に。その前日、林鄭は改正案の審議「延期」を発表したが撤回は拒否。その傲慢さがデモの様相を一変させる。 次第に募った暴力と憎悪 快活なケンはいつも友人たちに囲まれ、夜は非暴力の抵抗運動で知られるインドのマハトマ・ガンジーやその影響を受けた南アフリカのネルソン・マンデラについて語り合う。自称「買い物依存症」のデニース、人気の多国籍レストランの共同経営者ティム、オーストラリア留学から帰国したばかりで保険会社勤務のフィフィ、それに実験映画製作の仲間たち──。 住まいこそ質素だが何不自由ない生活だ。世界トップクラスの地下鉄で大学に通い、カフェや映画館に行く。休暇にはバックパックを背負って現代的な空港から旅に出る。こうした自由は、世界第1位の自由度と世界トップクラスの1人当たりGDP(経済的な豊かさの指標)を誇る香港経済に見合うものだ。 彼らデジタル世代の若者は、広州や上海よりサンフランシスコや東京やベルリンの若者に親しみを感じているが、中国本土に対して明確な意見も持っている。香港では本土と違って制約のないインターネットが使え、メディアも大部分は検閲されない。若者は人権活動家や新疆ウイグル自治区のウイグル人などに対する中国政府の仕打ちを見て、香港の未来を危惧し、法の支配と自由を中国に侵されてたまるかと思っている。「自由がないなら死んだほうがましだ」とケンは言う。 彼らはオンライン上で流動的な匿名グループを組織し、各自が自発的に動く方法を選んだ。香港出身の大スター、ブルース・リーの「水になれ」という言葉をスローガンに、自在に形を変えて警察署を包囲し、幹線道路を塞ぎ、地下鉄や空港を使えなくした。 若いケンにとっては人生最大のスリルだった。目的を共有する興奮に満ちた夏の夜だった。「こんなに素晴らしい香港は初めてだ」 条例改正に対する抗議は夏以降、警察と中国本土全般への憎悪と化した。警察とデモ隊は互いに暴力と憎しみを募らせ、警察は黒ずくめのデモ隊を「ゴキブリ」と呼び、デモ隊は警察を「犬」と呼んだ。「平和的デモは無視され、レンガを投げれば暴徒と呼ばれた。まだ目をそらすなら次は火炎瓶を投げてやる」とケンは言った。 7月1日は、1997年に香港が中国に返還された記念すべき日だ。しかし、香港では毎年数十万人の市民が抗議デモを行い、香港のミニ憲法である基本法で保障された自由が侵害されていると訴える。 返還22周年となる2019年7月1日、ケンを含む一部のデモ参加者が立法会の建物を包囲した。警察は催涙ガスや警棒で応戦し、逮捕者も出た。ケンは化学薬品でやけどを負った。 デモ隊の中にいた超過激派のグループが、鉄棒を手に金属製のカートを押して、建物のガラス扉に突入した。周辺をデモ隊が取り囲み、警察の応援部隊は近づけなかった。 【関連記事】香港の挽歌 もう誰も共産党を止められないのか ===== デモ隊から中国本土の活動家と疑われ、ハンマーで頭を殴られて出血する男性(写真と本文は無関係) THOMAS PETER-REUTERS 夜までにデモ隊は立法会を占拠した。最初に突入したグループは自分たちを「死の戦士」と呼び、ゴム弾や実弾、そして10年の禁錮刑も受け入れる覚悟で、議事堂に陣取った。ケンはカメラを持って後を追った。 「どうせ香港はいつか滅びる。ならば、世界中の注目を浴びるなかで滅んだほうがいい。中国が罰せられることになるから」と、ケンは語る。 「僕は怒りで陶酔していた」 デモの参加者は監視カメラを壊して回った。監視カメラの映像データを破壊するためにIT担当のチームが制御室に向かっている、とデニースが言った。 議事堂で100人ほどが椅子などを破壊し始めた。香港の紋章を塗りつぶし、誰かがその上を英植民地時代の香港の旗で覆った。 人々が政治指導者の肖像画を破り、壁にスローガンを殴り書きしている間、デニースは骨董品や貴重な文献の棚の前で見張りをしていた。「私たちがここにいるのは政治構造を破壊するためで、人を傷つけたり、私たちの遺産を傷つけたりするためじゃない」 食堂の冷蔵庫から飲み物を取った人は、お金を置いた。粉々になったガラスをほうきで掃除する人もいた。 警察も当初は慎重で、警告を繰り返し、デモ隊が立ち去る時間を与えた。黒い服の若者が帰宅できるように、地下鉄の終電を遅らせた。 抗議活動はさらに数週間続いたが、7月21日に起きた2つの出来事が2つの転機となった。 日曜の午後に比較的平和なデモ行進が行われた後、一部が中国政府の出先機関である香港連絡弁公室の建物の前に集結。中国の国章に黒いインクの瓶や卵を投げ付けた。 多くの香港人にとって、赤い共産党旗は異質なシンボルであり、自分たちとは懸け離れた価値観を表している。