<朝日新聞取材班による裁判員裁判の取材と被告との面会記録。本書を読んで特に際立っていると感じたのは、被告の偏りすぎた価値観と根拠のなさ、それに伴う思い込みの強さだ> 神奈川県相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」において、死傷者45人を出した大量殺傷事件が起きたのは2016年7月のこと。つまり、この夏で4年が経過したことになる。 時の経過の速さに驚かされるばかりだが、植松聖容疑者に死刑判決が言い渡されたからといって、この事件が"解決"したわけでは決してない。 被害者遺族の胸中に今も被害者への思いが残り続けていることは間違いなく、そもそも植松容疑者が「なぜ」こうした行動に至ったのか、その真意についていまだ不明確な部分も多いからだ。 今年7月に刊行された『相模原障害者殺傷事件』(朝日新聞取材班・著、朝日文庫)は、その真相に迫ったノンフィクションである。事件の1年後にまとめられた『妄信』(朝日新聞出版)の続編。 横浜地裁で今年1〜3月に行われた裁判員裁判を軸としながら、取材班による被告との面会記録を含め、朝日新聞本誌と神奈川版に掲載された記事に加筆したものだ。 取材班にとって、裁判は隔靴掻痒(かっかそうよう)だった。断片的だが重要な事実がところどころで明らかにされるのに、検察官も弁護人も私たちが期待するほどには深く掘り下げることをせず、審理は出来事の表層をなぞるようにして進んだ。 被告にもっと深く質問を重ねてほしい、もっと関係者を広く呼んで事実関係を明らかにしてほしいと感じた瞬間は、一度や二度ではなかった。(「まえがき」より) しかしそれでも、知られざる多くの事実が法廷で明らかにされることにはなった。報道だけでは知り得ない、被告のさまざまな側面が見えてくるのである。 とはいえ、それでも解消できない疑問はやはり多い。そこがこの事件の厄介なところだと感じる。端的に言えば、植松被告の考え方やそれに伴う行動は、一般常識から乖離しすぎていて理解しづらいのだ。 特に際立っているのは、偏りすぎた価値観と根拠のなさ、それに伴う思い込みの強さである。 いい例が、重度障害者を「心失者」という造語で十把一絡げにしている点だ。そのことについてはたびたび報道されているが、本書に収録された取材班の問いかけに対する(自信に満ちた)答えにも、何度読み直したところで理解できない部分がある。 例えば以下は、2018年10月4日に横浜拘置支所で行われたという面会の記録である。 ――「心失者」とそうでない人で分かれるのは、障害の程度の差か そういうことです。理性と良心を持たないのが「心失者」です――理性と良心を持たないとは具体的にはどういうことか 自分のことしか考えていないこと――裁判に向けての心境は 裁判のことは今は考えていません。いつになるとも聞いていないですし――責任能力があると診断されたと聞いている。それについてはどう思うか(※精神鑑定結果を踏まえ、検察が責任能力を問えると判断して起訴していた。裁判所の依頼による2度目の鑑定でも、1度目と同趣旨の結果が得られた) 責任能力がなかったら死刑にすべきです――つまり、「責任能力がないイコール心失者」ということか はい。人間じゃないから、心失者ということです(60~61ページより) 【関連記事】2週間に1度起こっている「介護殺人」 真面目で普通の人たちが... ===== まず、被告の偏った価値観を代弁する部分がここにある。「責任能力があると診断されたことについてどう思うか」とは、被告の責任能力についての問いである。ところが被告の「責任能力がなかったら死刑にすべきです。人間じゃないから、心失者ということです」という返答では、"責任能力のない対象"が殺された障害者にすり替わってしまっている。 しかも以後のやりとりを確認する限り、本人は「すり替えよう」としたのではなく、「すり替わっている」ことに気づいていない。そんなことよりも、持論を展開することにしか意識が回っていないのだ。堂々としている割には一貫性がなく意味不明な主張は、そのことを確信させる。 その証拠に、自分に科せられたはずの殺人罪についての答えにおいても主客が転倒する。 ――殺人罪について、どういう認識か 人間はやり直せると言いますが、立ち直らない人間もいます。社会的不幸が多々あります。それがなくなれば、死刑もなくなるし、犯罪もなくなります――どういうことか 凶悪犯は、親に捨てられたり虐待を受けたりするなど、かわいそうな話が世の中にたくさんあります。そういうことを経験すると、心失者になってしまいます――起こした事件については、そういった社会的不幸が基になっているのか 世界が戦争状態だったからです。不幸だから戦争をしている。私は子どもと女性を守るため、それから大金持ちになるために事件を起こしました――子どもと女性は、なぜか 子どもと女性は不幸を受けやすいからです――大金持ちになるというのは、なぜか 社会貢献をすればお金をもらえると思っていたんですが、虫が良すぎましたね。甘かったです。