<民主党が勝てば共和党は郵便投票で不正があったと主張し、共和党が勝てば民主党は支持者の投票が妨げられたと主張する――分断と対立が激化するなかで行われる選挙が両陣営のなじり合いに終わったら...。本誌「米大統領選2020:トランプの勝算 バイデンの誤算」特集から> 米大統領選に併せて実施される連邦議会選に向け、今年6月23日にニューヨーク州で行われた民主党の予備選では大番狂わせがあった。党内左派の新人ジャマル・ボーマンがベテランの現職エリオット・エンゲル下院議員を下したのだ。 もっとも、正式に結果が出たのは投票日から3週間余りたった7月17日。しかもエンゲルが敗北を受け入れたことで、ようやくボーマンの勝利が確定するありさまだった。 なぜか。接戦だったからではない。速報ではボーマンが大幅にリードしていた。票の集計に問題があり、カウントし直すことになったからでもない。答えは、ただ単純に集計作業に手間取ったからだ。 この予備選ではニューヨーク市の有権者40万人超が郵便投票を行った。郵便投票では郵送された封書を1通ずつ開けて、票の有効性を確認した上でカウントすることになる。 エンゲルが敗北を認めず、郵便投票に問題があったと主張して訴訟騒ぎにもつれ込んでいたら、今も決着がついていなかっただろう。これはニューヨーク州だけの問題ではない。11月3日に実施される大統領選と連邦議会選が現状ではすんなりと決着することは期待できない。 現職の公職者が選挙で負けたら、平和的に権限を移譲するのがアメリカ政治の伝統だ。だが新型コロナウイルス対策で失態をさらし、支持率低下に苦しむドナルド・トランプ大統領は、この伝統を踏みにじるような発言を繰り返している。 感染拡大を懸念して郵便投票を望む声が多いにもかかわらず、トランプは郵便投票では不正がはびこると根拠なく主張。選挙で敗北すれば、郵便投票の不正を理由にしそうだ。7月19日に放映されたFOXニュースのインタビューで選挙結果を受け入れるかと聞かれたときも、「状況次第だ」と答え、敗北を認めない可能性をにおわせた。 7月末には、郵便投票では公正な選挙が実施できないから、投票日を延期すべきだとまでツイートし、与党・共和党が慌てて火消しに走った。 バラク・オバマ前大統領は今回の選挙がアメリカの規範を脅かす恐れがあるとして盛んに警鐘を鳴らしている。オバマが最も危険視しているのは、トランプが選挙に負けても、不正があったと主張して政権の座に居座ること。加えて、トランプを勝たせるために共和党の州当局者や州議員が有権者登録の手続きを煩雑にし、投票所の数を減らすなどして一部の有権者の投票を妨げていることだ。オバマに言わせれば、こうした試みは「民主主義の下での市民の自由に対する攻撃」にほかならない。 ===== 民主党の下院議員候補に選ばれたボーマンだが集計は手間取った LUCAS JACKSON-REUTERS 過去の選挙では、どれほど対立が激化しても選挙プロセスそのものは尊重されてきた。2000年の大統領選でジョージ・W・ブッシュの勝利が確定したのは、フロリダ州の票の再集計をめぐる訴訟で連邦最高裁判所が事実上ブッシュの勝訴となる判決を下したからではない。民主党候補のアル・ゴアがアメリカの民主主義制度を尊重して潔く敗北を認めたからだ。 有権者を惑わす大量の偽情報 もしも敗者が開票結果を受け入れなかったらどうなるか。ただでさえ大統領が選挙の規範や法律を無視するような態度を取るのは由々しき事態だが、今は状況が悪過ぎる。 中国、ロシア、北朝鮮が投票システムをハッキングする懸念もあるし、オバマが警告するように低所得層やマイノリティーの投票を妨げるような動きも目につく。新型コロナの猛威は一向に収まらず、感染を恐れて人々が投票所に行くのをためらうことも予想される。西部を中心に人種差別に対する抗議デモも再び激化している。 さらに、今回の大統領選では選挙人制度が機能不全を起こし、いつまでも結果が確定せず、アメリカ全体が憲法上の危機に陥る懸念もある。 こうした要因から、今回の選挙では大多数の有権者が正当と認める勝者が生まれない確率が極めて高い。 分断と対立が激化するなかで実施された大統領選が両陣営のなじり合いに終わったら、人々はどう反応するだろう。今のアメリカに渦巻く怒りや疑念、不安を見ると、11月3日以降何日も混乱が続くのはほぼ確実だ。ここ数カ月、感染防止のための規制にしびれを切らし、路上や公共の場で自動小銃を振りかざし(時には発砲する)市民の姿を全米各地で目にするようになった。 