<世界経済の停滞や格差などの問題に対し、資本主義そのものの修正を多くの経済学者が唱えてきた。しかし、根本的な解決策が見つからないなか、穏健的な資本主義とも急進的な社会主義とも異なる第三の道「急進的な市場主義(ラディカル・マーケット)」が提示され、注目を浴びている> 自由な経済活動を原動力とする資本主義は経済成長をもたらし、私たちの暮らしを豊かにしてきた。一方で、近年は先進国を中心に世界経済が停滞し、広がる格差が社会の分断を招いている。深刻化する気候変動や世界的な金融危機によって、市場の失敗や資本主義の脆さも明らかになりつつある。今まで自明の存在として受け入れてきた資本主義という仕組みが揺らいでいるのではないか。こう疑念を抱く人も少なくないだろう。 では、現代の経済が抱える困難を克服するためにはどうすればよいか。大半の経済学者は、資本主義の仕組みを修正することで、多くの問題を解決ないし軽減できると考える。適切な金融・財政政策の実施、再分配政策や金融規制の強化、炭素税の導入などを通じて、現状と比べてより望ましい経済状況が実現する公算は高い。他方で、こうした穏健的な対症療法は問題を先送りするだけで、せいぜい時間稼ぎにしかならないとする見方もある。資本主義から社会主義・計画経済への移行という原因療法を求める急進的な動きも広がっている。 エリック・A・ポズナー、E・グレン・ワイル 『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀 ――公正な社会への資本主義と民主主義革命』 (安田洋祐監訳、遠藤真美訳、東洋経済新報社、2019年) (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) 『ラディカル・マーケット』は、穏健的な資本主義とも急進的な社会主義とも異なる新たな処方箋を提示する。題名に体現されている「急進的な市場主義」こそ、著者であるエリック・ポズナーとグレン・ワイルが見出した第三の道なのだ。市場はその存在自体が善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべきだろう。うまく機能していないのであれば、市場を廃止する(=社会主義)のではなく、市場のルールを作り替える必要がある。今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義)。本書の立場は、このように整理できる。 本書が提案するラディカルな改革は多岐にわたる。本論にあたる第一章から第五章において、私有財産、投票制度、移民管理、企業統治、データ所有について、現状および現行制度の問題点がそれぞれ整理され、著者たちの独創的な代替案が提示される。先端研究によってこうしたアイデアがきちんとフォローされている点は各章に通底しており、どの章もそれだけで一冊の研究書になってもおかしくないくらい内容が濃い。中でも、第一章「財産は独占である」は、資本主義の大前提を揺るがし思考の大転換を迫る中身となっている。以下では、その斬新な主張を紹介するとともに、評者自身の評価について述べたい。 【関連記事】コロナ騒動は「中国の特色ある社会主義」の弱点を次々にさらけ出した ===== 第一章では、財産の私的所有に改革の矛先が向けられる。私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきである、と著者たちは主張する。言うまでもなく、財産権や所有権は資本主義を根本から支える制度のひとつだ。財産を排他的に利用する権利が所有者に認められているからこそ、売買や交換を通じた幅広い取引が可能になる。所有者が変わることによって、財産はより低い評価額の持ち主からより高い評価額の買い手へと渡っていくだろう(=配分効率性)。さらに、財産を使って得られる利益が所有者のものになるからこそ、財産を有効活用するインセンティブも生まれる(=投資効率性)。 著者たちは、現状の私有財産制度は、投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警鐘を鳴らす。私的所有を認められた所有者は、その財産を「利用する権利」だけでなく、他者による所有を「排除する権利」まで持つため、あたかも独占者のように振る舞ってしまうからだ。この「独占問題」によって、経済的な価値を高めるような所有権の移転が阻まれてしまう危険性が生じる。一部の地主が土地を手放さない、あるいは売却価格を吊り上げようとすることによって、地域全体の新たな開発事業が一向に進まない、といった事態を想定すると分かりやすいだろう。 代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度だ。COSTは、(1)資産評価額の自己申告、(2)自己申告額に基づく資産課税、(3)財産の共同所有、という三つの要素からなる。具体的には、次のような仕組みとなっている。 (1)現在保有している財産の価格を自ら決める。 (2)その価格に対して一定の税率分を課税する。 (3)より高い価格の買い手が現れた場合には、 (3)-ⅰ (1)の金額が現在の所有者に対して支払われ、 (3)-ⅱ その買い手へと所有権が自動的に移転する。 仮に税率が10%だった場合に、COSTがどう機能するのかを想像してみよう。あなたが現在所有している土地の価格を5000万円と申告すると、毎年政府に支払う税金はその10%の500万円となる。申告額は自分で決めることができるので、たとえば価格を4000万円に引き下げれば、税金は100万円も安い400万円で済む。こう考えて、土地の評価額を過少申告したくなるかもしれない。