<キリスト教の牧師殺害には治安勢力と武装勢力の衝突の連鎖が関係するという──> インドネシアの東端、ニューギニア島の西半分を占めるインドネシア領パプア地方(西パプア州、パプア州)ではこのところ軍や警察といった治安部隊と独立を求める武装組織による衝突が頻発しているが、中央山間部でキリスト教の牧師が何者かに射殺される事件が発生した。 こうした事件がパプアで発生すると治安部隊と武装組織側がお互いに責任をなすり合うのが通例になっているが、今回も例外ではなく軍と武装組織がそれぞれ射殺への関与を否定し、「聖職者射殺」は相手の非道な犯行であると厳しく非難している。 キリスト教プロテスタントが51%、カトリックが5%と多数を占めるパプア州でキリスト教指導者が殺害されることはあまり例がなく、最近頻発し、エスカレートしている双方の衝突が新たな段階に入ったとの見方もでるなど、現地では緊張が高まっているという。 詳細不明の牧師射殺 パプア州の中部山間部にあるインタンジャヤ県ヒタディパ地区で9月19日、現地のプロテスタント教会に所属するエレミア・ザナンバニ牧師が正体不明の男に銃撃されて死亡する事件が起きた。 現場が遠隔地であることに加えてマスコミの自由な取材が許されていない地域であることなどから、エレミア牧師射殺が最初に伝わったのが軍による発表であることもあり、殺害に至った詳しい状況や経緯は未だに明らかになっていない。 ただ、事件発生を受けてパプア州警察や地元の陸軍幹部は相次いで「牧師は現地の犯罪組織のメンバーによって殺害された」と声明を出した。 治安当局が「犯罪組織」と呼ぶのは実はパプア地方で細々とだが独立を求めて武装闘争を続ける「自由パプア運動(OPM)」とその分派とされる「西パプア民族解放軍(TPNPB)」を指していることが多く、今回もTPNPBの関与を治安当局は疑っている。 また別の治安当局者は「牧師射殺時に兵士や警察官は付近には誰もいなかったので事件に関与したことはあり得ない」ともマスコミに語っている。現地パプア人組織からは「現場にいなくてどうしてTPNPBの犯行と言えるのか」と当然の疑問を示されている。 ===== こうした治安当局の事件への関与否定が続く中、現地から伝わってくる情報によれば牧師の知り合い、プロテスタント教会関係者は「エレミア牧師は近くでTPNPBの掃討作戦を実施していた陸軍の兵士によって射殺された」との発言を繰り返しているという。 これまでにパプアで起きた一般市民の射殺事件と同じように治安当局と武装組織が双方で責任を押し付け合う構図が今回も繰り返されている。 ただ今回のエレミア牧師射殺事件に関しては、プロテスタントの全国組織がジョコ・ウィドド大統領に対して真相解明とそのための第三者機関による独立した捜査を要求したり、陸軍が独自の捜査チームを現地に派遣するなど、双方が事実解明に具体的に動き出しているところがこれまでとは違う展開となっている。 こうした動きの背景にはパプア問題に深い関心を示し、パプア人の人権状況を憂慮しているとされるジョコ・ウィドド大統領の意向が反映している、との見方が有力となっている。 州警本部長は「航空機の運航に支障」 こうした状況のなか、パプア州警察のパウルス・ワタルパウ本部長は24日「最近の犯罪組織によるテロ活動は民間航空機の通常運航にも支障を与えている」と地元メディアに対して声明を発表して、周囲を驚かせた。 声明の中でパウルス本部長は「パプア地方の民間航空会社は兵士や警察官が搭乗するのを嫌がっている。運航の安全を考えればそれは理解できる」として最近武装勢力側がSNSを通じて拡散した動画の中で、治安要員が搭乗した航空機への攻撃をほのめかしていることを明らかにした。 その問題の動画ではTPNPB幹部のひとりサビー・サンボン報道官が「警察官や兵士が搭乗した航空機への攻撃も辞さない」と脅迫しているという。 ただ、TPNPBやその上部組織にあたるOPMも保有している武器は決して高性能、近代的装備ではなく、せいぜい手製爆弾、小銃、拳銃がいいところで数も不十分とされ、一部メンバーは昔ながらの弓矢や槍、斧で武装しているのが現実といわれている。 ===== そうした武装勢力側の装備を熟知している治安当局にしてみれば、TPNPBの航空機を攻撃する能力が不十分なことは明白で「せいぜい空港や滑走路にいるとき、あるいは低空を飛行する航空機に向かって銃弾を発砲するのが精一杯の攻撃能力」(地元記者)といわれている。 こうした現実的観点からパウルス本部長の声明は、エレミア牧師射殺事件に関連して武装勢力側の脅威をことさら煽り、社会不安を高め、治安部隊によるTPNPB掃討作戦をより正当化する狙いがあるのではないか、との見方も広がっているという。 パプアでは治安当局、武装組織側によるこうした虚々実々の駆け引きがマスコミをも巻き込んで行われることも通例化している。 コロナ対策同様、政府に打つ手なし 今回エレミア牧師射殺事件が起きたインタンジャヤ県では9月17日にバイクタクシーの運転手が腕を斧で切られて出血多量で死亡したり、別の場所では物資輸送中の陸軍軍曹が銃撃で死亡したりする事件が相次いで起きている。 この2人の殺害事件に関してはTPNPBの分派とみられるグループが犯行を認め、バイクタクシーの運転手という民間人殺害については「治安当局に情報提供する密通者だった」と殺害理由を明らかにしている。今回のエレミア牧師射殺はこの時のTPNPBによる軍曹殺害への報復との見方も現地ではでているという。 このようにパプア州の中央山間部から世界有数の鉱山のある南部ミミカ県にかけては最近、武装組織と治安部隊による衝突、銃撃戦、殺害事件といった「連鎖」が続いている。 ジョコ・ウィドド大統領としてもなんとか長年の念願でもある緊張緩和、そして和平実現を果たしたいところだが、同州ではコロナウイルスの感染も徐々に拡大(24日現在感染者5653人、感染死者80人)しており、加えて犯罪組織(武装組織)の掃討作戦を積極的に進める治安当局の強硬姿勢もあり、大統領としての指導力を発揮するのが難しい状況にあるという。 [執筆者] 大塚智彦(ジャーナリスト) PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など ===== インドネシアのパプア教会主任が語るエレミア牧師 インドネシアのパプア教会主任が語るエレミア牧師 KOMPASTV / YouTube