<政治の民主化なくとも経済発展は可能という中国式の社会市場経済(中国模式)は一帯一路を通じて、特に発展途上国の見本となってきた。しかし、新型コロナウイルス問題の発生で状況は一転する。論壇誌「アステイオン」92号は「世界を覆うまだら状の秩序」特集。同特集の論考「習近平の社会思想学習」を2回に分けて全文転載する> ※転載前半:中国経済は悪化していたのに「皇帝」が剛腕を発揮できた3つの理由より続く。 「習近平=神」論 ここ数年、中国は「一帯一路」を通じて、「中国模式」を世界に鼓舞するようになった。すなわち、「政治を民主化しなくても国家の安定した経済発展は可能」という見本を、主に発展途上国に対して示しているのである。これは、世界各地に存在する強権的な国家の広範な賛同を得ていった。 「中国模式」の本質は、民主集中制にある。主権者たる国民(中国では「人民」と呼ぶ)は、自らの政治的権利の一部を、党中央(為政者である習近平総書記)に委任する。党中央は集中された権力を広範な国民の最大利益のために行使するというものだ。 そこでは日米欧の民主国家のような、批判者としての野党、監視者としてのメディア、そして審判者としての有権者という「三つのチェック機能」が働かない。その代わり、共産党に中央紀律検査委員会を設置し、政府に国家監察委員会を設置して「自浄」に努めている。 この「浄化作用」は、地位によらず、法律法規に基づいて万人に適用されることになっている。だが、唯一の例外は習近平総書記である。なぜなら習総書記は「党中央の核心」、中国の伝統にならえば「皇帝様」だからだ。 王岐山副主席(当時は党中央紀律検査委員会書記)は二〇一五年四月二三日、訪中したフランシス・フクヤマ・スタンフォード大学シニアフェローと青木昌彦同大名誉教授らに、「習近平=神」論を披瀝したことがある。 「中国において皇帝というのは、『天子』と呼ばれる神なのだ。中国ではいまでも神が統治するから、司法も必ず党中央の指導のもとに行動せねばならない。各国の最高法である憲法は、人間の手によって書かれた紙切れに過ぎない。だから憲法が定める最高権力者である大統領は、神ではない。また日本には天皇がいて、イギリスには女王がいるが、天皇も女王も神ではない。神がいるのは中国だけだ」 このような思想のもとで、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義」が、中国国内で敷衍していったわけである。私は北京、上海はもとより、山東省の農村地帯でも新疆ウイグルの国境地域でも、習近平総書記の巨大なパネル写真と「習近平総書記を核心として全党全軍全民の力を結集しよう!」といったスローガンを見つけた。二〇一八年の夏頃まで、中国はまるで毛沢東時代に回帰したかのようだった。 ===== 米中貿易戦争で揺らいだ中国 この状況を打ち破ったのは、アメリカのドナルド・トランプ政権だった。中国で「習近平皇帝の戴冠式」(二〇一八年三月の全国人民代表大会)の終了を待つかのように、同年三月二二日に突如、トランプ大統領が、中国に対して鉄鋼に二五%、アルミニウムに一〇%の追加関税をかけ、さらに新たに六〇〇億ドル分の中国からの輸入品に、追加関税をかけると宣言したのである。中国に対する貿易戦争の「宣戦布告」だった。 この時、中南海では「対米主戦論」が強まった。太平洋戦争期の日本でも同様だったが、健全な民主主義が機能していないと、「外敵」を前にして、政権は強硬な意見に傾いていくものだ。習近平主席が口にしたと囁かれた「奉陪到底(フェンペイタオデイー)」(最後まで付き合ってやる)という凄みのある言葉を、外交部も商務部も中央電視台(CCTV)も喧伝し、アメリカへの対抗意識を剝き出しにした。 だがこの強硬策は、裏目に出た。アメリカは同年七月に第一弾、八月に第二弾、九月に第三弾と、計二五〇〇億ドルもの中国製品に追加関税をかけ、もともと悪化していた中国経済は、干上がってしまったのである。中国は世界第二の経済大国とはいえ、しょせんはアメリカ経済の三分の二の規模しかない。世界貿易に使われる通貨比率に至っては、米ドルが過半数を占めるのに対し、中国人民元は二%にも満たなかった。 米中がガチンコ勝負すれば、優劣は自明の理だったのである。中国では「雪上加霜(シュエシャンジアシュアン)」(雪の上に霜が加わる=泣きっ面に蜂)という成語が飛び交うようになった。 同年八月、習近平主席は共産党の会議で、初めて「私は自分の偶像崇拝など求めていない」と、釈明を余儀なくされた。