「選挙後36時間以内に(民主党候補のジョー・)バイデンとトランプの双方が勝利宣言をしたら、どうなるか」と、クリント・ワッツ元FBI特別捜査官は言う。「私が最も懸念するのは、自動小銃を持った連中が(通りに)現れる事態だ。本格的な暴動とまではいかなくとも、あっという間に大混乱になる」 そうなればトランプには、連邦軍を出動させる口実ができる。 サイバー攻撃に詳しいワッツによると、せめてもの救いは2016年の大統領選で民主党の足を引っ張ったロシアが今回はさほど介入に乗り気でないように見えること。ロシアが余計な工作をしなくとも、トランプと共和党が人々の不安と怒りをあおるフェイクニュースを大量にばらまいているからだ。 2016年の選挙では偽情報が結果を大きく左右した。主としてそのために、民主党支持者をはじめ多くのアメリカ人は前回の大統領選が100%公正な選挙だったとは考えていない。 今回の選挙でも偽情報が猛威を振るうだろう。フェイスブックは7月上旬、トランプ支持の偽情報を流していた100のアカウントを閉鎖。いずれも偽証罪などで有罪になったトランプの盟友ロジャー・ストーンと関連があるとみられるものだ。 ===== ほかにも偽情報アカウントは山ほどありそうだが、フェイスブックは対策には及び腰だ。 フェイスブック上には、バイデンの認知症疑惑や汚職疑惑の「証拠」なるものや、バイデンをはじめ民主党の候補者が「児童売春組織」や「世界征服計画」に関わっているとする荒唐無稽な陰謀論があふれている。フェイスブックは「規制を免れようとトランプ政権にこびている」と、民主党のナンシー・ペロシ下院議長は苦言を呈した。 投票率を下げたいトランプ陣営 トランプの支持基盤をたきつける偽情報の発信は、安直なカネ儲けの手段ともなる。政治絡みの偽情報サイトで荒稼ぎする連中は「複数のサイトを立ち上げ、政治的に発火しやすい虚偽情報をアップし、そこにトラフィックを誘導して、クリック単価の広告で稼ぐ」と、元CIA分析官のシンディー・オーティスは言う。 今回の選挙戦では前回以上に偽情報が有権者の判断に大きな影響を与えると、ペンシルベニア大学ウォートン・スクール(経営大学院)の研究者パイナー・イルディリムはみる。コロナ禍の下での選挙戦ではソーシャルメディアなどの情報を参考に候補者を選ぶ人が増えるからだ。 「選挙の年には普通、戸別訪問や対話集会などで有権者一人一人に話をし、支持をつかむ方法が取られるが、今はそれができない。やむなくソーシャルメディア頼みになり、誤情報があふれることになる」 フェイスブックが政治的な偽情報の拡散源となっていることは間違いない。偽情報を放置する同社の姿勢には抗議の声が高まり、広告ボイコット運動が起きて、500社以上の企業が一時的に広告出稿を停止した。それでも有効な対策を取ろうとしないのは、マーク・ザッカーバーグCEOがトランプと「密約」を交わしたためだとの臆測も流れている。 一方、ツイッターは偽情報の拡散を防ぐため警告ラベルの表示や悪質なアカウントの閉鎖などの対策を取り始めた。保守派はこの動きを「検閲」だと非難している。 どちらの陣営であれ敗北を喫したら、ソーシャルメディアが敵陣営に肩入れしたと主張するだろう。そうなればますます支持者たちは選挙結果を受け入れようとはせず、敵陣営の「不正行為」に対する怒りが暴発し、路上での騒乱に発展しかねない。 既に予備選の段階でさまざまな混乱が起きている。民主党予備選の初戦となったアイオワ州の党員集会では、集計アプリのシステム障害で結果発表が遅れ、ジョージア、カリフォルニア、テキサスの各州では投票所の数が減らされたため、開設された投票所には長蛇の列ができた。ウィスコンシン、ニュージャージー州でも郵便投票の到着の遅れなどのトラブルが相次いだ。 11月の本選では多くの州で予備選の3倍もの有権者が投票所に詰め掛けるとみられ、列に並んで長時間待つことになりそうだ。そうした場では、新型コロナの感染が一気に広がりかねない。 ===== 大規模な郵便投票システムの構築には時間がかかる GEORGE FREY/GETTY IMAGES トランプは支持率では劣勢だが、トランプ支持者の熱量はバイデン支持者よりはるかに大きい。つまり投票のハードルを大きく上げれば、トランプにも勝ち目はあるということだ。さほど熱心ではない有権者(その多くは民主党支持者)は投票できないか、投票を諦める可能性が高いからだ。