主導国なき世界は経済の非効率を招き、各地で深刻な対立を引き起こす──。今から約10年前、国際社会でリーダーシップを担う国が不在となる「Gゼロ」の世界に警鐘を鳴らした国際政治学者イアン・ブレマーの予見は今、次々と現実になっている。 その後に誕生した米トランプ政権は中国との露骨な対立に乗り出し、世界経済は米中の貿易戦争の余波を受けて疲弊した。対立と不和はアメリカの同盟国にも「感染」を広げている。鋭い洞察力で国際情勢の本質を見抜いてきたブレマーは、新型コロナウイルス後の世界をどう見通しているのか。国際秩序はどのように変化し、その中で日本が進むべき針路はどこにあるのか──。本誌コラムニストで「全米最高の教授」の1人サム・ポトリッキオ(ジョージタウン大学教授)によるロングインタビューに、そのヒントを探る。 新型コロナと世界秩序 ポトリッキオ この先の世界はどうなるのか、あなたの大胆な予測を聞かせてほしい。まずは1年半後だ。 ブレマー いま起きていることには驚いていない。アメリカと中国のテクノロジー冷戦や多方面にわたる両国関係の悪化、アメリカ大統領選の結果がひどくゆがめられたものになるリスク......。どれも今年の初め、つまり新型コロナウイルスの感染爆発が現実の脅威となる前から予測されていた事態だ。だから驚く必要はない。新型コロナウイルスで何かが変わったわけではない。ただ予測された変化が劇的に加速されただけだ。 私の言う「Gゼロ」の世界は、つまるところアメリカが国際社会での指導的な役割を放棄し、結果としてアメリカの同盟諸国が分断され、衰退するロシアがアメリカやヨーロッパを恨んで手段を選ばぬ復讐に走る一方、台頭する中国がアメリカ的な基準や価値観、社会制度を決して受け入れない世界を指す。 どれも、ずっと前から予測できたことだ。私はずっと前からそう言ってきたが、みんな耳を貸さなかった。当座の商売は順調だし、世界は安定していて、目に見える危機もなかったからだ。 しかし突然、危機が降り掛かってきた。それも私たちにとっては未体験の危機、Gゼロ時代で最初の危機だ。そしてこの危機はエスカレートし、ひどくなる一方だ。 これから1年半後には、きっと5年か10年分の大きな変化が起きる。例えば新型コロナウイルスのワクチン開発だ。アメリカと中国は、協力するどころか張り合っている。お互いに非難し合い、テクノロジー冷戦は激化するばかりだ。両国の関係は日に日に悪化していて、今後もこの傾向は続くだろう。 アメリカをはじめとする主要な民主主義国で国内の不平等が拡大するだけでなく、豊かな国と新興諸国の間のグローバルな格差も拡大する。先端技術とそれを推進する企業のもたらす破壊的な影響は、ほかの経済セクターに、また資本主義そのものに、そして人々の働き方にも及ぶ。 新型コロナウイルスが新しい世界秩序をつくり出しているとは、私は思わない。その新しい秩序について、私は何年も前から語ってきた。ただ多くの西洋人が、とりわけアメリカの人が、それに気付こうとしないできただけだ。 ===== 「私が恐れるのは、コロナ危機が指導者に対して大胆な構造改革を迫るのに十分ではないかもしれないことだ」(ブレマー) ALY SONGーREUTERS ポトリッキオ あなたの感覚では、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)や国際秩序の変化について、私たちはおおげさに騒ぎ過ぎているらしい。具体的にはどんな点か? ブレマー 例えば、民主主義の諸制度が崩壊しつつあるという考えだ。困ったことだが、アメリカ人の半数はアメリカの選挙が自由でも公平でもないと見なすようになるだろう。しかし事実としてアメリカは民主主義の国であり続けるし、その諸制度は機能し続けるだろう。実のところ、アメリカがこの危機にうまく対処できておらず、今後もできないであろう理由の1つは、アメリカがあまりに豊かで、その諸制度が硬直化している点にある。 今のアメリカ人が、多くの国で歓迎されていないのは事実だ。それは残念なことだが、だからと言って米ドルが世界の基軸通貨として機能しなくなったわけではない。中国人が自分の子をアメリカの大学に入れたいと思わなくなったわけではない。アメリカ市場に投資したい、アメリカ国債を買いたいと思わなくなったわけでもない。 ドナルド・トランプ米大統領は世界の多くの指導者から酷評されているが、この政権の外交政策について言えば、意外なほど数多くの成功があったと思う。いい例がアメリカの対中政策、とりわけ5Gの通信技術に関する対応だ。この件では現に多くの国がアメリカに同調している。 アメリカの移民政策について言えば、トランプはメキシコが自費で壁を建設すると言ったが、それはもちろん実現していない。しかしメキシコは実際に南の国境警備を大幅に強化して自国への、そしてアメリカへの不法移民の侵入を食い止めている。トランプが「そうしなければ輸入品に関税をかける」と脅したからだ。これは大きな勝利だ。バラク・オバマ前大統領ではできなかった。ただし、トランプがこうした勝利を挙げたのは彼が有能な大統領だからではない。アメリカが今も世界最強の国であり続けているからだ。 私が思うに、トランプがアメリカ大統領だという事実は世界の劇的な変化の反映だという言い方は大げさ過ぎるし、騒ぎ過ぎだ。私たちがトランプを選ぶずっと前から、Gゼロ世界の到来は予見されていた。中国における習シー・チンピン近平国家主席の存在は、あの国における劇的な政策変更の表れであって、トランプがアメリカ国内でやったこととは関係ない。 もう一つ、欧州のポピュリズムやEUの崩壊についての話や懸念も騒ぎ過ぎだ。ブリュッセルで欧州単位の機関を運営している人々が非常に有能なテクノクラートであることは明らかで、先端技術に関する数々の新基準や政策、規制もうまくやっている。気候変動の問題にも、この先うまく対応していくことだろう。 ===== またヨーロッパにナショナリズムが蔓延しているのは事実だが、各国のナショナリストが一定の考え方を共有しているわけではない。だからEUを動かすテクノクラートの真の脅威にはならない。 しかもEUの頂点には剛腕のアンゲラ・メルケル独首相がいる。新型コロナ危機を受けての総額約2兆ユーロの経済復興計画や新たなEU予算はヨーロッパにおける豊かな国から貧しい国への富の再分配に等しいが、これが成立したのはメルケルのおかげだ。ヨーロッパの貧しい国々にはEUへの反感や疑念が今もくすぶっているが、少なくとも短期的には、これで抑えられるのではないか。 Gゼロ化の流れは強まり、地政学的な後退はますます深刻化しつつある。こんな状況で新型コロナウイルスのような危機が起きてしまったのは残念だが、だからと言って何もかもが壊れてしまうと、急に考え始めるのはおかしい。実際、そういう話ではないのだから。 物は考えようで、これは好ましい危機だとも言える。よほどの必要に迫られない限り、人は物事を修正しないからだ。幸せだった結婚生活が崩壊に向かっていても、何かの突発的な事態が起きない限り人は離婚に踏み切らず、惰性で現状を維持したがるものだ。 もしかしたら今回の危機でも小さ過ぎて、社会契約の在り方を変えるような構造的決断を政府に強いることはできないかもしれない。私はむしろ、それを恐れている。(中編に続く) (2020年9月8日号掲載)