<コロナ禍の直撃を受けて、難民キャンプの多くのロヒンギャが仕事を失い、生活が厳しくなっている> 今年1月末、筆者はバングラデシュ南東部の都市コックスバザールで麻薬密売組織の逮捕劇に遭遇した。まだ日が高い午後2時半、地元の人気観光地イナニビーチそばの橋に人だかりができている。近づいてみると、後ろ手に手錠を掛けられた屈強な中年男性が、5~6人の国境警備隊(BGB)隊員に取り囲まれ、連行されていた。 やじ馬の1人の男性に状況を尋ねると、麻薬の運び屋が逮捕されたとのこと。既に身体検査を受けた後なのか、運び屋の男性は半裸の体に地元の人がよく着用している腰巻きを軽くまとっているだけだった。車の中から条件反射でカメラのレンズを向けると、BGB隊員に窓をたたかれ、直ちに撮影データを消せと怒鳴られた。 バングラデシュでは近年、麻薬犯罪と薬物依存症者の急増が深刻な社会問題になっており、同国の麻薬取締局(DNC)によれば、2018年の薬物押収の件数は約11万9800件に上るという。密売組織はコロナ禍もどこ吹く風でビジネスを拡大し、末端で働くイスラム系少数民族ロヒンギャ難民などの脆弱層が、取り締まりを名目にした「超法規的殺人」の犠牲になっている。大量の麻薬流入と新型コロナウイルス感染症への脅威で揺れる同国の状況を調べるために1月に現地を訪ね、その後は遠隔で取材を続けた。 悪化する難民キャンプの治安 「コロナが流行し始めてから、難民に対する風当たりが強くなっている。キャンプの外に少しでも出ようものなら、地元の人に『ウイルスをまき散らすな』と罵られる。殴られた知り合いもいる」 8月、コックスバザールの難民キャンプで避難生活を送るロヒンギャ男性のウディン(47)にコロナ禍のキャンプの状況を尋ねたところ、このような悲痛な答えが返ってきた。17年8月末、ミャンマーでロヒンギャに対する激しい武力弾圧が起き、約74万人が隣国バングラデシュに逃れた。あれから3年、ロヒンギャたちは母国に帰還できないまま、今も難民キャンプで暮らす。 上下水道も整わない環境に膨大な数の難民が密集して暮らすキャンプは、5月中旬に初の感染者が出る前から新型コロナの蔓延が危惧されていた。バングラデシュ政府は3月26日から全土にロックダウン(都市封鎖)を敷き、自宅待機を要請。4月8日には難民キャンプで働く支援団体に人員の8割の削減を求めた。 さらに政府は、6月初旬にコックスバザールを感染者が特に多い「レッドゾーン」に指定。他の地域の制限が段階的に解除されるなか、難民たちは引き続き外出制限を余儀なくされた。 キャンプではこれまでに88人が感染し、6人が死亡(WHO、8月23日現在)と、爆発的な感染は見られないものの、市場や教育施設は閉鎖され、支援団体でのボランティアで収入を得ていた人の多くが仕事を失うなど、難民たちの生活は厳しさを増している。 また、「感染のホットスポット」というレッテルを貼られたせいで、地元の行政官や軍・警察、病院の医師もキャンプに近づかなくなったという。地元住民の中には「ロヒンギャはウイルスを拡散する」という偏見から接触を避ける人も多く、難民キャンプは事実上「陸の孤島」になった。 地元記者によれば、当局や支援団体の存在が希薄になったせいで、キャンプ内の治安は悪化しているという。警備が手薄になるなか過激派や犯罪組織が若者たちの勧誘活動にいっそう力を入れるようになり、麻薬犯罪に関与する人が増えているのだ。 <関連記事:ジェノサイドで結ばれる中国とミャンマーの血塗られた同盟> <関連記事:ロヒンギャ弾圧から2年、故郷ミャンマーを思う「嘆きの丘」> ===== 外出制限で麻薬需要が急増 バングラデシュでは2000年代前半から「ヤバ」と呼ばれる覚醒剤が広く流通するようになり、薬物依存症者が急激に増加した。ヤバは主にミャンマー北東部のシャン州などで製造される覚醒剤の錠剤で、ロヒンギャの居住地域だった西部ラカイン州などを経由して、難民キャンプのあるバングラデシュ側の国境エリアから全土に広がっている。価格が1錠数ドルと非常に安価なことから、依存症者の半数近くが25歳以下の若年層だ。 