しかし、中国本土の人々にとっては、国章というだけでなく、中国が歴史的な恥辱から飛躍して世界に名をはせたという宣言でもある。 これを機に、中国の国営メディアが一斉に抗議活動を報道し始めた。「外国の黒い手」を借りた香港の「反中暴動」を盛んに伝え、中国本土の人々は香港人を裏切り者と見なすようになった。 もう1つの事件は北部のベッドタウン、元朗で起きた。この日の夜に地下鉄の車内と元朗駅で、デモ参加者が少なくとも100人の暴徒に襲われたのだ。棒などで殴られて、頭蓋骨が割れ、骨が折れた。警察に数百件の通報があったが、現場に到着するまでに30分以上かかった。中国系マフィア「三合会」と警察が裏で手を組んでいたという噂が広まった。 その夜のニュース速報は、妊娠しているとされる女性1人を含む少なくとも45人が負傷したと伝えたが、逮捕者は1人もいなかった。 「警察が三合会と堂々と結託して、抗議活動の参加者を痛め付けるやり方に、頭がどうかなりそうだった」と、ケンは言う。かつての陽気な顔が、恨みでこわばっていた。 2つの事件を機に、抗議活動の暴力が激しくなり、中国政府は香港に対して強硬姿勢を強めた。 元朗の襲撃事件の後、ケンはガソリンと工業用アルコールを使った焼夷弾の作り方をネットで検索した。「次の抗議デモで、突撃してきた警察官にガソリン爆弾を投げた。彼らは退却した。うまくいった!」 その夜、ベッドに入ったケンはパニックに襲われた。汗が止まらず、逮捕されるのではないかと怯えた。 【関連記事】香港民主活動家の黄之鋒、議会選挙に出馬「最後の瞬間まで戦い続ける」 ===== 抗議運動が過激化し暴力が日常の光景に(2019年11月2日) TYRONE SIU-REUTERS 数週間後、誰かが投げた火炎瓶がケンの足に当たった。ひどいやけどを負い、デモ参加者をひそかに助けている医師の治療を受けた。 「炎を消そうとしたが、粘り気のある物質が燃え続けた。僕はどこかで、この作り方はすごいと喜んでいた」 ケンは自分のガソリン爆弾にワセリンや自動車用オイルなどの増粘剤を加え、炎が標的の体で長く燃えて、濃い煙の雲ができるようにした。 ケンにとってガソリン爆弾は、エスカレートする暴力の入り口だった。あるデモ参加者が、元朗の事件で妹がけがをしたから警察に復讐すると言ったときは、彼のことは知らなかったが協力を買って出た。 「僕は怒りで陶酔していた」 母への手紙に託した思い 3日後の夜、ケンは2人の若者と一緒に住宅街の警察署近くで標的を待ち伏せしていた。建物から出てきたのは、小柄で少し腹の出たTシャツ姿の30代男性。身元は分からないが、偉そうな態度だけで「敵」であることは明らかに思えた。「警察権力の一員であれば、その人物がデモ隊を攻撃したか否かに関係なく罰を受けるべきだ」と、ケンは言う。 3人は15分ほど男性を尾行した。飲食店が並ぶ通りを抜け、女性が客引きをしている怪しげな通りに入ると、主犯格の男が男性の口をタオルで覆った。ケンが相手の頭をつかみ、もう1人が腰を押さえ込む。3人はぎこちない手つきで男性を暗い裏道に引きずり込み、ケンがタオルを男性の口に押し込んだ。 男性の頭蓋骨を何度か殴打すると、ドスンというおぞましい音が響いた。助けを求めるか細い悲鳴が聞こえる。「痛みで泣いているのを見て、喜びが湧いてきた」と、ケンは言う。 その後も顔を蹴ったり、木の棒で肋骨を殴ったり、男性が動かなくなるまで肘や膝を踏み付けたり。その時、男性の口から咳と嘔吐の入り交じったような音が飛び出した。「あんな音は聞いたことがない。二度と聞きたくない」 主犯格の男は窒息死させようと提案したが、ケンは拒んだ。「顔を隠していると強くなった気がするが、僕にも良心はある。警官と違って」 口にタオルを入れたまま、うめき声を上げて転がっている血まみれの男性を残して、3人はバラバラに去り、二度とつながることはなかった。ケンは近くの海岸に服を捨て、3人のチャットグループを削除。警察の目を恐れて2晩外泊したが、誰も追ってこないので、両親の住む自宅に戻った。「人間から悪魔になり、また人間に戻るのは不思議な感覚だ」と、ケンは語った。 汗と催涙ガスにまみれたケンが抗議活動から帰宅するたびに、母はベッドから起き出して夜食の麺をゆで、服に付いた有害物質を手洗いしてくれる。母には、自分はデモ隊の一員ではなく監視役だと説明している。 「ケンは子供の頃から信頼できる子で、悪い道に足を踏み入れたことなんてありません」と、母は誇らしげに語る。「前線で戦い、破壊活動をしている子たちとは違うんです」 テレビで何度も繰り返される破壊のシーンを見ると、母は中国本土で育った子供時代に目撃した現代史の暗黒面を思い出すという。