<中国・深圳のイノベーションはなぜ世界を席巻したのか。深圳に代表される「プロトタイプシティ」の成立条件とは何か。デジタル化が発展に与える影響などを論じた伊藤亜聖・山形浩生両氏の対談(『プロトタイプシティ』収録)を抜粋する(後編)> 「まず、手を動かす」が時代を制した――。 このたび刊行された高須正和・高口康太編著の『プロトタイプシティ――深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA)は、そう高らかに宣言する。 同書によれば、計画を立てるよりも先に手を動かして試作品を作る人や企業が勝つ時代になった。先進国か新興国かを問わず、その「プロトタイプ」駆動によるイノベーションを次々と生み出す場を、同書では「プロトタイプシティ」と呼び、その代表格である深圳の成功を多角的に分析している。 ここでは「次のプロトタイプシティ」をテーマに、東京大学社会科学研究所の伊藤亜聖准教授と翻訳家の山形浩生氏が対談した『プロトタイプシティ』の第四章(司会はジャーナリストの高口康太氏)から、一部を抜粋し、2回に分けて掲載する。 デジタル化とイノベーション、新興国と先進国......。さまざまな考察が飛び交った対談から、この後編では「プロトタイプシティ成立の条件」にまつわる議論を抜粋する。新型コロナウイルス禍を経て、深圳の次にくるメガシティはどこなのか。 ※抜粋前編「デジタル化は雇用を奪うのか、雇用を生むのか」はこちら。 ◇ ◇ ◇ フラットな世界に高層都市 高口 ここまで、イノベーションの定義とその土壌、ポスト・デジタル化時代における途上国の発展のあり方について議論してきました。続いて考えてみたいのは、深圳に続くプロトタイプシティとはなにか、ポスト深圳はどこの街になるのかという問題です。 第三章で取りあげたように、深圳は東アジアの工業化の終点という歴史的経緯があります。そこから中国内陸部、あるいはベトナムなどの東南アジア諸国連合(ASEAN)に一部の大企業が移転する動きはあったものの、深圳のような集積は生まれていません。深圳は唯一無二の存在であり、次は生まれないという見方もあります。 伊藤 エレクトロニクスにおいては、近い将来、深圳を代替するような産業集積地域が生まれる兆候はまだないでしょう。ただし、山形さんの言葉を借りるならば、いかがわしい人間が集まっては変なことを繰り返して、なにかを生み出す。そうした新興国発イノベーションの震源地は、深圳以外にも現れると考えています。 ただし、どの都市でも経済成長を続けていれば、そのうちにプロトタイプシティになるということはありません。かつてトーマス・フリードマン『フラット化する世界 経済の大転換と人間の未来』(上下巻、伏見威蕃訳、日本経済新聞出版、二〇〇六年)は、ITの飛躍的な発展によって、世界経済は一体化し、どの地域でも同等の条件で競争が可能になると主張しました。二〇〇〇年代にはBOP(ベース・オブ・ピラミッド)、つまり世界人口の過半数を占める新興国、低所得層のマーケットが高成長を見込めるホットスポットだ、というコンセプトが注目されました。 しかしながら、現在から振り返ってみれば、成長する国と市場、成長しない国と市場とにはっきりと分かれています。新興国から新たな価値が生まれるとは、なにもすべての新興国がイノベーションの源泉になるという意味ではなく、一部の条件を備えた地域になるでしょう。 「フラットな世界に高層都市」という言葉が、この状況を生み出すのにぴったりの言葉でしょう。エドワード・グレイザー『都市は人類最高の発明である』(山形浩生訳、NTT出版、二〇一二年)の一節ですが、デジタル技術の発展によって、距離に関係なく様々なリソースにアクセスできるフラットな時代になったものの、その中でもクリエイティブななにかを生み出す場所、高層都市、あるいは摩天楼はごく一部に集中している、という意味です。 【関連記事】「深圳すごい、日本負けた」の嘘──中国の日本人経営者が語る ===== 高口 高層都市、プロトタイプシティは今、どこに生まれているのか。具体的に予測することは難しい。