<世界に感染症封じ込めの模範を示し、各国を支援する姿勢を示した台湾。どうやってそれを可能にしたのか。「この成功は偶然ではない」と、蔡英文総統は言う。本誌「台湾の力量」特集より> 台湾で新型コロナウイルスの感染者第1号が見つかったのは今年1月21日のこと。中国の武漢で働く台湾人女性が帰郷した際、台北郊外の桃園国際空港で発熱などの症状を訴え、検査により、翌日に感染が確認された。 同じ日、アメリカでも最初の感染者が確認されていた。日本ではその5日前だ。ただし、いずれも中国籍の人。「中国籍」以外では、この台湾人女性が患者第1号だった。 あれから半年。日本は今も新型コロナウイルス感染症による死亡率では世界の最低水準にあるが、感染者は7月10日の時点で2万人を超えている。アメリカでは感染者が爆発的に増えて320万人を突破、既に13万人以上が死亡している。 台湾は、中国大陸から海峡を挟んで約150キロしか離れていない。台湾が中国本土と同様に新型コロナに汚染され、世界で2番目のアウトブレイク(感染症の爆発的拡大)に見舞われる可能性は十分にあった。 しかし、そうはならなかった。新型コロナウイルスは世界中で猛威を振るっているが、台湾では7月11日段階でも感染者はわずか451人、死者は7人にとどまる。感染者の大半は海外から帰還した台湾人で、4月12日以降は島内での新規感染者は出ていない。 こうして世界に感染症封じ込めの模範を示した台湾は、コロナ禍に苦しむ各国を積極的に支援する姿勢を打ち出し、自身の国際的なイメージの改善につなげようとしている。しかし「台湾は中国の一部」と主張する中国共産党は、台湾とその2300万の住民を国際機関からも国際協力からも排除する決意を固めている。その先に見据えるのは、もちろん台湾の併合だ。 決め手となった初動の早さ 「この成功は偶然ではない」。台湾の蔡英文(ツァイ・インウェン)総統は4月に、米タイム誌への寄稿でそう述べた。「医療専門家や政府、民間、社会全体の努力が合わさって強固な防御ができた」 台湾は、まだウイルスの正体が分からないうちから感染対策に着手していた。昨年12月31日、専門家向けのインターネット掲示板をチェックしていた台湾CDC(疾病対策センター)の医師が、李文亮(リー・ウェンリエン)という名の中国人医師のメッセージのスクリーンショットに気付いた。そこには武漢の海産物卸売市場で発生した「SARS(重症急性呼吸器症候群)の7症例」が詳述されていた。 台湾当局はその日のうちにWHO(世界保健機関)に電子メールを送り、武漢の患者が「治療のために隔離」されたことへの注意を促し、それは「ヒト・ヒト感染」の可能性が疑われるからではないかと指摘した。しかしWHOは動かなかったと、台湾側は主張している。 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された 【関連記事】さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 ===== 「市民に隠し事をせず反応が早い」と評価されている蔡総統 LIN YEN TING-SOPA IMAGES-LIGHTROCKET/GETTY IMAGES 問題のウイルスに懸念を抱いた台湾の保健当局は、その夜には武漢からの渡航者全員の検査を開始した。そして1月11日に行われる総統選挙に備えて中央感染症指揮センター(CECC)を設立。感染拡大の阻止に向けて省庁間の協力を円滑にする態勢を整えた。 だから、1月21日に感染者第1号が見つかった時点で準備は万端だった。早めに手を打っていたから、世界中に感染が拡大しても台湾は平穏な社会の営みを保つことができた。ロックダウン(都市封鎖)も休校もせず、飲食店や居酒屋の休業を強制することもなかった。 それだけではない。台湾はこれを機に国際舞台でかつてないほどの存在感を発揮した。これは今後、台湾の主権をめぐる戦いで生き残るためのカギになるかもしれない。 「私たちの不屈の精神は、それが最大の難関でも乗り越えるために結束するという意欲に由来する」。蔡はそう書いている。「何よりも世界の皆さんと共有したいと私が願うのは、難題を克服しようと共に戦う人々の能力は無限だという認識です」 寄稿を締めくくったのは、「台湾は手助けできる」というスローガン。実際、台湾は諸外国に大量のマスクや防護用品を寄付してきた。その実績と自負があればこそ、5月のWHO年次総会への参加を求めもした。 取材に応じた唐鳳(タン・フォン、オードリー・タン)デジタル担当相は、自身のノートパソコンに貼ってあるそのスローガンを指さして、笑顔で言った。「このとおりになったでしょう」 台湾は見事なウイルスの感染拡大封じ込めで国際社会の称賛を得た。その対策には強制的な検疫・隔離も含まれていた。しかし一方で、行政の透明性を維持し、住民には冷静なメッセージを送り、信頼関係を構築してきた。 台湾の有権者は民主主義への関心が高い。蔡は1月の総統選で再選を果たし、投票率は74.9%もの高水準を記録した。香港の混乱を横目に、蔡は一貫して主権の維持を強く訴え、台湾が香港と同じ運命をたどることはないと約束して支持を集めた。 実際、蔡政権は有権者とのコミュニケーションを大切にしてきた。