<アニメの替え歌によるデモが日本でも話題になったタイ。だがその実態は深刻で、「とっとこ」と解決できそうにない──> 「微笑みの国」として知られるタイで今、若者や学生などの微笑みに翳りが生じようとしている。7月からバンコク市内や一部地方都市で続く学生を中心とした若者による反政府デモが、表現の自由や王政権限の縮小などタイ社会の基盤を揺るがしかねない運動に発展する可能性が生まれているからだ。 そしてこうした動きを警戒するプラユット政権が若者のデモに理解を示す一方で、デモ主催者への事情聴取を続けるなど「アメとムチ」の対応で揺さぶりをかけ、新型コロナウイルスの感染拡大防止策を適用して「3密状態を作りだしているデモを保健衛生上のルール違反とする」などのあの手この手で締め付けを強化しているのだ。 デモの若者の間では、国際社会や人権団体から批判の的となっている国王や王族への批判を一切許さない「不敬罪」への反発も拡大し、「不敬罪撤廃」の気運が「王族制度そのものへの疑問」に繋がりかねないとの警戒感も強まるなか、タイ社会に変化の予兆を感じ取る人々も増えているという。 プラユット首相、若者に「社会の混乱を煽るな」 プラユット首相は8月4日、バンコク市内などで反政府、王室改革などを掲げたデモを組織している運動家らに対して「王族に関する問題を提起して国民に運動を呼びかけることは社会の混乱を扇動することに他ならない」として厳しく取り締まる姿勢を明らかにした。 「政府は今多くの重要課題に取り組んでおり、この時期にさらに事態を悪化させるようなこと、社会の混乱を煽るようなことは巖に慎んでほしい」と4日の定例閣議後にプラユット首相は考えを明らかにして、社会的混乱につながる動きに釘をさした。しかしその一方で「タイ社会の将来を考えている若者には心を配っている。より多くの声を聞く準備があるし、若者には集会を開く権利もある」とも述べて一定の理解を示している。 目指すは「王政廃止ではなく改革」 約200人が参加した3日のデモでは人権活動家で弁護士のアノン・ヌンパ氏(35)が「国家の元首としての国王と共に民主主義を実現したいが、現在の国王の権力はシステムが規定する以上に強大である。国王、王族への敬意をもちながらもこうした問題を真剣に考え、誰もが自由に意見を公に言うことで問題を解決したい」と演説。参加者に王政制度の見直しや言論の自由の拡大を呼びかけた。 アノン氏は「我々は王政の廃止を求めている訳ではなく、あくまで改革したいだけである。それも早急に。その目的は国王をはじめとする王室と国民の共生にある」との立場を繰り返して強調。デモや運動が「反国王・反王室」という過激な目的ではないことを懸命に印象付けた。 こうした主張の背景には最高刑が禁固15年という厳しい「不敬罪」の存在がある。 【話題の記事】 ・コロナ危機で、日本企業の意外な「打たれ強さ」が見えてきた ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・がんを発症の4年前に発見する血液検査 ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然   ===== 国王の慈悲で不敬罪適用停止と首相 タイの政治・社会・文化には「国王・王室」という絶対的なタブーが長年存在し、それに挑戦するような批判や侮辱に対しては「不敬罪」が適用され、1件につき最高で禁固15年という厳罰に処せられた。 外国メディアも例外ではなく、タイ国内での発行禁止や放送禁止、記者の国外追放などが科されてきた。 ところがプラユット首相によると、2014年に同首相が政権を掌握して以来これまでに約100人が「不敬罪」で起訴されたものの、2018年9月以降はそうした事例は確認されていないとタイの人権問題NGOなどが報告している。 こうした状況についてプラユット首相は6月に「現国王の慈悲によるものである」ことを初めて確認。絶対権力者である国王自身が「不敬罪」の適用停止を指示したものであることを明らかにした。 こうした「不敬罪適用停止」という流れが若者による反政府、反不敬罪、反言論統制のデモにもつながっているとみられ、まだ小さな動きに留まっているものの、政権に主張を堂々とぶつけるという近年のタイ社会でみられなかった活動に勢いを与えているといえるだろう。 