<中国にとっては嫌な指導者、アメリカにとっては安心できる指導者だった安倍晋三を惜しむ> たまたまだったのだろうが、日本の安倍晋三首相が辞意を表明したのは、連続在任日数が最長を記録したのと同じ週だった。 安倍は2007年にも首相の座を1度、下りているが、今回も辞任理由は前回と同じ持病の潰瘍性大腸炎だ。安倍は2012年に首相に返り咲いて以降、支持率の急落や低迷を続ける経済、森友学園への国有地売却を巡るスキャンダルなどにも関わらず、日本政界のトップに君臨するとともに、首相として10年近く、アメリカのゆるぎない盟友であり続けてきた。米中の地政学的競争がヒートアップする中でそうしたパートナーを失うことはアメリカ政府にとって深い懸念材料だ。 安倍の後継が誰になるのか、日本政治が停滞もしくは不安定な状態に戻ってしまうのか、次の首相に安倍ほど強力な外交・防衛政策があるのかといった点は、日本のみならず同盟国にとってもライバル諸国にとっても重要な問題だ。 安倍以前の日本はボロボロだった 安倍が首相に返り咲き、日本政界に君臨するようになって8年足らず、当時の日本がどれほどボロボロだったかを思い出すのはもはや難しい。安倍が2007年に首相の職を辞してから、自民党が政権を失った期間をはさみ、 5人以上の首相が就任しては1年かそこらで交代するという時期が続いた。第1次安倍政権は失敗に終わったものの、安倍はそこから蘇り、1970~80年代の田中角栄や中曽根康弘以来の日本政界における大物となった。 デフレに終止符を打つための2%のインフレ目標といった「アベノミクス」で掲げた目標の多くは達成できなかった。だが一方で環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉に参加し、最終的には主導的役割を果たした他、法人税の減税や、電子機器など重要分野における規制緩和、外国人労働者の増加や、女性の活躍の促進(いわゆる『ウーマノミクス』)など、さまざまな面で新たな地平を切り開きもした。 経済政策が国際標準から見れば比較的、地味な印象なのに対し、安倍が戦後のいかなる首相よりも踏み込んだのは外交・安全保障政策だった。伝統的な軍隊の保有を禁じた日本憲法第9条の改正を求めたり、日本の戦争責任の解釈の一部に疑義を唱えているように見られたことで強い批判も浴びた。 だが一方で安倍は、第二次大戦における日本の役割についてこれまで以上に明確な謝罪をし、真珠湾を公式訪問したし、訪日したバラク・オバマ米大統領(当時)を広島に迎え入れもした。 <参考記事>安倍首相の辞任表明に対する海外の反応は? <参考記事>安倍政権の7年8カ月の間に日本人は堕落した ===== 要するに安倍は戦後日本を縛ってきた「足かせ」を取り払ったのだ。同盟国との防衛協力の障害となる法律を改正し、日本企業が外国と兵器の共同開発を行うことも認めた。国家安全保障会議(NSC)を創設し、毎年のように防衛予算を引き上げた。安倍の在任中、日本は(護衛艦の改修により)戦後初めて航空母艦を保有したし、F-35戦闘機の保有数はまもなく、アメリカに次いで世界第2位となる見込みだ。中国軍から離島を守るために自衛隊の水陸機動団も設立された。 安倍はアジア太平洋地域全体で外交関係の強化に努めた。中でも顕著なのが対インド関係で、ナレンドラ・モディ首相との連携が進んだ。オーストラリアや東南アジア諸国との関係も同じように深化した。 その背景にあったのはもちろん、中国の台頭だ。中国は日本にとって最大の経済的パートナーであると共に、国益に対する最もはっきりした脅威でもある。中国以外のアジア諸国に対する安倍のメッセージはシンプルだった。日本は「中国とは違って」、通商関係を維持すると共に地域の規範やルールを守っていくために手を携える相手になりうる国であり、弱い者いじめをしたりしない国だ──。 ナショナリスト呼ばわりされたが 安倍の自衛隊の近代化政策は、中国政府にとって大きな懸念対象だった。尖閣諸島周辺海域に侵入を繰り返す中国船からの防衛に力を入れると同時に、オーストラリアやインドとの防衛協力を強化。台湾とも目立たないながら緊密な関係を維持した。安倍の辞意表明で中国政府がほっとしているのは間違いないだろうし、インド太平洋地域や世界における日本の役割の拡大に向け、後継の首相には安倍ほどのエネルギーもビジョンもない人間が就くことを期待しているはずだ。 安倍の外交政策の核にあったのはアメリカとの同盟関係だ。オバマ政権時代には「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」の改定に力を注ぎ、日米同盟の深化に努めた。だが後世の人々には、ドナルド・トランプ大統領という人間を積極的に受け入れた人物として記憶されることだろう。おかげで2人の間には比類のない緊密な関係らしきものができあがった。 ナショナリスト呼ばわりされてはいたものの、安倍はアメリカ政府との協力が日本の安定と繁栄に欠かせないことを理解していた。彼のトランプに対するアプローチは中国への対抗措置という面もあったし、北朝鮮から日本をきちんと守ってもらうためでもあったし、TPPの代わりとなる貿易協定の交渉のためでもあった。 <参考記事>安倍首相の辞任表明に対する海外の反応は? <参考記事>安倍政権の7年8カ月の間に日本人は堕落した ===== 安倍は8月22日の辞任表明で、北朝鮮による拉致問題の解決やロシアとの平和条約締結、憲法改正などの政治課題を果たせなかったことを悔やんだが、全体として安倍は、その8年近い在任期間の間、アジアで最も有能かつ成功した指導者だった。最近では、新型コロナウイルスの感染爆発を回避したし、安倍が首相に返り咲いた2012年と比べると、国際社会における日本の地位ははるかに上がったし、アジアでもその他世界でもより大きな役割を果たした。 安倍は日本で最も人気のある首相でもあった。近年の様々な疑惑にもかかわらず、安倍ほど権威のある指導者はいなかった。中国も北朝鮮も、安倍の前の首相たちのような顔のない指導者が次に来るようにと祈っていることだろう。特に、安倍ほどアメリカ大統領と懇意ではない首相が望ましいと。 アメリカが安定した日本に慣れ過ぎてしまった今、今後は嬉しくない驚きが待っているかもしれない。米政府は過去10年近く、日本の指導者が日米同盟に完全に忠実で、国会でも多数の支持を得られて、世界第3位の経済大国にふさわしい役割を果たすかどうか、心配する必要がなかった。遠くない将来、アメリカと同盟国はそんな安倍時代を懐かしく思う日が来るかもしれない。 From Foreign Policy Magazine (翻訳:村井裕美) ・「中国はアメリカに勝てない」ジョセフ・ナイ教授が警告 ・中国からの「謎の種」、播いたら生えてきたのは......? ・地下5キロメートルで「巨大な生物圏」が発見される ・ロシアが北朝鮮の核を恐れない理由 ・ハチに舌を刺された男性、自分の舌で窒息死 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます2020年9月8日号(9月1日発売)は「イアン・ブレマーが説く アフターコロナの世界」特集。主導国なき「Gゼロ」の世界を予見した国際政治学者が読み解く、米中・経済・テクノロジー・日本の行方。PLUS 安倍晋三の遺産――世界は長期政権をこう評価する。