同年暮れのブエノスアイレスG20の際に行われた米中首脳会談は事実上、中国側のアメリカに対する「白旗会談」となった。中南海は、二〇一九年が明けてもアメリカへの妥協論に包まれていた。 再び風向きが変わったのは、同年五月である。強気だった中国の「後退」を見て、トランプ政権はディールを終えてチップを確定させればよかったのだが、さらにコインを積んで勝負を続けようとした。その結果、中国が「ちゃぶ台返し」に出たのである。 中国はアメリカとの貿易交渉を中断させ、一年ぶりに「奉陪到底」のスローガンを登場させた。同時に、毛沢東の『持久戦論』の学習運動を始めた。一九三八年夏に、前年からの日中戦争で日本軍に攻め込まれる中、急戦ではなく一時撤退、戦力育成、反撃撃退という持久戦で勝利すると毛沢東が説いた演説集だ。「日本」を「アメリカ」に置き換えて、対米戦争を持久戦で勝ち抜こうというのである。 この米中貿易戦争は、その後も紆余曲折を経て、二〇二〇年一月一五日、両国は妥結に至った。第一段階の合意書に、トランプ大統領と劉鶴(りゅうかく)副首相(習近平主席の中学時代の同級生)がサインした。トランプ大統領が「宣戦布告」してから、実に二年近くが経過していた。 この頃、北京を訪れたが、中国側にアメリカと妥結に至ったという高揚感はなかった。あるのは、諦念とも言えるものだった。ある中国共産党員はこう述べた。 「結局、二年近くに及んだ交渉で悟ったのは、今秋にトランプが大統領に再選されようが、別の誰かが代わろうが、中米対決は長期的かつ全面的なものになるということだ。今後、貿易戦争 → 技術戦争(5Gなど)→ 金融戦争(デジタル通貨など → 局地戦争(南シナ海、東シナ海、台湾など)と、戦線は拡大していくだろう。ともかく二一世紀の中頃までに、アメリカと雌雄を決する」 雌雄を決するのは、まさに二一世紀の人類にふさわしい制度は、アメリカ式資本主義か、それとも中国の特色ある社会主義(中国模式)かということに他ならなかった。 「欧米式の民主制度というのは、互いの戦争を食い止めるための窮余の策として、ここ数百年行っているに過ぎない。しかも破綻を見せている。EUで二番目の経済大国であるイギリスが離脱し、各国で国粋主義が台頭するなど、EU分裂が始まった。アメリカでは、『アメリカ・ファースト』を掲げ、国境に壁を作ったり同盟国との関係を軽視したりするトランプが、第二次世界大戦後のアメリカの理念に挑戦している。このように、先に瓦解していくのは欧米民主国家の方だ。習近平新時代の中国の特色ある社会主義システムは、彼らよりもはるかに強固なのだ」(同前) ===== コロナウイルスで大打撃 さて、ここからの経緯は、詳細な説明は不要だろう。二〇二〇年一月二〇日、習近平主席は新型コロナウイルスに対する緊急措置を取ると発令。三日後には一一〇〇万都市の武漢が「封城(フェンチェン)」(封鎖)された。中国国内の感染者数はたちまち八万人を超え、死者の数は三〇〇〇人を超えた。一四億中国人にとって今年の「春節」(一月二五日の旧正月)は、後世に残る「悪夢の日」となった。 新型コロナウイルス騒動は、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義」の弱点を、次々にさらけ出した。未知のウイルスが蔓延していることを警告した武漢の李文亮医師が、流言飛語拡散の罪で公安に断罪され、コロナウイルスに罹って死去した。これによって「憲法第三五条で保障された言論の自由を認めるべきだ」という運動が起こった。 習近平主席は、「自ら指揮して、自ら手配する」と宣言したが、実際にはウイルス対策を李克強首相に任せきりにして、中南海に蟄居してしまった。そのことに批判が高まると、二月一〇日になってようやく「北京視察」に出た。 ところが「皇帝様」である習主席は、北京市民に対しても、テレビ電話で繋がった武漢の医師たちに対しても、「上から目線」を貫いた。多くの中国人は、二〇〇三年のSARS騒動の時、胡錦濤主席と温家宝首相が、マスクも付けずに病室に慰問に訪れ、患者たちの手を取って語りかけていた「患者目線」の姿を記憶している。 また、武漢市や湖北省の地方自治体の無能ぶりも露呈した。前述のように、中央であれ地方であれ、政治家や官僚たちに求められるのは、「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想の学習」であり、習主席の日々の「重要講和」を忠実に実行することだ。