ミャンマーは東南アジアの麻薬の一大生産地「黄金の三角地帯」の一角を成し、1950~90年代には主にアヘンやヘロインを生産していた。現在は「クリスタル・メス」などの俗称で知られる強力な覚醒剤やヤバを大量に製造している。 国連薬物犯罪事務所(UNODC)の東南アジア・大洋州地域事務所でプログラム・オフィサーを務めるインシック・シムによれば、ミャンマー産の覚醒剤はタイ、マレーシアなどを経由して日本にも流入しているという。2019年、静岡県と熊本県の沿岸で合わせて約1.6トンの覚醒剤が押収されたが、シムはこれもミャンマーから東南アジア経由で密輸されたクリスタル・メスだと推測する。 麻薬の運び屋の逮捕現場(今年1月) CHIHIRO MASUHO ヤバを扱う密売組織の活動は、コロナ禍でも停滞することなく、むしろ活発になっている。薬物依存症者の治療や啓発活動を行う地元NGOノンゴールのラシェド・ディダルル(40)事務局長は、ロックダウンによる自宅待機で暇になった若者や、症状が悪化した依存症者が増えたことにより、麻薬の需要が高騰したと話す。外に出られなければ麻薬の入手も困難になりそうなものだが、ロックダウン中でも密売人は電話一本で指定の場所まで届けてくれる。中には注文せずとも、毎月一定量を宅配するサービスを提供する組織もあるそうだ。 ロックダウンの中、警察に見つからずに麻薬を運ぶため、密売組織も工夫に余念がない。車両の使用や市街地のルートが人目につく場合、彼らはジャングルや山中を徒歩で抜けるという。また、コックスバザール周辺の取り締まりが厳格化していることから、国境線が長く、検問が少ないインド側の国境を越える新たなルートも誕生しているとディダルルは話す。「密売組織は非常に賢く、商売の戦略にたけている。コロナ禍でも利益を増大しようと、新たな密輸ルートを開拓している」 こうした麻薬取引の末端で運び屋を担うのが、地元の貧困層やロヒンギャ難民だ。 ロヒンギャの一部は母国ミャンマーにいた頃から、バングラデシュ国境までの運び屋として地元の密売組織に雇われていた。バングラデシュに避難してからは、国境沿いの受け渡しだけでなく、キャンプに運び込まれた麻薬をバスやリキシャを乗り継いで、都市部へ搬送する仕事も請け負う。広大で迷路のようなキャンプは、密売組織にとって格好の麻薬の隠し場所だ。ディダルルは「ロヒンギャ難民が来てから、キャンプに大量の薬物が保管されるようになった」と話す。 ロヒンギャが避難してきた17年以降、バングラデシュでは麻薬犯罪が急増している。DNCは18年に約5300万錠のヤバが押収されたと報告しているが、実際には2億5000万~3億錠が国内に出回っているとする推計もある。 麻薬犯罪に関わる人の多くが依存症者で、検問で警戒されない女性や子供が運び屋に利用されるケースも多い。また、ヤバは性産業にも広く出回っており、難民キャンプでセックスワーカーをしているロヒンギャ女性(27)によれば、薬物を服用して客と性行為をした場合は400タカ(約500円)と、通常より料金が上がるのだという。 「超法規的殺人」の犠牲者 だが、難民たちは浅慮で麻薬犯罪に手を染めるわけではない。 かつてミャンマー側で運び屋をしていたロヒンギャ難民の男性(29)がこの仕事を選んだのは、父母と妻、そして4人の子供を養うためだった。ラカイン州北部マウンドー郡出身の彼は、地元の少数民族ラカイン人の密売組織に雇われ、月に1~2回、多いときで10万錠ほどのヤバを運んだ。ヤバを黒いビニール袋に入れて小さな釣り船の船底に隠すと、深夜に国境沿いを流れるナフ川を1時間ほどかけて渡り、中州で待つバングラデシュ側の運び屋に引き継いだ。1回の報酬は2万ミャンマーチャット(約1500円)だった。 <関連記事:ジェノサイドで結ばれる中国とミャンマーの血塗られた同盟> <関連記事:ロヒンギャ弾圧から2年、故郷ミャンマーを思う「嘆きの丘」> ===== 警備中のBGBに捕まりそうになり、川に飛び込んで水中に身を隠したこともあった。