<対決ムードに拍車が掛かるアメリカと中国。20世紀における両国の関係史をひもとくことなしにこの対立の今後と世界情勢は見通せない。本誌「誤解だらけの米中新冷戦」特集より> 20世紀におけるアメリカと中国の関係には複数の転換点があり、そのたびに両国の関係は劇的な変化を経験してきた。そして今、両国は新たな転換点を迎えている。第37代米国大統領リチャード・ニクソンが中国との戦略的和解に舵を切ってから約半世紀。気が付けば両国は再び、地政学的にもイデオロギー的にも露骨な敵対関係にある。 軍事とイデオロギーの両面で、アメリカと中国が初めて敵対したのは1949年のこと。毛沢東の率いる中国共産党が国民党軍を追い落とし、中国本土に共産主義の全体主義政権を樹立した時だ。 それまでのアメリカは、一貫して中国を支援していた。2度の世界大戦も同じ側に立って戦った。もちろんそれは対等な同盟関係ではなかった。20世紀前半の中国は今日のような経済大国ではなかった。長きにわたる皇帝の支配が終わり、内戦に揺れ、侵略に怯える破綻国家だった。 そして当時のアメリカは、同情心ゆえか国益のためかは別として、欧州列強とは異なる道を選んだ。慈善団体や宗教団体をせっせと送り込む一方、1937年に日本軍の侵略が始まってからは、外交的手段でひたすら中国側を支えた。 それが1950年に一変した。内戦に勝利した中国共産党が、当時のアメリカにとって最大の敵であったソ連と手を組んだからだ。それからの20年間、米中両国は外交関係も経済関係も断ち、血みどろの紛争にまで突き進んだ。1950年代には朝鮮半島で激突したし、台湾海峡でも一触即発の状況まで行った。続く1960年代には東南アジアで代理戦争を繰り広げた。 とりわけ深刻だったのは朝鮮戦争だ。中国は戦場で92万もの死傷者を出したが、はるかに強力なアメリカを敵に回して引き分けに持ち込むという大きな成果を得た。しかし中国の払った代償も大きい。アメリカは中国との貿易関係を完全に断ち、台湾と相互防衛条約を締結して、台湾奪還という中国側の野望を打ち砕いた。中国の核開発施設に対する空爆を検討した時期もある。 中国側がリベンジする機会は1960年代に訪れた。ベトナム戦争である。当時の中国は、惜しみなく北ベトナム軍を援助していた。 次の転機が訪れたのは1971年。ソ連の脅威が米中を結束させた。既に中国はイデオロギー面でソ連とたもとを分かっていた。1969年には中ソ国境付近で何度か軍事衝突が起き、ソ連は30万の兵力を国境地帯に配備、核兵器の使用も検討していたとされる。 ===== そこでアメリカが動いた。ニクソン政権の国家安全保障問題担当補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは、いまアメリカが中国政府に接近すれば地政学的な力のバランスが動き、アメリカは宿敵ソ連に対して優位に立てると考えた。そこで、まずはキッシンジャーが1971年7月にひそかに訪中。歴史的なニクソン訪中は翌年2月だった。両国関係の完全な正常化は1979年まで待たねばならなかったが、ともかくアメリカの対中政策は封じ込めから「関与」へと転換したのだった。 もちろん、この転換は一朝一夕に起きたのではない。「関与」の目的は時代によって変化してきた。 1972年から89年までは、宿敵ソ連に対抗する安全保障上の準同盟国という位置付けが大きかった。典型的なのは1980年代。現実主義者の鄧小平が率いる中国とアメリカは友好的な関係を維持できた。中国側も、それが貧困からの脱出に不可欠なことを承知していた。 しかし、この蜜月時代は2つの出来事によって終止符を打たれた。まずは1989年6月の北京・天安門広場における民主化運動の圧殺。これで米中関係は一気に冷え込んだ。そして1991年にはソ連が自滅して冷戦が終結。これで、アメリカが東アジアの共産主義独裁国に関与し続ける戦略的な価値はなくなった。 だからアメリカは1990年代前半に中国の位置付けを変えた。もはや中国は安全保障上のパートナーではないが、国際的に孤立させれば新たな、そして危険な敵になり得ると考えた。そこで選択されたのが、「ヘッジ政策」という戦略だ。中国への関与は継続する一方、中国の台頭に対しては先端技術の移転禁止や、日本や韓国との安全保障面での同盟強化で対抗し、将来的なリスクをかわす戦略である。 実を言えば、このヘッジ政策には米国内でも批判が絶えず、中国政府からも疑念を持たれていた。しかし、ともかく1990年代はそれで乗り切れた。1990年代半ばに台湾海峡を挟んだ危機が高まった時期はあるが、それでも熱い戦争にはならなかった。 アメリカが「関与」を続けた訳 ソ連崩壊からの約20年で、この限定的な関与政策が初めて揺らいだのはジョージ・W・ブッシュ政権が発足した2001年だ。同政権を牛耳るタカ派は中国を最大の脅威と見なして徹底した封じ込めを唱えた。同年4月には米軍の偵察機と中国の戦闘機が海南島上空で空中衝突する事件が起き、一気に緊張が高まった。 一触即発の危機だったが、9月11日にアメリカ本土で同時多発テロが起き、流れが変わった。ブッシュ政権はアフガニスタンとイラクに攻め込んで戦争の泥沼にはまり、中国を相手にする余裕を失った。 ===== 今にして思えば、その後の10年で中国はアメリカとの差を急速に縮めた。2000年当時、中国のGDPは1兆2000億ドル。対するアメリカGDPは10兆ドルだったが、2010年には中国が6兆ドルで、アメリカが15兆ドル。アメリカの中国に対する経済的優位性はわずか10年で8.3倍超から2.5倍にまで縮まっていた。そしてドナルド・トランプが大統領になった2017年には、2倍を割り込んでいた。 これまでのアメリカが限定的ながらも中国への「関与」を続けてきたのは、中国民主化の甘い夢を見ていたからではない。経済的にも軍事的にも、中国とは圧倒的な差があると信じていたからだ。 しかし、この10年でその前提が崩れた。さらに中国は南シナ海に軍事拠点となる人工島を建設し、「一帯一路」構想を通じてアジアから欧州にまで勢力圏を拡大しようとしている。だからこそ、いまアメリカでは「関与」政策の是非が問われ、対決ムードに拍車が掛かっている。この先、これが冷戦以上の敵対関係に発展せねばいいのだが。 <2020年9月22日号「誤解だらけの米中新冷戦」特集より> 【関連記事】中国とのライバル関係を深刻に扱うべきでない理由 ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます9月29日号(9月23日発売)は「コロナで世界に貢献した グッドカンパニー50」特集。利益も上げる世界と日本の「良き企業」50社[PLUS]進撃のBTS =====