そのため、現場での対応が後手に回ったのである。 こうしたことが重なって、新型コロナウイルス騒動は、習近平主席の「岩盤支持層」である庶民層(中国語で言う「老百姓(ラオバイシン)」)を直撃した。 習近平政権下で、二〇一二年以来の「八項規定」で摘発したのは幹部たちであり、二〇一五年夏の株式暴落の時、損をしたのは富裕層や中間層だった。また、二〇一八年以来のアメリカとの貿易摩擦でも、打撃を受けたのは主に企業経営者だった。だが今回ばかりは、習主席の岩盤支持層である庶民層が犠牲になったのである。中国の経済的損失や、国際的な信頼失墜も計り知れなかった。 それでも三月一〇日になって、習主席は「反転攻勢」に出た。「封鎖」から四七日目にして、ついに武漢を視察したのだ。その様は、まさに「習近平時代の社会主義方式」と言えた。 武漢の空港に降り立つと、まずは千床の病床を急ごしらえした火神山医院に駆けつけた。そして病院のロビーで、テレビ画面の向こうに立ち並んだ医師たちに向かって、説教を始めた。使っていたマイクも、習主席から約一メートル離れて置かれていた。 次に、画面越しの八一歳の重症患者の老夫に向かって、「武漢必勝! 湖北必勝! 全中国も必勝!」と拳を振り上げた。続いて病院の車寄せに立ち、病院幹部らと距離を置いて、再び説教を始めた。直立不動の幹部たちは時折、機械仕掛けの人形のように一斉に拍手する。 習主席はその後、三二人の感染者を出した東湖新城社区のマンション群に入り、社区の幹部やボランティア一〇人ほどを遠くに座らせて、三たび説教。場所を会議室に移して、湖北省と武漢市の幹部たちを離れて座らせながら、四度目の説教(重要講話)を述べたのだった。 ===== 習近平主席の武漢入りは、習政権が「ウイルスとの戦争」に勝利しつつあることを内外に誇示する狙いがあった。 国内的には、「復工復産」(工業と産業の復興)をスローガンに、再びアクセルを踏み始めた。一月から二月の工業生産は前年同期比で一三・五パーセントも落ち込んでおり、早急に立て直す必要があった また対外的には、パンデミック(世界的流行)に際して、中国がいち早く克服した「戦勝国」として、対処法を世界に伝授し、援助物資を供給していくリーダーになるという意思を示したのだった。 こうして、何事にも強気、強気の習近平政権は、「反敗為勝(ファンバイウェイシェン)」(敗北を勝利に変える)で、内外に中央突破を図っていった。四月八日には、武漢の封鎖を七六日ぶりに解除。「自由・民主の欧米社会」よりも「中国の特色ある社会主義」の方が危機に強いことを誇示した。 習近平主席には、誰にも負けない「二つの長所」がある。一つは我慢強さだ。忍従に忍従を重ねてトップの座を掴んだように、今回のコロナウイルス騒動でも、忍従して政治的及び経済的に捲土重来を図ろうとするだろう。 もう一つは強運である。中国では俗に、「小事は智によって成し、大事は徳によって成し、最大事は運によって成す」と言う。習主席の半生を振り返ると、恐るべき強運の持ち主であることが分かる。 習近平主席は、忍従と強運をもって、この最大のピンチを脱することができるのか。そしてアメリカと肩を並べ、いつの日か凌駕することができるのか。六六歳の皇帝様に問われているのは、コロナウイルスの終息と同時に、「二一世紀の人類にふさわしい政治システム」という壮大な命題に対する解でもある。 ※転載前半:中国経済は悪化していたのに「皇帝」が剛腕を発揮できた3つの理由 近藤大介(Daisuke Kondo) 1965年生まれ。東京大学教育学部卒業、国際情報学修士。講談社(北京)文化有限公司副社長を経て、『週刊現代』特別編集委員、現代ビジネス連載コラムニスト。専門は中国、朝鮮半島を中心とする東アジア取材。2008年より明治大学講師(東アジア論)も兼任している。新著に『アジア燃ゆ』(MdN新書)、『中国人は日本の何に魅かれているのか』(秀和システム)、『ファーウェイと米中5G戦争』(講談社+α新書)がある。 【関連記事】すばらしい「まだら状」の新世界──冷戦後からコロナ後へ 当記事は「アステイオン92」からの転載記事です。 『アステイオン92』 特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」 公益財団法人サントリー文化財団 アステイオン編集委員会 編 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)