<「中国の一部」という呪縛から逃れて東南アジア、南アジア諸国と共にうまく中国離れを実現できるか──全ては2期目の女性総統の手腕に懸かっている。本誌「台湾の力量」特集より> これからは北(の都=北京)ではなく南(のアジア諸国やオーストラリアなど)を向くべきだ──「新南向政策」と銘打って、蔡英文(ツァイ・インウェン)がそんな経済戦略を発表したのは2016年の8月。まだ総統になったばかりの時期だった。あれから4年、2期目に入った蔡の前には新型コロナウイルスが立ちはだかる。果たして「南向」の風は吹き続けるのか。 世界中で景気が冷え込んでいる以上、いい数字は期待できない。しかし、サプライチェーンの過度な中国依存を修正する動きは今までになく加速している。一方で、今は台湾の新型コロナウイルス対策が国際的に高く評価されている。こうした状況で、2期目の蔡政権がいかに難題に立ち向かい、政策の優先順位を決めていくか。コロナ危機を「南向」の追い風にできるかどうかは、彼女の手腕に懸かっている。 南向政策の対象に含まれるのは東南アジアと南アジア、そしてオーストラリアとニュージーランド。これら諸国に進出した台湾系銀行の収益は今年第1四半期に大幅に落ち込んだ(前年同期比15.23%減)。これら諸国から台湾への観光客も、2019年には前年比6.8%の大幅増だったが、今年の見通しは絶望的。政府や政府系企業は100億台湾元(約360億円)の緊急支援で、どうにか観光業界を支えようとしている。 しかし、こうしたことは一時的な逆風にすぎない。中国政府はコロナ危機にかこつけて、今後は国民の台湾留学を禁止するとしているが、対抗して台湾政府は島内の大学に働き掛け、南アジアや東南アジアからの留学生を今まで以上に増やす取り組みを始めた。 国内で不都合なことが起きると、いわゆる「ガス抜き」のために台湾との緊張関係を高めるのは中国政府の常套手段だ。しかし中国側が強硬に出れば出るほど、台湾は南を向きたがる。もう大陸との蜜月時代には戻れないという思いは、親中派の多い産業界にも広がっている。 コロナを封じ込めた自信 世界の産業界では、中国に集中し過ぎたサプライチェーンをアジア各地に分散させる動きが始まっている。台湾勢も例外ではない。現時点ではコロナ危機の影響で、台湾からベトナムなど東南アジア諸国への投資は一時的に減速している。しかし長期で見れば、国際分業体制の構造変化は避け難いし、昨今の米中貿易戦争もあって、台湾のハイテク企業が生産拠点を南に移す流れは変わらない。現時点でも、ベトナムへの直接投資額で台湾は世界の第5位につけている。昨年末に二国間投資協定ができたこともあり、両国の蜜月は今後も続きそうだ。 【関連記事】台湾の力量:コロナ対策の原動力はスピード感、透明性、政治への信頼 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された ===== こうして見ると、コロナ危機は短期的には台湾経済にマイナスの影響を与えつつも、中長期的には「南向政策」を正当化し、その基盤を強化すると思われる。台湾政府は今後、高付加価値な製造業の島内復帰を促す一方、中・低レベルの製造業については東南アジア各国への移転を進め、欧米諸国では技術面・開発面で提携・協力するための拠点整備を急ぐことになるだろう。 ちなみに台湾は、これまでのところコロナウイルスの爆発的な感染を防ぐことに成功しており、その取り組みは国際的にも高く評価されている。自信が付いたし余裕もできたから、今は大々的な「マスク外交」を展開し、南の諸国にも大量のマスクを提供している。自治体や企業が連携してタイに1万5000着の防護服を寄付した例もある。 それだけではない。台湾の現地代表部や医療機関がオンラインで自分たちの経験を伝える取り組みも行われている。台湾貿易センターによれば、台湾の成功大学病院とインドの医療従事者1万4000人の人材交流も決まっている。 各国の要望に応じて、台湾貿易センターは感染防止製品の生産ネットワークづくりを提案してもいる。各国の研究機関とコロナ対策関連の知識を共有し、人材や資源の共有にも力を入れている。 台湾政府も4月中旬にニューヨーク・タイムズ紙に全面広告を出して「台湾は手助けできる」と宣言し、台湾の積極的な役割と技術力を懸命にアピールしようとしている。 