「紅衛兵がスローガンを叫びながら通りを荒らし回った文化大革命みたい」 「こんな暴力と破壊が自由の姿なの?」と、母はケンに問い掛ける。 【関連記事】香港国安法を「合法化」するための基本法のからくり ===== 母には知らせていないが、ケンは自分が姿を消したときに備えて、その答えをしたためた手紙を引き出しにしまっている。「僕は香港市民だ。香港には民主主義と自由を享受してほしい」で始まる手紙には、こう書かれている。「生きている間に目標を達成できないかもしれないし、死はとても怖い。でも少なくとも僕は、この贈り物を子孫に残せる」 ケンと仲間は数日おきにティムのレストランに集まり、計画を練った。当初は遠足気分で楽しく語り合ったが、数カ月もたつと投げやりに報復を叫ぶ空気が広がっていった。 中国政府に勝てないなら、香港を破壊することで中国にダメージを与えてやろう、と彼らは考えた。「共産党よ、俺たちが消えるときはおまえも道連れだ」と、ケンは言う。そんな彼らの言葉は、200倍の人口を持つ中国相手に立ち上がった香港市民にも広く受け入れられている。 ケンと仲間たちはカクテルを手に作戦を練った。「最大限のダメージを与え、中国軍に行動を起こさせたい」。ティムがそう言うと、デニースやフィフィから拍手が起こった。 香港を破壊して敵を道連れに 作戦の中核は、アメリカに香港という「武器」を与え、中国との戦いに利用させることだ。 中国が恐れるのは、香港をたたき過ぎて西側諸国に経済制裁を科され、米中貿易戦争で弱った経済がさらに悪化すること。また、景気悪化が引き金となって中国社会が不安定化する、台湾統一の夢が遠のくといった連鎖反応も予想される。つまり、彼らの作戦は威力抜群の「カミカゼ」攻撃なのだ。 憎悪と暴力が加速した結果、林鄭が9月初めに逃亡犯条例改正案の撤回を正式に発表しても、香港市民の間には「(譲歩が)小さ過ぎて、遅過ぎる」というため息が広がるだけだった。デモ隊の怒りの対象は既に警察全体と中国政府に向かっていた。 12月、警察はおよそ1万6000発の催涙弾と複数の実弾を使用したと発表。心臓付近や肝臓を撃たれた学生もいた。 11月下旬に行われた区議会選挙の投票率は過去最高の71%。18区のうち17区で民主派が勝利し、デモ隊を支持するのは一部の過激派にすぎないという指摘は一蹴された。 デモ隊が大学を占拠し、抗議運動が最も過激化した11月、ケンは再び前線に立っていた。「人間ベルトコンベヤー」で届けられるガソリン爆弾を、1日に50個以上投げたという。平和的にデモを続ける市民が多数いる一方、強硬派は香港を破壊して敵を道連れにする作戦が有効だと考えているのだ。 およそ半年後の今年5月28日、中国の全国人民代表大会(全人代)は香港国家安全維持法の導入を決めた。香港の自治と自由にとって「致命的な一撃」との批判が高まるなか、6月30日には全人代常務委員会が同法を可決。同日夜に施行された。 これを受けてドナルド・トランプ米大統領は、アメリカが香港に与えてきた特別待遇の取り消しを表明した。世界的な金融ハブという香港の地位は揺らぎ、香港から中国本土に向かう資金の大動脈も滞ることになる。トランプは中国批判を繰り返し、報復措置を取ることも公言している。 1年に及ぶ抗議運動と新型コロナウイルスをめぐる都市封鎖で傷ついた香港にとっては決定的な打撃だ。 そして、ケンの戦いも終わりを迎えた。結果は敗北だった。 (筆者は匿名のジャーナリスト) <2020年7月14日号「香港の挽歌」特集より> 【関連記事】香港の挽歌 もう誰も共産党を止められないのか 【関連記事】香港で次に起きる「6つの悪夢」 ネット、宗教、メディア... 【話題の記事】 ・中国・三峡ダムに「ブラックスワン」が迫る──決壊はあり得るのか ・国家安全法成立で香港民主化団体を脱退した「女神」周庭の別れの言葉 ・中国・超大国への道、最大の障壁は「日本」──そこで浮上する第2の道とは ・台湾のビキニ・ハイカー、山で凍死 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月14日号(7月7日発売)は「香港の挽歌」特集。もう誰も共産党を止められないのか――。国家安全法制で香港は終わり? 中国の次の狙いと民主化を待つ運命は。PLUS 民主化デモ、ある過激派の告白。 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月28日号(7月21日発売)は「コロナで変わる日本的経営」特集。永遠のテーマ「生産性の低さ」の原因は何か? 危機下で露呈した日本企業の成長を妨げる7大問題とは? 克服すべき課題と、その先にある復活への道筋を探る。