<どんな内容の仕事なのか意識したこともなかったが、この本を読んだ今は分かる。「検診が簡単」は「精神的に楽」と同義ではない> 世の中にはさまざまな仕事があるが、自分の日常には関わりの少ない職種については、当然のことながら意識する機会は少ない。例えば、『メーター検針員テゲテゲ日記――1件40円、本日250件、10年勤めてクビになりました』(川島徹・著、フォレスト出版)の主役である「メーター検針員」という仕事も、そのひとつかもしれない。 時々「こんにちは、メーターの検針です」と声をかけて作業をしていく方に出会うことはあるものの、彼らが行っている仕事の内容や、そこに絡む問題などについてまでは、なかなか考えられないもだ。 でも著者によれば、仕事自体は難しいものではないらしい。 電気メーターの検針は簡単である。 電気メーターを探し、その指示数をハンディに入力し、「お知らせ票」を印刷し、お客さまの郵便受けに投函する。1件40円。 件数次第で、お昼すぎに終わることもあれば、夕方までかかることもある。仕事は簡単なので、計器番号などの小さな数字を読みとれる視力があり、体力があれば、だれにでもできる。(「まえがき――1件40円の仕事」より) とはいえ、それはあくまで「基本的な話」だ。晴れの日だけに仕事をすればいいわけではなく、雨や雪が降ることもあるだろうし、強風に耐える必要もある。それ以前に、暑さや寒さに耐えなければならない。 獰猛な犬が待ち受けている可能性も否定できず、イラついた若い男性やヒステリックな奥さんなどから、心ない言葉を投げかけられたり、理不尽な扱いを受けることもあり得るらしい。 少なくとも「検針が簡単」は、「精神的に楽」とは同義ではないということだ。 著者は大学卒業後は外資系企業に就職するも、作家になりたいという夢を捨てきれず40代半ばで退職したという人物。以後、50歳からの10年間を電気メーター検針員として過ごしてきた。 10年も続けていれば得るものもあるような気がするが、残念ながらあと数年で電気メーターの仕事はなくなってしまうのだそうだ。スマートメーターという新しい電気メーターが導入され、検針は無線化。電気の使用量は30分おきに電力会社へ送信されることになるからだ。 しかし、メーター検針員という仕事はなくなっても、本書で書いた現場で働く人の苦労はなくならないだろう。 仕事中、交通事故で死んだ検針員がいた。労災はなかった。「業務委託契約」だったからだ。私が就職時に結んだ業務委託契約書を思いだしてみても、「己の判断で行なうものとする」「己の責任で行なうものとする」というような文言がたくさんあったように記憶している。(「まえがき――1件40円の仕事」より) 【関連記事】毒親を介護する50歳男性「正直死んでくれとも思うんです」 ===== だから、何があっても"自己責任"だ。事実、著者は直接の雇用主のところへ面接に行ったときにも、「あなたは一国一城の主です。社長さんです。稼ぎは社長さんのがんばり次第です。がんばってください」と言われたという。業務委託とは、会社側が仕事をお願いするだけ。 構造としては、昨今問題化されているウーバーイーツと同じ仕組みだ。何が起ころうが、あとはすべて自分の責任で仕事をするということである。 したがって、どんなトラブルが起きようとも補償はされない。著者の住む鹿児島は「台風銀座」と呼ばれる地域だが、言うまでもなく対応は自分次第だ。 明るみを増していた空が皇徳寺台あたりで急に暗くなり、雨が落ち始め、念のために着ていたカッパにパラパラと音を立てた。そしてたちまち叩きつけるようになり、横殴りの風が吹き始めた。台風の目だったのだ。 団地の坂をくだるとき、私の前を走っていた車が風によろめいた。恐ろしかった。坂をくだりきったとき、雨はほとんど水平に降り、私のバイクは後ろからの風に押されていた。 こんなところで死んでたまるか、と目の前のガソリンスタンドに飛びこんだ。(50ページより) 急性メニエール病からくるめまいに悩まされても、仕事は休めない。植木鉢をひっくり返されたと濡れ衣を着せられる(しかし謝るしかない)など、トラブルは日常茶飯事。家にあがってブレーカーの色を確認して帰ろうとしたところ、汚れた靴下でカーペットが汚れたと100万円を請求された検診員もいたそうだ。 かように検診員には、必要以上の責任が覆いかぶさる。しかも自己責任。そして、そんな日常が10年続いた結果、いよいよスマートメーターの導入が決まる。ついに検診員が不要となることになったのだった。 ただし「明日から仕事がなくなる」というわけではなく、以後10年あまりの時間をかけて徐々に切り替えていくという説明があった。ところが業務委託の契約更新が始まると、著者は"宣告"を受けることになる。 「毎日、ごくろうさまです。暑かったり、寒かったり、たいへんですね」 支社長の隣に座っている松田課長は黙っていた。閉じた口元に力が入っていた。柔道で鍛えた表情だろうなと思う。「川島さん、もう10年やっているんですね」「はい」「昨年の誤検診は4件、突然の休みが過去1回、3日間ね。まぁ、これは急にめまいに襲われたということですね」 そうした記録が残っていたこと、そしてそれをひっぱり出してきたことに驚いた。 例年なら「ハンコは持ってきましたね。2枚とも押してください」で、5分もかからない契約更新だった。「今年で60歳。どうですか体力は続きそうですか。かなりきついんですよね」「はぁ」「川島さんのためにもですね、今回は契約の更新はしないつもりですが、了承してもらえますか」 支社長の前置きの長さは、このひと言を言うためだったのか。 松田課長は口を閉じ、人をじろりと見るあの目で私を見ていた。 その視線に、私はなんのためらいもなくなってしまった。「わかりました」と答えた。(199〜200ページより) 【関連記事】ネットの「送料無料」表記に「存在を消されたようだ」と悲しむ人たちがいる ===== こうして著者は、65歳の定年まで5年を残し、10年に及ぶ電気メーター検診員生活を終える。読者としての立場からしても、ここに出てくる会社のやり方には疑問を感じずにはいられないが、残念ながら、そういうものなのだろう。 そればかりか、同じような境遇にいる人は少なくないはずだ。今後もっと状況は悪くなっていく可能性もある。それが「現実」というものかもしれない。 しかし、だからこそ、著者の以下の言葉に安堵した自分がいたのも事実だ。 私は慎ましい生活で十分である。人生には少しのお金と、少しの生活道具があれば十分なように思う。そして多少の仕事と、自分が没頭できるものがあればよいと思う。(「あとがき――メーター検診員、その後」より) こんなふうに思っているのは、きっとメーター検診員だけではない。 『メーター検針員テゲテゲ日記 ――1件40円、本日250件、10年勤めてクビになりました』 川島 徹 著 フォレスト出版 (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます) 【話題の記事】 ・「私の20年を返してほしい」53歳ひきこもり女性──8050問題をめぐる家族の事情 ・売春島」三重県にあった日本最後の「桃源郷」はいま...... ・日本の格差社会が「お客様」をクレーマーにし、店員に罵声を浴びさせる [筆者] 印南敦史 1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年9月1日号(8月25日発売)は「コロナと脱グローバル化 11の予測」特集。人と物の往来が止まり、このまま世界は閉じるのか――。11人の識者が占うグローバリズムの未来。デービッド・アトキンソン/細谷雄一/ウィリアム・ジェーンウェイ/河野真太郎...他