しかし、必ずしも正当に評価されているとはいえない。例えばシンガポールの政府系投資機関テマセック・ホールディングスのホー・チンCEO(リー・シェンロン同国首相の配偶者でもある)はソーシャルメディアに「台湾、シンガポールに医療マスクを寄付」という見出しのニュース記事をアップした上で、「Errrr......(えーと......)」というコメントを添えた。 しかも数日後に、ホーは蔡を揶揄するような別の画像を載せた。これで騒ぎは大きくなり、慌てたホーは「台湾の総統に謝らねばならない。償いをしたい」という謝罪のメッセージを出した。おかげで外交問題に発展する最悪の事態は避けられたが、台湾の進めるマスク外交には水が差された。 中国を意識しながら舵取りを 中国政府の存在も影を落とす。去る4月、台湾で働くフィリピン女性がネット上で、自国の大統領ロドリゴ・ドゥテルテのコロナウイルス対策を批判した。すると大統領の広報官が暗に彼女の国外退去を求める声明を出し、「決めるのは台湾と中国だ。何しろ台湾は中国の一部だから」と付け加えた。この発言には台湾政府が怒り、台湾にあるマニラ経済文化代表部(事実上のフィリピン大使館)の代表も抗議した。 【関連記事】台湾の力量:コロナ対策の原動力はスピード感、透明性、政治への信頼 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された ===== 今回のコロナ危機でも、台湾は「中国の一部」という認識に悩まされてきた。2月上旬にはベトナムとフィリピンが、感染の震源地だった中国を発着する航空機だけでなく、台湾便の乗り入れも禁じた。台湾政府の抗議でようやく撤回されたが、それほどまでに「台湾は中国の一部」という歴史認識は強く、新南向政策の障害となっている。 蔡の2期目は5月20日にスタートした。蔡は米中貿易戦争やコロナウイルス感染拡大に目配りしつつ、新南向政策を慎重に進めていかねばならない。最大の支援国であるアメリカが南アジアに熱い視線を注いでいる今だからこそ、台湾が外交政策の舵取りを誤るわけにはいかない。 現時点で、台湾の医療・産業部門はいい位置に付けている。衛生福利省はアジアの7カ国で「1国1研究所」プログラムを立ち上げ、製薬や健康関連産業のサプライチェーン構築に取り組んでいる。 高等教育の分野でも、台湾は医療や公衆衛生における大学院レベルの教育で実績があり、東南アジア諸国に売り込めるだろう。もとより技術水準は高いから、協力を深めればアジア諸国とウィン・ウィンの関係を築けるはずだ。 新型コロナウイルスがもたらした世界の危機はやがて終わる。しかし自らの存在を懸けた台湾の闘いに終わりはない。国際社会の流れに翻弄される運命を、自力で変えることはできない。生き残るためには、台湾政府が自ら長期的な戦略を立て、変化に対応していく必要がある。 大事なのは新南向政策で結果を出すことであり、それを追い風として南への関与を続けることだ。まだ、道は半ばである。 From thediplomat.com <2020年7月21日号「台湾の力量」特集より> 【関連記事】台湾の力量:コロナ対策の原動力はスピード感、透明性、政治への信頼 【関連記事】台湾IT大臣オードリー・タンの真価、「マスクマップ」はわずか3日で開発された 【話題の記事】 ・台湾のビキニ・ハイカー、山で凍死 ・中国は「第三次大戦を準備している」 ・中国・超大国への道、最大の障壁は「日本」──そこで浮上する第2の道とは ・さらば李登輝、台湾に「静かなる革命」を起こした男 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月21日号(7月14日発売)は「台湾の力量」特集。コロナ対策で世界を驚かせ、中国の圧力に孤軍奮闘。外交・ITで存在感を増す台湾の実力と展望は? PLUS デジタル担当大臣オードリー・タンの真価。 ※画像をクリックすると楽天ブックスに飛びます2020年8月11日/18日号(8月4日発売)は「人生を変えた55冊」特集。「自粛」の夏休みは読書のチャンス。SFから古典、ビジネス書まで、11人が価値観を揺さぶられた5冊を紹介する。加藤シゲアキ/劉慈欣/ROLAND/エディー・ジョーンズ/壇蜜/ウスビ・サコ/中満泉ほか