「日本の船から俺の船にぶつかってきたんだ! 俺の船からぶつかったのではない。それなのに、日本側はこっちからぶつかっていったと言い張って。日本の取調官の2人のいばり腐った態度はひどすぎた。威圧的で、怖かった」 沖縄県の尖閣諸島沖で、中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に体当たりした事件から、9月7日でちょうど10年になる。 事件発生の3カ月後、私は帰国した船長を追いかけ、彼の自宅で話を聞いている。その場でも、体当たりを仕掛けてきたのは日本の巡視船だった、と強く主張していた。 この事件を契機に、日中の国交が正常化してもずっと棚上げされていた尖閣諸島をめぐる領土問題が顕在化。2012年に日本が国有化してからは、中国の反発は一層激しくなった。 船長は何を語ったのか 習近平政権に移行してから海洋進出を強化してきた中国は、今年4月、かねて埋め立て、軍事拠点化してきた南シナ海の南沙(スプラトリー)諸島、西沙(パラセル)諸島に、新たな行政区「南沙区」「西沙区」を設置。尖閣諸島周辺海域には、同月14日から8月2日まで111日連続で中国公船が現れ、日本の領海に繰り返し侵入している。 しかも5月8日には、領海に侵入した4隻の中国公船のうち2隻が、日本の漁船を追いかけ回す"事件"も発生している。 緊張の続く尖閣諸島。そこに火をつけた10年前の事件。中国漁船の船長は逮捕・送検されたが、中国側の圧力もあって、拘留期間延期中の9月24日に那覇地検は処分保留で急遽、釈放している。「取調官の2人」とは、那覇地検の検事のことだ。 ===== 「とにかく、取り調べにあたったあの2人ときたら......」 当時の船長はトラウマを背負ったように、取り調べの話にこだわり、あからさまに嫌な顔をして、不機嫌になった。相当、気に食わなかったらしい。 「あの2人は、日本でもそのうち殴り殺されるんじゃないか。あの2人がひどいことをするから、中国と日本の関係も悪くなったんだ。両国の損失だよ」 そこまで言っていた。 「中華民族英雄」となった船長の暮らし 船長が暮らすのは、経済特区として知られる厦門(アモイ)から、車で北に2時間ほど行った福建省の港町だった。車も通れなくなるほどに建物が密集した路地を入った、石造りの3階建ての家。分厚い眼鏡に杖をついて歩く船長の母と、ショッキングピンクのスウェット上下を着込んだ妻に出迎えられて、2階の部屋に通された。 そこは20畳ほどのリビングスペースになっていて、隅にソファーセットが置かれていた。そこですぐに目についたのは、大型の薄型テレビの脇に飾られた大きな旗だった。 臙脂色の下地に金文字が書き込まれている。その右肩に「贈」とあって船長の名前が見え、そして中央に大きくこうあった。 「中華民族英雄」 送り主と日付は「一中国百姓 二〇一〇年十月一日」とある。「百姓」とは庶民のこと。10月1日は国慶節にあたり、中華人民共和国の建国式典が行われる。船長が航空機で本国に戻ったのは、9月27日だった。打ち上げ花火とブラスバンドの出迎えがあり、まさに英雄としての待遇だった。 ほどなく階段を上って、黒いジャンパーに濃いグレーのセーター、黒い細みデニムに真っ白なスポーツシューズの船長が現れた。 彼はL字に組み合わさったソファーの角に、私と膝を突き合わせるように座った。茶の産地として知られる福建省では、茶碗で煎れたお茶をおちょこのような小さな器に分けてたしなむ習慣がある。彼は手慣れた手つきで私に茶を振る舞い、ポケットからタバコを出して勧めてきた。 こんな昼間に家にいる。だから尋ねた。仕事はどうしているのか。 ===== 「仕事には、出ていない」 ぶっきらぼうに答えた。そして、すぐに言った。 「政府の人がすぐに来る。私はそれまでお茶を煎れているだけだ」 どうやら、政府の人間に気兼ねして、私との会話には乗り気ではないようだった。