昨年には人気も実績もあるベテランの蘇貞昌(スー・チェンチャン)を行政院長(首相)に起用する一方、2014年の学生運動、いわゆる「ヒマワリ運動」を率いた活動家らを与党・民進党の主要ポストに据えてもいる。 いずれも1996年の民主化(総統公選制の導入)以来、民主主義の理想を高く掲げてきた民衆の熱い思いに応える人事だった。世界に冠たる医療制度を築き上げ、統治のデジタル化を推進できたのも、政府と有権者の信頼関係があればこそ。今回の新型コロナウイルス対策では、その威力が存分に発揮された。 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された 【関連記事】さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 ===== SARSの教訓から迅速に入場規制 ANN WANG-REUTERS 感染者第1号が確認された後、政府は素早く動いた。直ちに中国本土からの入国を禁じ、感染者を隔離する一方、スマートフォンを活用して感染経路を突き止め、感染者と接触した可能性のある人たち全員に警告メールを送った。民間企業にマスクの増産を要請し、工場に兵士を送り込んで、生産量を1日188万枚から2000万枚に増やした。 こうした対応の全ては、CECCが2月に作成した124の行動項目リストに含まれている。このリストを参照し、台湾の実践例に倣った国も多い。ニュージーランドは早い段階で大規模な集会を規制したし、イスラエルも台湾での成功に着目してスマホを活用し、国民の自宅待機を効率よく監視した。 感染の封じ込めに成功した台湾政府は政策の焦点を「医療外交」に移した。伝統的な友好国はもちろん、中国とのつながりが深いアジアやアフリカ、中南米の諸国にまで手を延ばしている。タンに言わせれば、こうした国際協力こそ「台湾は手助けできる」路線の本質だ。それは政府の対応だけでなく、政府と民衆の間に築かれた信頼から生まれる。台湾の成功の「根底には政府と人々が共有するSARSのトラウマがありその集合的記憶ゆえに社会が一体となって動ける」のだ。 2003年のSARS流行のとき、台湾では73人が犠牲になり、台北市内の病院が2週間にわたり封鎖される事態も起きた。その経験から、台湾の病院は毎年、パンデミックに備える訓練を行ってきた。 その記憶は民衆レベルにもしっかり刻まれていて、だからこそ手洗いの徹底やソーシャルディスタンス(社会的距離)の確保、そしてマスクの着用といった要請を確実に行動に移すことが可能だった。 新型コロナウイルス対策の実施に当たって、台湾の公衆衛生当局は民衆に対し、対策の成功には民衆の協力が欠かせないことを常に強調していた。この点が大事だと、米オレゴン州立大学の紀駿輝(チー・チュンホイ)教授は指摘している。 衛生福利部長(保健相)の陳時中(チェン・シーチョン)も、台湾の成功はしっかりした政策と住民の協力、そして創造性が合わさった結果だと述べている。元副総統で疫学の専門家でもある陳建仁(チェン・チエンレン)も同意見だ。 徹底的な国民への情報提供 「政府は住民とのやりとりで隠し事をせず、とても反応が早い」と紀教授は言う。「それで結果が出れば信頼は強化される。いま台湾の人々は、他国の人々が日常生活を制限され、自宅に閉じ込められているありさまを見て、自分たちはとても幸運だったと感じている」 陳保健相は今も毎日、記者会見を開いており、記者や住民からの質問に対して冷静かつ沈着に答えるその姿勢から、台湾で最も人気のある閣僚の一人となった。「毎日の記者会見は、なんとなく聞いているだけでも自然に知識を吸収できる。だから誰もが感染症のプロ並みの情報を得られる」と、タンは言う。 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された 【関連記事】さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 ===== 蘇首相も、自らを自虐的に漫画化したキャラクターを使ってメッセージを流し、マスクの着用を促し、トイレットペーパーのパニック買いをやめるよう求めた。保健省も柴犬のキャラクターを「広報犬」に起用している。 タンはこうした手法を「台湾モデル」と呼び、「政府を市民社会から遠い存在にしないやり方」と評価する。「政府は人々のためだけではなく、人々と共に力を合わせて動く。だからそのメッセージが心に響く」 こうした政府の対策と、それを動機付ける協力の精神は、台湾の政府と民衆に新たな自信を与えた。「以前は政府も民衆も、ある種の劣等感を抱いていた。でも今は他国と対等と考えることができる」。オレゴン州大の紀はそう言った。 馬英九(マー・インチウ)前総統時代に続いた中国との緊密な関係は、2016年に蔡が総統に選出されたことで終わり、台湾が中国依存を減らし、主権を強く主張する時代が到来した。だが蔡の最終的な目標が台湾独立だと受け止めた中国政府は、台湾との公的なつながりを全て断絶。さらに台湾の外交関係を次々と盗み取り、各種国際組織に「台湾外し」の圧力をかけていった。 台湾はいわゆるマスク外交でこれに抵抗。数十カ国に計5000万枚超のマスクを寄付した。