心失者は莫大な利権を持っています。それを壊すとなると、命を使わないといけない。リンカーンも国民(奴隷)を解放しましたが、それなりの報復は受けるのかな、と思っています――つまり、起こした事件は社会のためだったが、いいことをしても反対派が出てきて報復を受けてしまうという認識か はい(61~62ページより) 死刑判決が確定した後の2020年4月2日(つまり最近である)の面会時の答えまで、一貫してこの論調が崩れることはない。だから読んでいると、少なからず頭が混乱してしまう。 明るく社交的、クラスのリーダー的存在だったらしいが 交際女性の証言 女性は2014年8月ごろ、被告から電車内で声をかけられ、LINEのIDを交換。2日後に被告の家に行き、交際が始まった。 被告は友人が多く、女性との予定が入っていてもドタキャンが多かった。「もう少し一緒にいる時間を作りたい」と話すと、「友達との時間を割いてまでお前と会う時間を作るつもりはない」と言われた。衝撃で涙が止まらず、そのまま別れた。同年冬ごろのことだった。 被告から連絡があり、1年後の15年冬から事件発生まで2度目の交際をした。(163~164ページより) 【関連記事】人殺しの息子と呼ばれた「彼」は、自分から発信することを選んだ ===== 性格は明るく社交的。学生時代も、クラスのリーダー的存在だったという。なにかともっともらしい理屈を並べてみせるのも、頭の回転は悪くないからなのかもしれない。 だが、物事の理解の仕方が極端に偏りすぎているので、ひとつひとつの主張が大きく空回りしているのだ。 2018年3月から9月にかけて行われた2度目の精神鑑定では、「パーソナリティ障害の状態にあった」などと診断された。パーソナリティ障害についてどうこう主張するだけの知識は私にないが、少なくとも責任能力がないようには思えない。 また、本書を読み進めながら、心底恐ろしいと感じたことがある。 責任能力がないような状態であったから怖いのではなく、自身の極端な考え方を信じ込みすぎてしまっているからこそ怖いのだ。事実、被告は大量殺人に臨んだが、反省の念をまったく抱いていない。 それは独善的な思想以外のなにものでもない。だが周囲がどれだけ理解させようとしても、それを受け入れようとしない。意地を張ってそれを拒むのではなく、はなから受け入れる必要のないことだと信じているふしがある。 しかも、ひとつひとつの発想が驚くほどに薄っぺらい。なのに、非常に大きな自信を持っている。だから、結局は堂々巡りで終わってしまっている。そういうことなのではないだろうか? 2020年1月24日に行われた第8回公判を傍聴した社会学者の最首悟氏も、次のように語っている。自身も重度障害者の娘を持ち、被告と面会したこともある人物である。 ――この日の被告を見て何を感じましたか 本当の動機を弁護側が被告から引き出せていたのか疑問だ。被告は「お金が欲しい」「大麻はいい」と繰り返したが、その言葉に深みはなく、犯罪とは結びつかない印象を覚えた。 現代社会には、生産性のない存在を始末するという思想が蔓延している。「重度障害者は不要」という考えはこの社会に生きる者として到達したものとも言え、被告は全世界の若者に支持されると思っている。形式的な殺人罪を犯したことは認めるが、実質的な罪は犯していないと言いたいのだろう。(188ページより) つけ加えるなら、被告は「生産性」の意味を履き違えていると私は感じる。生きているということは、それ自体に生産性がある。ましてやそれは、他者の主観によってジャッジされるべきものではない。 本書には、事件で失った人への思いを明らかにする遺族の生の声も数多く収録されているが、それらを目にするとなおさらそう感じずにはいられない。 だが結局、彼は最後までそんなことを理解できないで人生を終えるのだろう。 死刑判決を受けたことについての気持ちを問われ、「前から出るだろうと思っていたので、だからどうということでもない」と答えているが、そんな中途半端な状態のまま、刑を受けることになるのだ。 そう考えると、やはり腑に落ちない部分が残る。 『相模原障害者殺傷事件』 朝日新聞取材班 著 朝日文庫 (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) 【話題の記事】 ・婚約破棄、辞職、借金、自殺......知られざる加害者家族の苦悩 ・売春島」三重県にあった日本最後の「桃源郷」はいま...... ・日本の格差社会が「お客様」をクレーマーにし、店員に罵声を浴びさせる [筆者] 印南敦史 1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。 ※画像をクリックすると楽天ブックスに飛びます2020年8月11日/18日号(8月4日発売)は「人生を変えた55冊」特集。「自粛」の夏休みは読書のチャンス。SFから古典、ビジネス書まで、11人が価値観を揺さぶられた5冊を紹介する。加藤シゲアキ/劉慈欣/ROLAND/エディー・ジョーンズ/壇蜜/ウスビ・サコ/中満泉ほか