ドイツで教育を受けた筆者が日本の中学校の校則を知って衝撃を受けた理由とは? 日独ハーフコラムニストのサンドラ・へフェリン氏の新刊『体育会系 日本を蝕む病』から一部抜粋・再構成してお届けする。 前回記事は、小学校で気をつけたい体育会系的な懸念事案としてピラミッドや組体操を例に書いてきましたが、生徒を校則などで縛りつけ服従させるという点においては小学校よりも中学校のほうが深刻です。 中学校でやらされることの多くは軍隊的なイメージを伴っています。思春期になり自我が芽生え始めている子たちを、「上からむりやり管理してしまえ」という意図が透けて見えます。 本来ならば、難しい年頃の子には、むしろ今までよりも多めに自由を与え、自分なりの判断ができるように大人たちが応援すべきところなのですが、そうではなく「小さい大人たち」をとにかく縛りつけてしまうのがニッポンの中学校です。 筆者が恐れおののいた「厳しすぎる校則」 中学生の頃、私はドイツに住んでいて現地の学校に通っていましたが、毎週土曜日に通っていた日本人学校の友達の家で見た『ぼくらの七日間戦争』(1988年、菅原比呂志監督)という映画は衝撃的でした。 毎朝スカートの丈やら前髪の長さなどを先生にチェックされるバリバリの管理教育の中学校生活が映し出され、その後生徒たちが学校と闘うというストーリーですが、初めて見たときは、これはあくまでも映画の中のことであり、まさかニッポンの中学校の現実だとは思ってもみませんでした。 しかしその後、日本から送られてきた中学生向けの雑誌で校則に関するすさまじい体験談を読み、ドイツにいながら「ニッポンの学校」というものに恐れおののきました。載っていた記事は「強制的に髪の毛を先生に切られた」とか、「女子のスカートの長さが決まっている」だとか、ドイツの生徒たちからしたら信じられない内容のものばかりでした。 ===== 私が通っていたのは、ギムナジウムという将来は大学進学を希望する生徒向けの学校でしたが、同級生は成績優秀であっても、当時はやりの膝がビリビリに破れたジーンズを穿いて登校していましたし、イヤリングもサイズが大きい大人びたものをつけていました。 一方、日本から送られてくる中学生向けの雑誌には「校則に縛られる生徒たち」という別世界のことが描かれており、自分なりにいろいろと感じるものがありました。 日本の雑誌で読んだ衝撃的な校則についてドイツ人の同級生に話そうとしても、ドイツの学校には校則そのものがないため、うまく説明できませんでした。「日本の学校には細かいルールがあって......」と言いかけると、なんだか遅れた国の話を聞いているかのような目で見られ、複雑な心境になったことを覚えています。 もしかしたらドイツの学校にも、規則が書かれた紙というか文書は校長室などに保管されているのかもしれません。しかし、なにせ生徒手帳なるものがないため、私の知る限り生徒がそれを確認したことはありませんでした。校長先生などにお願いすれば、学校のルールが書かれた紙を見せてもらえるのかもしれませんが、大きな話になってきそうです。 結局、筆者がドイツでギムナジウムに通っていた9年間、「これが学校のルールです」と紙を見せられたことはありませんし、口頭で身だしなみなどに関するルールを告げられたこともありません。当然ながら、「学校の規則についてもっと知ろう」とワザワザ職員室に確認しに行く生徒も皆無でした。 ドイツでは「身だしなみ」はノータッチ もちろん無断の欠席が続いたり、宿題をやらなかったりといったことは記録に残るし、それに対する対応は厳しいのですが、生徒の身だしなみだとか学校の外での生活態度についてドイツの学校は基本的にノータッチなのです。 こういったことが可能なのは、ドイツでは「学校は勉強をするところであり、子どもの人間教育は家で親がやるもの」といういわば「すみ分け」ができているからです。 日本の学校の給食といえば、単にランチを食べる、という意味合いだけではなく「食育」の要素もあります。実は私はこの日本のスタイルが好きなのですが、やはりドイツの学校で食事を通して生徒に食育をするのは難しいと思います。というのも、ドイツでは食事について「個」や「各家庭の方針」が尊重されているため、全員の生徒に「好き嫌いなくバランスよく食べましょう」などと教えることは難しいからです。 ===== ベジタリアンの家庭もあれば、宗教上の理由から子どもに牛肉や豚肉を食べさせない親もいます。そういったことに先生が対応するのは不可能であり、食事に関してはすべて親や家族に責任があるという考えです。食事に限らず、服装や身だしなみなどの生活態度についても責任はすべて家庭にあるとされているため、学校がそういったことに「口出し」することはありません。 生徒にSNSを使うことを禁じたり、学校の中どころか「ドライヤーを使うことは禁止」と家庭の中にまで校則という名のもと介入しようとするニッポンの学校とは真逆です。 「素手で便器掃除」が美談になる日本 日本では定期的に「素手で学校の便器を掃除する中学生」の話がニュースになります。不気味なのはこれが「美談」として報じられることです。 例えば2017年に埼玉県のある中学校で生徒による「素手での便器掃除」が行われ、これについて報じたニュースでは、同様のトイレ掃除を8年続けている別の中学校の校長先生の言葉「無言清掃を通じて客観的に自分を見る目と心が育まれ、生徒たちはどうすれば人のために役立つかと自ら考えるようになった」を紹介しています。 しかし、相手はあくまでも「トイレ」です。どんな病原菌がいるかもわからず、生徒が感染症になったりする危険性は誰も考えなかったのかとショックを受けました。一般社会でトイレ掃除がプロの仕事であるのは、「掃除を素手でしない」のは言うまでもなく、適切な対策とノウハウがあるからこそ求められるからであり、そのおかげで私たちも快適にトイレが使えて病気にもならずに済むのです。 ところが日本の教育現場では生徒の健康はどうでもいいと言わんばかりで、ニュースでも「素手にためらいもあったけど、便器がどんどん白くなり達成感でいっぱい」という感想を「生徒の声」として紹介し、この話を美談に仕立て上げているのです。 感染症はもとより、こんな教育を続けていては、素手で便器磨きをやらされ続けた女子中学生が将来大人になり、「セクハラする男性上司」に堂々と「ノー」が言えなくても不思議ではありません。素手でのトイレ掃除に対し子どもに「ノー」と言うことを許さないニッポンの教育。本当にいつの時代のことかとこの手の話を聞くとめまいがします。 さらに驚くのは、日本では素手でのトイレ掃除が「精神も磨かれる」とか「日本を美しくする」などとちょっぴり右翼的な思想ともつなげられることが少なくないことです。その思想自体は自由かもしれませんが、学校でやることではないと思います。 ※当記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。元記事はこちら