深圳にしても、現時点では誰もが認めるイノベーションの都ですが、ほんの五年前の時点では、信じない人のほうが多かったでしょう。私は、二〇一七年にある経済誌に深圳特集の企画を提案したのですが、「ソニーぐらいの大企業が生まれてからやりましょう」と返されたことをよく覚えています(笑)。 おそらく、ネクスト・プロトタイプシティの予測は、次のユニコーン企業を探すのと同じように難しい。ユニコーン企業とは、評価額一〇億ドル以上の未上場企業を指しますが、未上場企業の評価額は株価とは違い、日々変化するものではありません。新たに資金調達する時に、いくら出資したらどれだけの株を取得できるのかを決めるための値付けです。だから、融資する側が一〇億ドル以上の価値があると予測した時点で、突然ユニコーンになるわけです。 つまり、「この会社はユニコーンになりそうだ」と、みんなが思った時点でもうユニコーンになっているわけです。プロトタイプシティも同じで、「ここが新たなイノベーションの発信源になる」とみんなが予測した時点でプロトタイプシティになっている。そのため、一歩手前の状態というものが基本的にはなく、「なるかどうかわからないが有望」の次の段階は、もう「なっている」わけです。 伊藤 おっしゃるとおり、具体的な都市名をあげて「ここがプロトタイプシティだ、ポスト深圳だ」と予想することは困難ですね。ただし、前述のとおり、プロトタイプシティになるであろう都市には、いくつかの条件が必要です。条件を吟味することは可能ではないでしょうか。 山形 一つの条件として考えられるのが、産業基盤の蓄積です。関満博(せきみつひろ)『フルセット型産業構造を超えて 東アジア新時代のなかの日本産業』(中公新書、一九九三年)という本があります。彼は、日本の製造業が持つ技術を基盤的技術、中間技術、特殊技術に区分し、ピラミッド型の技術集積構造にあると位置づけています。 底辺にある基盤的技術は鋳造、鍛造、メッキ、熱処理などの「3K職種的色合いの濃い加工技術」で、東京都大田(おおた)区、川崎(かわさき)市、東大阪(ひがしおおさか)などの中小零細企業が担う部分です。最上部の特殊技術は先端的技術であり、大企業やハイテク型ベンチャーが担い手です。中間技術は生産技術や組み立て加工に加え、コネクターや集積度の低い半導体など、一時代前の特殊技術も含まれています。 【関連記事】TikTokとドローンのDJIは「生まれながらの世界基準」企業 ===== 伊藤 もともとは、基盤的技術、中間技術、特殊技術がすべてそろうフルセット型産業構造が日本には存在していました。フルセット型産業構造とはなにかというと、鉄鉱石という原料を輸入すれば、後は日本国内ですべて加工できる。原材料さえあれば自動車や機械といった最終製品まで完成できる、というイメージです。 プラザ合意以後、円高によって日本の人件費が上がります。耐えられなくなった、付加価値の低い分野から順にアジアに移転していき、フルセット型産業構造から国境を越えたサプライチェーンの活用へと移行していきますが、一九九三年の時点でこのような未来を見通した名著です。 関が示したとおり、製造業は韓国や台湾、東南アジアを経由して、最終的には中国に集まっていく。エレクトロニクスに関しては、深圳が長期にわたって移転の終着点の座を守り続けたため、膨大な産業集積が実現しました。 『プロトタイプシティ』183ページより 図表作成:本島一宏 山形 関の示した図で面白いのが、ある製品から別の製品への転換です。図ではA財からB財への移行として描いています。特殊技術に関しては、別の製品を作る際には総取っ替えというか、応用できる部分がほとんどありません。中間技術は半々程度、基盤的技術はほとんど使える、というわけです。 キャッチアップ型工業化では、新興国が応用の利く基盤的技術をどれだけ育てられるかが工業化実現の要因になったわけです。深圳でも、藤岡淳一の言う二重構造エコシステムの外周部には無数の中小零細企業がいて、基盤的技術を担っている。その基盤的技術の蓄積が、ドローンやアクションカメラなどの新製品を、安価かつ超高速で作れる土壌になっているわけです。 深圳は、ハードウェアの三角形がしっかりしています。