ところが、そのあとに日本での取り調べについて聞くと、そこでスイッチが入ったように、怒気を込めて話し始めた。 「もともとは小さいことだったのに、それがこんなに大きくなった」 そして、冒頭の話につながる。ぶつかってきたのは日本の船だ。そして、火をつけようとしていたタバコとライターを左右の手に持って、「このように向こうが曲がってきたんだ」と、熱く状況を説明する。 「もっと言わせてもらえば、私の船には魚を捕るために必要な許可証からあらゆる書類が全部あった。それなのに解放しようとしない。でも、共産党は強いから、最後には釈放されたんだ」 10年前から漁をしていたと主張 そこまで言うので、私はこう尋ねた。あそこは、中国の領土だと思っているのですか? 「もちろんだ!」 即答だった。そして続ける。 「ただ、俺たちは魚を捕るだけの漁師。政治や時事のことに関心はない。だから、向こうの船が叫べば、すぐに引き返す。それなのに、周りをぐるぐる回って、わざと阻止するんだから。この村の人は昔から役人が嫌いなんだ。警告されただけですぐに引き返すよ」 当時の日本は民主党政権下。それまでの自民党政権では、領海に入った中国漁船は違法操業だろうと、とにかく追い返せ、という指示が出ていた。それが民主党政権になって曖昧になった。そう政府関係者から聞いたのは、これよりもっとあとのことだった。 「どっちにしても、俺たちはあそこから離れたんだ。あんな場所で撃たれたくはないから。向こうの船は大きいし、銃に大砲もある。威圧感もあるし、スピードも速い。こっちはただの魚を捕る船なんだ。あんなに近いと、ぶつかることが心配。例えば、小型乗用車と大型トラックのように。俺たちは潰されちゃうよ」 10年も前から、毎年8月と9月には、あの海域で漁を続けていた、という。いったい、なにが捕れるのか尋ねると、 「剥皮魚」 と、言った。カワハギのことらしい。 ===== そこへ黒のスリムパンツ姿の若い女性が階段を上って入ってきた。東京にもいそうな小柄な女の子で、笑顔が可愛らしい。思わず、娘さんですか、と船長に尋ねると、厳しい顔で「違う。政府の役人だ」と言った。共産党の地元の役員であると知ったのは、私が解放されてからだ。 彼女は椅子を持ってきて、船長の向かいに座ると、親しそうに話を始めた。それから私にパスポートの提示を求めた。彼女はパスポート番号を紙に写し始める。 そこへ緑色の制服をまとった男が2人、階段を上ってやってきた。武装警察官だ。一人は、女性の隣に椅子を並べて座ると、やはりパスポートの提示を求めた。笑みはない。そして、あれやこれや厳しい口調で尋問してきた。 緊張が走る。その間に、私の隣にいた船長は席を立ってどこかへ行ってしまった。もう一人の警官は家族と話をしている。 ひととおりの尋問を終えて、警官は立ち上がってこちらに近づき、急に笑顔をつくって言うのだった。 「彼に接触する人はみんなパスポート番号をチェックする。あなただけ特別なことではないですよ。さあ、これであなたは自由です。話をしてもらってかまいません。ですが、奥さんがこう言っています」 その言葉を受けて、芝居じみたように船長の妻が言った。 「夫はもうどこかへ行ってしまいました。もう、話したくないと言っています」 当局の取り調べの不条理 日本の巡視船に体当たりをして、中国の領有権を主張した中国の英雄。彼は帰国して3カ月が経っても、仕事にも出してもらえず、政府の監視下に置かれた、事実上の軟禁状態にあった。 その後の中国はもっと取り締まりが厳しくなった。私もあれから5年後に中国国内で拘束され、取り調べを受ける経験をした。同情するつもりはないが、船長が取り調べの鬱憤を語りたくなる気持ちが、今ではわかる気がする。 今年も8月16日に中国の禁漁期間が明けると、尖閣諸島周辺に膨大な数の中国漁船が現れて操業を行っているという。だが、そこにカワハギを獲るあの船長の姿があるかどうかは、不明である。 ※当記事は「東洋経済オンライン」からの転載記事です。元記事はこちら。