<殴打・刺殺された遺体が見つかった事件は29人もの事情聴取のうえで、警察自殺と発表。その理由は?> インドネシアの民放テレビ局「メトロテレビ」の局員で編集スタッフのヨディ・プラボウィ氏(26)が7月10日に南ジャカルタの高速道路脇空き地で遺体となって発見された事件を捜査していたジャカルタ首都圏警察は7月25日、ヨディ氏は自殺とみられるとの捜査結果を明らかにした。 警察は発表の中で自殺と思われる理由を5点挙げているが、いずれも自殺を決定づける十分な証拠とは言い難く、周辺関係者の聞き込み、専門家の分析結果などに基づくとその判断理由を説明している。 遺体発見2日後の12日、首都圏警察は「ヨディ氏の死亡は他殺による殺人事件である」と堂々と断定した発表をしていた(関連記事:「インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然」)。さらに17日には「現場から殺人を示す可能性のある新たな証拠発見」とまで発表していた。その警察が一転して他殺説から自殺説に180度転換して事件捜査の幕を下ろそうとしている。 その背景や理由を巡ってインドネシアのマスコミの間では憶測が飛び交う事態となっている。 自殺と判断した5つの理由、警察 首都圏警察犯罪捜査課のトゥバグス・アデ・ヒダヤット課長が地元メディアに示した自殺と判断した5つの根拠は①精神的に落ち込み一種の鬱の状態にあったと思われる②凶器のナイフを自分で購入していた③恋人や親友との人間関係が上手くいっていなかった。④遺体発見現場以外に本人の血痕が飛び散っていなかった⑤刺し傷に浅深があり、防御創がない、というものである。 細かくみていくと、①のうつ状態の可能性というのはヨディ氏が事件前にジャカルタ市内中心部にあるチプトマングスモ総合病院の泌尿器科を訪れて医師と相談し、自らの意思でHIV(エイズ)検査を受けていたほか、麻薬の一種であるアンフェタミンが検死の際の尿検査で検出され、麻薬常用が疑われることからエイズ感染の可能性に悩み、精神的な不安定と麻薬服用による幻覚症状に見舞われていた可能性がある、としている。 また②のナイフ購入は7月7日の失踪当日の出勤途中である午後2時過ぎにジャカルタ西郊タンゲランにある大型量販店で犯行現場から回収されたナイフを購入した記録があり、自殺を考えた購入とみられること。③は恋人との関係が上手くいかず、「死にたい」と周辺に漏らしていたという証言がある④遺体の周辺にしか本人の血痕がなく、第3者が遺体の周辺にいた形跡、痕跡が全くない。 ⑤について首と胸にある3つの刺し傷は深さ2センチと浅く、胸と首を刺した2つの傷が深くてこの2つが致命傷になったとみられるとしている。浅い傷はためらい傷であり、他者による襲撃を防ごうとした防御創もない。などが自殺を裏付ける理由として考えられるというのだ。 ===== 5つの理由には疑問点ばかり --> 5つの理由には疑問点ばかり だが、これまでの捜査や通常の殺人捜査(特に日本の警察の場合)のケースからみて不可解な点が多く含まれていることも事実である。例えばHIV検査を受けた病院によれば検査結果はヨディ氏の死までに判明しておらず、当然本人はその結果を知らなかった。つまりHIV検査は自殺動機にはならないということである。 さらに本人が購入したとされるナイフだが、当初の警察発表では凶器とみられる血痕の付いたナイフが遺体の周辺から回収され、それとは別のナイフがヨディ氏のジャケットのポケットから発見されたとしており、このナイフを巡るに謎には全く言及していない。 恋人との関係も遺体発見後の警察の事情聴取に対してこの恋人は「7年間の交際で近く結婚する予定もあった」と述べて交際が順調だったことを明らかにしている。恋人との交際にHIVが関係しているとしてもその検査結果は知らされていないのだ。ただ一部報道で死の数日前に恋人ともう一人のヨディ氏に好意を寄せる女性と3人で会い、どちらの女性を選ぶことを迫られたとの情報があり、女性関係に問題があったという指摘もある。ただこの時は長年交際してきた恋人をヨディ氏は選んだというので、それが自殺の動機になるかどうかは疑問である。 血痕の飛散状況に関しても当初は他の場所で殺害して運ばれ、人目につかない高速道路脇に放置したとか高速道路から投げ捨てたとの見方もあり、血痕の飛散状況が自殺の決め手の一つになるとの見方は説得力に欠ける。 致命傷となったナイフによる首と胸の深い刺し傷に関しても、利き腕と刺した首の傷、胸の傷との位置関係、刺し口の形状からナイフを順手で握ったのか逆手で握ったのか、刃の向きは内向きだったのか外向きだったのか。