危険に遭遇したときはいつも「罪を犯す私を許してください、どうぞ私を危険から守ってください」と、アッラーに祈りをささげていた。 ミャンマーでもバングラデシュでも、就業の機会を著しく制限されているロヒンギャの中には、仕方なく麻薬犯罪に手を染める人が少なくない。だが、細身で真面目そうな元運び屋の男性に取引を再開しないのかと問うと、「しない」と即答された。バングラデシュでは麻薬犯罪者の多くが、無差別に殺されているからだ。 18年5月、バングラデシュのシェイク・ハシナ首相は麻薬犯罪の取り締まり強化を宣言し、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が行った麻薬戦争を彷彿させる厳しい摘発を開始した。地元人権団体オディカーによれば、19年には391人が麻薬犯罪などの容疑で治安機関によって殺害されている。 死亡者の大半はスラム出身の貧困層かロヒンギャ難民で、多くが物的証拠や正当な法的手続きなしに銃殺されていることから、市民団体は「超法規的殺人だ」と抗議の声を上げている。国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは、ロヒンギャ難民に対する無差別殺人をやめ、公平で独立した事件調査をするようバングラデシュ政府に求めたが、アサドゥザマン・カーン内相は「死亡したのはヤバの密売人で、ロヒンギャ難民ではない」と、訴えに耳を貸さなかった。 コロナ禍でも麻薬犯罪が増えているために犠牲者が減る兆しはなく、地元人権団体ASKによれば、今年2~7月の超法規的殺人の犠牲者は157人に上るという。 麻薬の運び屋だった男性(29)。家族は誰も彼が運び屋だったことを知らない CHIHIRO MASUHO バングラデシュで麻薬犯罪が減少しない理由の1つに、他に生計を立てるすべがない難民や貧困層を密売組織が搾取する麻薬ビジネスが確立していることが挙げられる。DNCによれば、薬物依存症者の非識字率は4割を超え、半数以上が失業者だという。麻薬や犯罪のリスクに対する適切な知識を持たない脆弱層が依存症に陥り、密売ネットワークの末端で組織の元締めの顔も知らないまま、危険な運び屋の仕事を任されているのだ。 麻薬犯罪は地元経済に密接に結び付いているという側面もある。搬送を手伝うタクシー運転手や、取引の場を提供するホテルなど、密売組織と手を組んで利益を得ている業者は多い。行政機関や警察、国境警備隊の職員の中には賄賂と引き換えに取引を見逃したり、摘発の情報を漏洩したりする者もいるという。 コックスバザールのタクシー運転手(24)に超法規的殺人が麻薬問題の解決につながると思うかと尋ねたところ、「警察や地元業者が麻薬で潤っている限り、ヤバの密売も超法規的殺人もなくならない」という答えが返ってきた。 キャンプで働くある援助関係者は、コロナ禍で多くのロヒンギャの若者が時間を持て余していることから、今後は犯罪に巻き込まれていく難民がさらに増えることを危惧していると話す。 「ロヒンギャ難民の半数以上は18歳未満で適切な教育も受けられず、日々を無為に過ごしている。彼らが暮らすキャンプの社会的・経済的状態は悪くなる一方で、母国への帰還のめども立っていない」と、この援助関係者は言う。「そんななか犯罪組織は簡単に搾取できる人間を探している。難民たちの将来に対する不安が日ごとに強くなっている今、犯罪に引きずり込まれる人が増えることを強く懸念している」 コロナ禍に加えて麻薬犯罪と超法規的殺人──ロヒンギャ難民にとってまさに三重苦だ。 <本誌2020年9月15日号掲載> <関連記事:ジェノサイドで結ばれる中国とミャンマーの血塗られた同盟> <関連記事:ロヒンギャ弾圧から2年、故郷ミャンマーを思う「嘆きの丘」> ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます9月15日号(9月8日発売)は「米大統領選2020:トランプの勝算 バイデンの誤算」特集。勝敗を分けるポイントは何か。コロナ、BLM、浮動票......でトランプの再選確率を探る。