しかし、もし4000万円よりも高い価格を付ける買い手が現れた場合には、土地を手放さなければならない点に注意が必要だ。しかもその際に受け取ることができるのは、自分自身が設定した金額、つまり4000万円に過ぎない。あなたの本当の土地評価額が5000万円だったとすると、差し引き1000万円も損をしてしまうのである。 このように、COSTにおいて自己申告額を引き下げると納税額を減らすことができる一方、望まない売却を強いられるリスクが高まる。このトレードオフによって、財産の(暫定的な)所有者――その時点における利用者――に、正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのが肝である。財産を個人が所有するのではなく社会全体で共有し、その利用者を競争的に選ぶ仕組みがCOSTである、と解釈することもできるだろう。仮に、すべての資産にCOSTが適用されれば、富める者が独占していた財産は社会で共有される。財産を〝所有〞し続けたい場合には、自己評価にもとづく適正な資産税を払わなければならない。この税金を再分配することによって、格差問題の解消に繋げることもできる。 【関連記事】すばらしい「まだら状」の新世界──冷戦後からコロナ後へ ===== 実は、COSTの発想自体は、完全に著者たちのオリジナルというわけではない。シカゴ大学の経済学者アーノルド・ハーバーガーが、固定資産税の新たな徴税法として同様の税制を1960年代に提唱しており、彼の名前をとって「ハーバーガー税」とも呼ばれているのだ。その源流は、一九世紀のアメリカの政治経済学者ヘンリー・ジョージの土地税にまで遡ることができる。ただし、適切に設定された税率を通じて、所有者に正直な申告インセンティブを与えられることや、配分効率性の改善がそれによって損なわれる投資効率性と比べて十分に大きいことなどを示したのは、著者たちの大きな貢献である。本書は、大胆な構想と洗練された最先端の学術研究によって、ジョージ主義やハーバーガー税を現代によみがえらせ、土地をはじめ様々な財産に共同所有への道筋を切り拓いた、と言えるだろう。 現代版のハーバーガー税であるCOSTは、果たして資本主義を救うラディカルな処方箋となり得るのだろうか。社会実装のためには、次の三つの点に注意すべきだと評者は考える。 1.予算制約 租税するための現金が不足している場合に、所有者にとって価値のある財産であってもその評価額を自己申告できず、大切な財産を失う危険性がある。COSTを導入する際は、資産家や大企業が主な対象となる財産に絞った方が良いかもしれない。 2.複雑性 最適な自己評価額を見い出すためには、財産に対する需要予測をもとに、戦略的・合理的な計算が求められる。個人よりも企業の方がこうした複雑性に対処しやすい。 3.取引費用 財産の所有権を滞りなく移転するためには、人的・物的な費用がかかる。有形資産と比べて取引費用の小さい無形資産の方が、COSTの適用には向いているだろう。 以上の注意点を踏まえると、COSTは、 ・予算制約や複雑性に対処しやすい大企業を対象に ・取引費用が生じにくい無形資産などを割り当てる ような問題に活用しやすい、という特徴が浮き彫りになる。たとえば、通信事業などで使われている電波周波数帯の利用免許などが有力な適用例として考えられるだろう。ただし、ビジネスの継続に欠かせない事業免許などにCOSTを適用する場合には、次のような「生産財市場の独占化」にも注意しなければならない。 いま、二つの企業が同じビジネス分野で競争しており、事業を行うためにはお互いがそれぞれ所有している事業免許が欠かせないとしよう。ここで、ライバルの免許を獲得すれば自社による一社独占が実現できるため、高い金額で相手の免許を買い占めるインセンティブが生じる。この単純な例は、免許の所有権がCOSTによって円滑に移転することで財産市場の独占問題は解消されるものの、その財産を必要とする生産財市場において独占化が進んでしまう危険性を示唆する。こうした問題を排除するために、割り当て可能な無形資産の一社当たりの上限数・上限シェアといったルールを補完的に設ける必要がある。逆に言えば、こうした補完的なルールを組み合わせて、上述した問題点にうまく対処していけば、COSTを実装できる領域は十分に見つかるだろう。 たとえ現代の経済が多くの問題を抱えているからといって、一足飛びに資本主義を否定するのは早計だ。市場は確かに失敗するが、政府もしばしば失敗し、時に深刻な帰結を招くことは歴史が明らかにしてきた。ポピュリズムや反知性主義が世界中で台頭する中で、専門家として経済の仕組みを根本から考え抜き、しかも過激な処方箋を提示した著者たちの知性と勇気を何よりも称えたい。根本的に考え、過激に行動する。この姿勢こそが、資本主義を救う鍵を握っているに違いない。 安田洋祐(Yosuke Yasuda) 1980年生まれ。東京大学経済学部卒業。米国プリンストン大学で博士号取得。政策研究大学院大学助教授を経て、現職。専門はゲーム理論、産業組織論。主な著書に『学校選択制のデザイン――ゲーム理論アプローチ』(NTT出版)、『改訂版 経済学で出る数字――高校数学からきちんと攻める』(日本評論社)など。 当記事は「アステイオン92」からの転載記事です。 『アステイオン92』 特集「世界を覆う『まだら状の秩序』」 公益財団法人サントリー文化財団 アステイオン編集委員会 編 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年9月1日号(8月25日発売)は「コロナと脱グローバル化 11の予測」特集。人と物の往来が止まり、このまま世界は閉じるのか――。11人の識者が占うグローバリズムの未来。デービッド・アトキンソン/細谷雄一/ウィリアム・ジェーンウェイ/河野真太郎...他