もっとも活動家や学生組織には「いつ不敬罪が復活するのか」「いつ戒厳令などの統制が厳格化されるのか」などと予断を許さない状況であるとの認識は常に共有されている。現在のプラユット首相は2014年にクーデターで政権を奪取し、軍制を長らく続けてきた軍人であることからタイ国民の胸には刷り込まれた経験値として「軍人は信用できない」との認識があるのだという。 海外活動家の拉致、行方不明事件も タイでは6月4日にカンボジアに逃れて国外から反体制、反王政の活動を主にインターネット上で続けていた活動家のワンチャルーム・ササクシット氏(37)が首都プノンペンで突然正体不明の男らに拉致され、その後消息が途絶えるという事件が起きている。 タイ、カンボジア両国治安当局は事件との関わりを否定しているが、過去の事例からしてタイ当局がカンボジア当局との共同作戦で同氏の身柄を拘束したのは確実とみられている。人権団体などはワンチャルーム氏の早期発見、釈放を求めているが消息に関する情報はほとんどなく、すでに殺害されている可能性も指摘されている。 タイではこのように国内での活動には不敬罪、国外での活動には拉致拘束という「強権発動」で反政府、反王室の動きを封じ込めてきた経緯がある。こうした過去の事例からもタブーである王室に批判的に触れることや軍事政権の面影を色濃く残す現プラユット政権への批判はしばしば生命の危険を伴うことがあるのだ。 【話題の記事】 ・コロナ危機で、日本企業の意外な「打たれ強さ」が見えてきた ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・がんを発症の4年前に発見する血液検査 ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然   ===== コロナ対策を利用した取り締まり バンコク地元警察は8月5日、3日のデモを含めたこれまでのデモを組織したり主催したりした活動家など5人を事情聴取したことを地元メディアなどに明らかにした。聴取に踏み切った理由が「3密状態となる大規模な集会を開いた」というコロナ感染対策上のルール違反の容疑としている。 ところが聴取を受けた一人であり、3日のデモで演説をしたアノン氏についてはコロナ関連容疑と同時にこれまでのデモや集会で触れた「王室改革」「不敬罪撤廃」などの主張に関しても事情を聞かれたことを「発言と活動の停止を求められた」とアノン氏自身が述べて示唆している。 警察当局はこのようにデモや集会に対してその政治的スローガンへの直接的介入をなるべく避けて、コロナの感染拡大防止対策を利用する形でプレッシャーをかける作戦を取っているものとみられており、プラユット政権も若者の動向にはかなり神経を使っていることがうかがわれる状況だ。 プラユット首相はコロナ禍への対応に全力投球する一方で、学生ら若者を中心に広がる気配をみせている反プラユット政権、不敬罪撤廃を含む王室改革、軍制の色が濃く残る議会の解散と憲法の改正などを掲げる運動への対処も求められており、難しい政権運営が求められている。 タイの人々に「微笑み」が戻ること、そして海外からの観光客が再びタイ各地の観光地に戻ることを祈りたい。 [執筆者] 大塚智彦(ジャーナリスト) PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など[ロイター]Copyright (C) 2020トムソンロイター・ジャパン(株)記事の無断転用を禁じます 【話題の記事】 ・コロナ危機で、日本企業の意外な「打たれ強さ」が見えてきた ・巨大クルーズ船の密室で横行するレイプ ・がんを発症の4年前に発見する血液検査 ・インドネシア、地元TV局スタッフが殴打・刺殺され遺体放置 謎だらけの事件にメディア騒然   ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年7月28日号(7月21日発売)は「コロナで変わる日本的経営」特集。永遠のテーマ「生産性の低さ」の原因は何か? 危機下で露呈した日本企業の成長を妨げる7大問題とは? 克服すべき課題と、その先にある復活への道筋を探る。