さらに、深圳の周囲にも補完的な産業集積があります。東莞(ドングワン)市に金型加工、深圳市に設計、広州市に自動車と関連産業など、珠江(ジユージヤン)デルタにはしっかりとした技術的基盤があります。 さらに、ソフトウェアエンジニアリングの裾野(すその)も広い。ものづくりの三角形がしっかりある上で、デジタルの三角形があるのはきわめて希少です。IoTを筆頭に、ハードウェアとソフトウェアの連携がかつてないほどに求められている時代において、きわめて大きなアドバンテージです。 もう一つ、産業基盤が必要だと考える理由があります。デジタル技術とは、ソフトウェアを作る狭義の技術以外に、広義のデジタル技術があります。それは、新たなテクノロジーによって既存の産業を作り替え、効率化するものと言い換えてもいいでしょう。ブランディングやマーケティング、原材料・部品調達、アウトソーシング工場のサーチコスト低下、物流コストの減少など、デジタル化は、今やきわめて多くの産業分野に影響を及ぼしています。製造工程にしぼったとしても、各種の自動化やロボットの導入などによる効率化は、業界を大きく変えています。 広義のデジタル化、つまり既存産業の効率化を行うためには、当たり前の話ですが、既存産業がないと成り立ちません。今まで何も産業がなかったところに生まれることはないわけです。そう考えると、深圳のように製造業の基盤があったから合理化の余地、イノベーションの可能性があったとも考えられるわけです。 【関連記事】日本の敗退後、中国式「作らない製造業」が世界を制する理由 ===== 高口 今や、デジタルトランスフォーメーション(ICTの浸透が人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させること、略称はDX)がバズワードになっているように、既存産業にいかにデジタル技術を導入するかは重要な課題となっています。 今の話で想起したのは、中国のユニコーン企業の一つ、Tuya Smartです。同社はIoT家電やスマートホーム製品を作る製造業を支援するソリューション企業です。今まで掃除機や炊飯器などを作っていた事業者が、Tuya Smartのサービスを導入すると、スマホから操作できるIoT製品を超高速で開発できるようになります。爆発的な勢いで顧客が増えているとのことで、同社広報によると、アマゾン・アレクサから動作できるスマートホーム機器の七〇%が、Tuya Smartを導入しているのだとか。 同社は浙江(ジヤージヤン)省杭州(ハンジヨウ)市にある企業ですが、設立後まもなく、深圳にオフィスを作っています。クライアント企業の多くは深圳の企業だったためです。中国のB級家電、B級ガジェットは、耐久性などではいまだにハテナマークのものが多いですが、ネット接続などの多機能化では国際的大企業にひけを取りません。 山形 ネクスト深圳を探すという意味では、そうした産業基盤がある地域は見るべきなのでしょう。インドも、以前はサービス産業誘致と言葉だけは立派なものの、実態はコールセンターが増えただけ。なんら発展性がないという、残念な時期もありました。最近では、成長したソフトウェア産業が製造業と結びついていく、新たな展開が始まっているようです。インド以外でいうと、ベトナムは製造業の集積に加え、ソフトウェアの発展も目覚ましい。エジプトも製造業が発展しつつあり、それがソフトウェア部門と連動しつつあると聞いています。 ※抜粋前編「デジタル化は雇用を奪うのか、雇用を生むのか」はこちら。 『プロトタイプシティ ――深圳と世界的イノベーション』 高須正和・高口康太 編著 KADOKAWA (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) ※画像をクリックすると楽天ブックスに飛びます2020年8月11日/18日号(8月4日発売)は「人生を変えた55冊」特集。「自粛」の夏休みは読書のチャンス。SFから古典、ビジネス書まで、11人が価値観を揺さぶられた5冊を紹介する。加藤シゲアキ/劉慈欣/ROLAND/エディー・ジョーンズ/壇蜜/ウスビ・サコ/中満泉ほか