トランプと共和党が郵便投票に強硬に反対するのも投票率を下げたいからだろう。 新型コロナの感染拡大が止まらないなかで、両党の支持者の間では郵便投票への関心が高まってきている。それを受けてニューヨークなど数十州は、それこそ一夜にして郵便投票の体制を大幅に拡大させようと動き始めた。しかし、これらの州は投票用紙の配布や回収、集計のプロセスで大きな問題に直面する可能性がある。有権者のかなりの割合が郵便投票を選択しても対応できるシステムを構築するには、長い年数が必要だと、選挙の投開票システムに詳しいオーバーン大学(アラバマ州)のキャサリン・ヘール教授(政治学)は指摘する。「慌てて制度を変えようとすれば、大きなリスクがついて回る」 3月以降、郵便投票を容易にする法案が可決された州は12州に上るが、特に動向が注目されているのは大統領選の激戦州だ。テキサス、フロリダ、ペンシルベニア、ジョージア、ミシガン、ノースカロライナの各州では、有権者の投票行動が少し変わるだけでも、両候補の獲得する選挙人の数が15人以上動く可能性がある。 テキサス州では、州知事と共和党主導の州議会が郵便投票の拡大を徹底的に阻もうとしてきた。郵便投票推進派が州政府を裁判に訴えて勝訴したが、その後、州政府が上訴して判決は覆った。 共和党の圧力に屈して郵便投票を制限しようとしている州では、ほとんどの有権者は1つの選択肢しか与えられていないと、ヘールは言う。その選択肢とは、投票所で長蛇の列に並ぶというものだ。 投票機も不正やミスに弱い 一方、共和党の地盤である州や郡は、有権者登録を難しくするというおなじみの手法を徹底させている。 ニューヨーク大学法科大学院ブレナン司法センターによると、2016年以降、有権者登録のハードルを引き上げた州は23州にも上る。具体的には、有効と認める身分証明書の形式を厳格化したり、再登録を繰り返し要求したりしている。この23の州は、ロードアイランド州以外は全て共和党が優位に立っている。 共和党の勢力が強い州や郡は、民主党支持者の多い地区で投票所へのアクセスを難しくしたりもしている。ある研究によると、黒人住民が圧倒的に多い地区の投票所では、2016年の選挙での投票待ち時間が白人が多い地区の1.3倍近くに上った。 「当局は選挙管理予算を自分たちの武器として用いて、気に食わない有権者が多い地区の投票所を閉鎖したり、投票の際の待ち時間を長くしたりしている」と、カリフォルニア大学バークレー校のフィリップ・スターク教授(統計学)は言う。新型コロナの蔓延は、当局が投票を制限する行為を正当化する口実になると、スタークは指摘する。 このような状況で、11月にどのような結果が待っているかは予想がつく。民主党が勝てば、共和党は郵便投票で大量の不正投票があったと主張する。共和党が勝てば、民主党は、民主党支持者の投票が不当に妨げられたと主張するだろう。 ===== では有権者が投票所にたどり着きさえすれば、その人の票が確実に選挙結果に反映されるのか。保証はないとスタークは言う。「状況は2016年から改善されていない。むしろ悪化していると言えるかもしれない」 ほぼ全ての投票機に弱点があることが分かっている。不正操作やシステムへの不正侵入、整備不良、ひいては停電や配線ミスによる単純な不具合などの問題が起こり得る。 スタークによれば、全ての投票を確実に集計する方法は1つしかない。それは、投票者自身に紙の投票用紙に記入させるというものだ。この方法であれば、集計不正が指摘された場合に再確認しやすい。「選挙の投票でテクノロジーに頼れば頼るほど、システムの脆弱性は大きくなる」と、スタークは言う。 現在、29の州と首都ワシントンは、選挙の全部または一部を投票機に頼っている。しかも多くの州と郡は、デジタル投票機への投資をもっと増やす意向らしい。 しかしカリフォルニア州ロサンゼルス郡は、3月の大統領選予備選に間に合わせるために約3億ドルを投じて新しい投票機を導入したが、ソフトウエアの問題により、投票所で3時間以上の待ち時間が生じてしまった(同郡は後に、この遅延は投票機の問題ではなく、有権者の入場を受け付ける電子システムの問題が原因だったと発表した。スタークはこれに疑問を呈している)。 一方、サイバーセキュリティーの専門家は、ロシア、中国、北朝鮮には電子投票システムを破壊または混乱させる能力があると警告する。投票の集計作業は誤りや「サイバー不正」だらけだという疑念が広がるだけでも、負けた側が選挙結果の正当性に疑義を唱える根拠になり得る。 