ナイフ握り部分から指紋は検出されたのかなどという初歩的な鑑識結果すら警察は言及していない。またインドネシアのマスコミもそこまで突っ込んだ質疑を警察にぶつけた様子もない。 また7月17日に「テンポ誌」が報じた「殺人を示唆する新たな証拠」として遺体の周辺から発見回収された毛髪に関して「被害者か捜査関係者かあるいは第3者の容疑者の毛髪である可能性もあり鑑定中」との件に関しても一切言及がない。 被害者、捜査関係者の毛髪はサンプル採取で鑑定が可能であり、排除することができる。そのどちらでもない場合は第3者の可能性が残り、捜査にとっては重要な手掛かりとなるはずなのだが。 ===== 遺体隠した葉、殴打痕への説明なし マスコミの間では事件発生直後からヨディ氏の財布や現金、携帯電話など所持品が一切奪われていなかったことから「物取りの犯行」は除外され、ヘルメットをかぶったまま首や胸を刺されていることから激しい怨恨に基づく殺人事件として顔見知りの犯行説が浮上していた。そして事件直後から警察が重点的に事情聴取をしていた29人の関係者の中に重要参考人が含まれているとの見方が強まっていたことも事実だ。 さらにヨディ氏の遺体が発見された時に遺体の上には大きなバナナの葉が2枚、遺体を隠すように置かれていたこと、さらに警察の解剖所見で刃物による刺し傷以外に殴られた痕とみられる箇所が複数あったことなど警察が「他殺説」を当初とった理由に関する合理的説明もなされないままの「自殺説」という結論に対して疑問の声がでる事態となっている。 腐敗体質が依然として残る警察組織が有力な容疑者を隠蔽したりすることはいくら何でもありえないだろう、という見方は強い。そうなると「自殺説への変更」の背景として「捜査が完全に行き詰まりお手上げ状態になったものの世間の注目が高く、何らかの捜査結果を出さなくてはならない」という状況から導き出されたのが「自殺説」との分析が浮上している。 つまり初動捜査段階から警察はミスを重ねて、当初自信をもって主張していた「他殺説」の立証が極めて困難な局面に陥ったという見方である。 それを裏付けるという訳ではないものの、会見で「自殺の可能性が極めて高い」と結論を出した犯罪捜査課のトゥバグス課長は「もし別の情報や証拠があるならば、我々はそうしたあらゆる可能性のためにドアは常に開けてある」とも会見で述べているのだ。 これは警察としては現時点では最善の捜査を尽くたが、見落としている点や未知の情報、証拠があるならばいつでも捜査をするという釈明、言い訳といえないだろうか。 ヨディ氏の父親は25日、テレビ局の取材に対して「警察の自殺という結果には全く満足していない。いつもと変わったところがなかった息子が自殺するなどあり得ないと確信している」と述べて、警察の捜査結果に対して疑問を露わにしている。 インドネシア警察が自らその能力不足を認めているようにも聞こえる発言に対してヨディ氏の家族や恋人、知人からも納得する声は聞こえてこない。 [執筆者] 大塚智彦(ジャーナリスト) PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など 【関連記事】 ・コロナ危機で、日本企業の意外な「打たれ強さ」が見えてきた ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・がんを発症の4年前に発見する血液検査 ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然   ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年8月4日号(7月28日発売)は「ルポ新宿歌舞伎町 『夜の街』のリアル」特集。コロナでやり玉に挙がるホストクラブは本当に「けしからん」存在なのか――(ルポ執筆:石戸 諭) PLUS 押谷教授独占インタビュー「全国民PCRが感染の制御に役立たない理由」 ===== 防犯カメラに写っていたヨディ氏 ジャカルタ首都圏警察は7月25日、ヨディ氏は自殺とみられるとの捜査結果を報告し、防犯カメラに写っていたヨディ氏の映像などを公開した。 KOMPASTV / YouTube 【関連記事】 ・コロナ危機で、日本企業の意外な「打たれ強さ」が見えてきた ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・がんを発症の4年前に発見する血液検査 ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然