公衆衛生外交の一環として行った各国へのマスク寄付は、日本の安倍晋三首相を含む諸外国の指導者から称賛された。オーストラリア国立大学で台湾政治を研究する宋文笛(ソン・ウェンティー)は、これで「諸外国の政府や人々の間で台湾のイメージが大幅に向上した」とみる。 5月に台湾がWHOに求めた年次総会へのオブザーバー参加は、最終的には見送られたが、アメリカ、オーストラリア、欧州各国や日本からは支持が寄せられた。日本は今年の外交青書で初めて台湾を「極めて重要なパートナー」と位置付け、台湾によるWHO年次総会への参加支持を明記した。 米シンクタンク「ウッドロー・ウィルソン国際研究センター」の後藤志保子上級研究員は、「過去4年で台湾の評価は上昇している」と指摘。「これまで台湾支持に消極的だった国々が、今では堂々と台湾を支持している」と述べている。 台湾の注目度が高まっている背景には、もちろんアメリカとの強力な関係がある。 アメリカは3月、新型コロナウイルス対策で台湾との協力を発表し、ツイッターで台湾のWHO年次総会参加を支持する活動を立ち上げた。しかしトランプ政権はWHOに脱退を通告した。宋はこれで「強いリーダー不在の世界」が始まり、一時的な打撃はあっても最終的には「台湾にとってもっと自由が利く」時代が訪れる可能性があるとみている。 「台湾モデル」周知の時代に 台湾奪還のためには武力行使も排除しないとしている中国は、台湾との境界近くで軍事行動を強化している。台湾の防衛筋によれば、6月のある1週間には、中国の軍用機が台湾の防空識別圏に侵入する事態が6回も発生した。蔡政権はまた、中国が背後にいるとみられるサイバー攻撃やメディアなどを通じた偽情報拡散にも警戒心を強めている。 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された 【関連記事】さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 ===== 蔡は日本やオーストラリア、南・東南アジア諸国との関係を優先させることで、同地域における台湾の地位向上に取り組んでいる。文化・貿易面での他国とのつながりを多様化させ、中国への経済依存を減らすことを目指す彼女の目玉政策「新南向政策」の取り組みの一環だ。 西オーストラリア大学で台湾の対東南アジア諸国外交政策を研究しているラティ・カビナワは、新型コロナウイルス対策によって台湾は「中国が影響力を維持しようとするなかでも、他国との間の善意を促進し、東南アジアでの足場を固める」これまで以上に大きなチャンスを手にしたと指摘する。 台湾はアジア諸国との貿易・インフラ面の協力を維持する上で大きな前進を遂げてきたが、長年「一つの中国」政策への対応に苦慮してきた。台湾と公式な合意を結ぶことに消極的な国もあるからだ。「東南アジアでは、『一つの中国』政策への対応も一筋縄ではいかない」とカビナワは指摘する。 だが諸外国の政府は、台湾の新型コロナウイルス対策を称賛し、インドネシアなどの国々は台湾の予防策の一部をまねている。カビナワによれば、台湾がマスクや防護服などを寄付する取り組みはアジア全域で「歓迎」されている。 デジタル政策担当の若き逸材・タンの仕事も、日本をはじめとするアジア全域で注目と称賛を浴びている。彼女はデータ主導型の対応でマスクの店頭在庫確認アプリの開発を支援し、オープンソースにすることで利便性を高めた。官民一体の技術者コミュニティー「台湾零時政府」は、東京都の新型コロナウイルス感染症対策サイトの開発に協力したことでも知られている。 今日まで台湾は、国際社会でずっと肩身の狭い思いをしてきた。政治的にはもっぱら中国との関連で語られるのみで、名物といえばタピオカミルクティーくらいだった。しかし今度こそ新型コロナウイルス対策で存在感を示せた、とタンは考えている。台湾が民主主義と透明性を重んじ、世界に開かれた社会であることを証明し、感染症の脅威とも忍び寄る専制政治の暗い影とも戦う道筋を示せたのではないか、と。 「台湾モデルの存在、それ自体が」と彼女は言う。「世界の人々に新たな発想をもたらすでしょう」 <2020年7月21日号「台湾の力量」特集より> ※この記事の英文はこちら 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された 【関連記事】さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 【話題の記事】 ・台湾のビキニ・ハイカー、山で凍死 ・中国は「第三次大戦を準備している」 ・中国・超大国への道、最大の障壁は「日本」──そこで浮上する第2の道とは ・どこにも行かない台湾の「なんちゃってフライト」、コロナで旅に飢えた応募者が殺到 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月21日号(7月14日発売)は「台湾の力量」特集。コロナ対策で世界を驚かせ、中国の圧力に孤軍奮闘。外交・ITで存在感を増す台湾の実力と展望は? PLUS デジタル担当大臣オードリー・タンの真価。 ===== 本誌7月21日号「台湾の力量」特集21ページより