連邦選挙法の曖昧さと不備が11月の選挙で最大のリスクになる事態も考えられると、選挙法の専門家であるアマースト大学(マサチューセッツ州)のローレンス・ダグラス教授(法学)は指摘する。共和党が多数を占める主要州の議会はトランプが有権者の一般投票で負けていても、最終的に大統領を選ぶ選挙人の票をトランプ支持票にすることができるというのだ。 ダグラスによれば、このごまかしは郵便投票の集計が数日、あるいは数週間遅れることを利用するものだ。州議会は選挙当日の夜か一時的にトランプがリードした時点で、集計作業の終了を宣言する。未集計の票を足せばバイデンが逆転するかどうかにかかわらずだ。その上で、州議会は同州の選挙人票をトランプへの票として連邦議会に提出する。 ミシガン州のように州知事の所属政党と議会の多数派が異なる州では、民主党の知事は対抗策として、最終集計に基づく選挙人票を連邦議会に提出できる。そうなると、この仮定のシナリオではバイデンが勝利することになる。 「疑問の残る選挙結果を州が提出するのを止める法律はない」とダグラスは言う。「いったん連邦議会に提出されれば、最高裁も介入できない」 この場合、連邦議会の上下両院が問題を解決しなければならないが、難航が予想される。憲法にはこの問題に関する規定がなく、上院と下院は多数派を握る党が違うため、反対の結論を出す可能性が高い。 ===== その結果、両候補とも当選に必要な270人の選挙人を獲得できない事態も考えられる。幸い、選挙で勝者が確定しない場合の規定は憲法にある。下院の投票で次の大統領を決めるのだ(各州選出の議員団がそれぞれ1票ずつの投票権を持つ)。 現在の構成は、共和党が多数派の議員団が26、民主党が23、両党同数が1となっている。この数字のとおりなら、トランプが勝つ。しかし議員団の投票は21年1月3日以降に行われる公算が高く、既に11月の選挙で議員の顔触れは変わっている。その結果、共和党の議席が民主党に少しだけ移動すれば、投票は25対25の同点になる可能性が出てペロシ下院議長が次の大統領になると、ダグラスは解説する。「憲法には再選挙の規定はない。法律には不備があり、この種の危機を解決できない」 最悪の事態を回避できるか もしトランプが選挙プロセスを自分の手で覆すことにした場合には、いくつかの手段がある。既に選挙の延期をにおわせているが、共和党内にも支持する声はほとんどない。 新型コロナの流行が秋まで続いていたり、抗議デモが激化した場合、それを理由に非常事態を宣言することも考えられる。選挙の中止はもちろん、延期についても憲法上の根拠はない。だがトランプは以前にも、イスラム教徒の入国禁止や抗議デモを鎮圧するための連邦軍の派遣など、憲法の規定に抵触する政策を実行しようとしたことがある。 選挙が無事に行われて、バイデンが勝ったとしても、トランプが不正選挙だと主張する可能性がある。保守派が多数派を占める最高裁は、それをどう判断するのか。2000年の大統領選では、最高裁はゴアよりブッシュに有利な判断を示した。 たとえ一時的でも、選挙の延期や無効、選挙結果の変更を命じる動きがあれば、全米で大規模な抗議行動を誘発するはずだ。「法と秩序」を選挙戦略の売り物にするトランプは、「過激な左翼」に対する支持者の憎悪をあおり、力による鎮圧を呼び掛けるかもしれない。警察が右派の暴力を大目に見る可能性もある。連邦軍がどう動くかは誰にも分からない。 11月にこんな惨事が起こるのを避ける方法が1つだけあると、ダグラスは言う。バイデンかトランプが疑問の余地のない勝利を収めることだ。 「トランプは、バイデンが新しい最高司令官になることを知った米軍の手でホワイトハウスから引きずり出される屈辱を受け入れないはずだ。トランプは自分の意思で出て行くだろう。それで終わりにすべきだ」 武装した左右両派が通りにあふれ出し、選挙の敗北(または盗まれた勝利)に怒りをぶちまける事態に比べれば、夢のような結末だ。 <2020年9月15日号「米大統領選2020:トランプの勝算 バイデンの誤算」特集より> 【関連記事】アメリカ政治に地殻変動を引き起こす人口大移動──「赤い州」を青く染める若者たち ※画像をクリックするとアマゾンに飛びます9月29日号(9月23日発売)は「コロナで世界に貢献した グッドカンパニー50」特集。利益も上げる世界と日本の「良き企業」50社[PLUS]進撃のBTS