<パプア地方の人権問題に理解を示す大統領も、準戦時体制とすることを許容するか──> インドネシアの東端、ニューギニア島西半分を占めるパプア地方(パプア州、西パプア州)でキリスト教会のパプア人牧師が殺害された事件の捜査が難航する中、ジョコ・ウィドド内閣の閣僚が編制、派遣を命じた「合同調査チーム」を地元のキリスト教会評議会が拒否していることが明らかになった。 牧師殺害事件では治安当局がパプア人独立組織の犯行とみなす一方で、パプア人やキリスト教関係者は陸軍兵士による犯行だと訴え、主張が対立している。 政府の「合同調査チーム」とは別に警察・軍による「合同捜査チーム」が現地に派遣されて真相解明、犯人逮捕の捜査を続けているものの、これまで全く進展がない。 現地のキリスト教会組織は、政府派遣の「調査チーム」の構成メンバーについて「到底中立で公正な調査ができるとは思えない顔ぶれである」と受け入れを拒否する姿勢を明らかにし、牧師殺害事件の調査は開始前から暗礁に乗り上げることが確実となった。 山間部、証人避難で手詰まりの捜査 9月19日パプア州中央山間部にあるインタンジャヤ県ビタディバ地区にあるプロテスタント教会所属のエレミア・ザナンバニ牧師が何者かによって射殺された。 警察や軍は同県などで活動する独立運動組織「西パプア民族解放軍(TPNPB)」(治安当局は単に「武装犯罪組織」と呼んでいる)の犯行として付近のジャングルなどを捜索しているが、犯人は発見、確保に至っていない。現地へのアクセスが不便極まりないことも捜査を難しくしているという。 一方のTPNPB側やキリスト教会関係者は現地の住民などから得た情報に基づいて「教会付近で活動していた陸軍の兵士によってエレミア牧師は射殺された」と主張している。 治安当局は「捜査チーム」を、インドネシア政府はマフード調整相(政治治安法務担当)による「調査チーム」を、それぞれ編成させて犯人逮捕と真相解明が進められることになっていた。 ところが捜査チームは手掛かりとなる証拠がなく、証人となる住民が治安当局の弾圧を恐れてジャングルの奥深くに避難してしまい、捜査は行き詰まりをみせていた。 さらに「調査チーム」の方も、政府人選のメンバーが明らかになり、キリスト教団体やパプア人権擁護組織などから「このメンバー構成では到底中立で公正な調査は望めない」として「調査チーム」の受け入れや協力を拒否することとなった。 当初マフード調整相は「合同調査チーム」は学識経験者、教会関係者、現地公的機関関係者で構成され「客観的に真相解明に全力であたるよう指示した」として、公正な調査が期待されていた。 ===== 捜査も調査も共に暗礁に乗り上げ ところがこの調査チームは蓋を開けてみれば「治安当局関係者、情報機関関係者、政府関係者」などで構成されており、「独立性に完全に欠けており、中立で公正な事件の全容解明など不可能である」として、パプア教会評議会は同チームの受け入れを拒否することを決めたとしている。 このパプア教会評議会の指摘が事実とすればマフード調整相が先に示した「客観的真相解明を期待できる人選」ではなく政府側、治安当局側に偏った編制であることが明らかといえ、パプア側の政府への失望と反発を招いただけといえるだろう。 インドネシアではTPNPBの上部組織とされる「自由パプア運動(OPM)」をはじめ、独立を求めるパプアの各種団体、学生組織は12月1日の「独立記念日」に向けた動きを活発化させており、治安当局とジョコ・ウィドド政権も警戒を強めている。 12月1日までになんとしてもエレミア牧師殺害事件の解明を図りたいとしていた政府の思惑はこれで捜査、調査ともに「暗礁」に乗り上げることになった。 軍事作戦地域の悪夢再来の警戒感も こうした中でマフード調整相は12月1日の治安悪化を懸念するあまり、パプア地方での軍備を強化し、「軍事作戦地域(DOM)」を発令することを検討しているのではないか、との情報も流れ、パプア地方では警戒感が強まっているという。 DOMは1998年に崩壊したスハルト独裁政権時代、反政府を掲げて独立武装闘争が続いた東ティモール、スマトラ島最北部のアチェと並んでパプアが指定されていた。 「DOM」では国軍部隊が集中的に派遣され、準戦時下ということで特権を認められた軍により一般人の逮捕、暴行、拷問、殺害などが続発した。 東ティモールは2002年に念願のインドネシアからの分離、独立を果たし、アチェは2004年のスマトラ沖大地震・津波を契機に和平交渉が進展、イスラム法(シャリア)の適用がみとめられた特別な州としての地位を獲得している。 DOMは解除されたもののパプア地方だけが小規模ながら現在も独立武装闘争が続き、インドネシア政府にとっては「喉元に刺さったトゲ」の状態となっている。 一部報道によると、地下資源、森林資源が豊富なパプア地方では地元住民や地元自治体、地元企業などが所有する開発に関する既得権益をインドネシアの大手開発業者や外国企業などが虎視眈々と狙っているとされ、こうした開発権益を巡る地元との対立、暗闘も治安安問題解決を急ぐ政府側の思惑の背後にあるとの見方も有力だ。 ジョコ・ウィドド政権や治安当局にはパプアでの治安安定早期実現にはDOM再指定もやむなしという空気が徐々に醸成されているとの見方もあり、これが事実とすればパプア問題は新たな局面を迎えることになる。 パプア人の人権問題をはじめとしてインドネシアの現代史で闇とされる数々の人権侵害問題に対して「真相解明」を約束してきたジョコ・ウィドド大統領だが、最近は未曾有のコロナ禍への対処に忙殺されている。 そのコロナ感染拡大防止でもこれといった切り札が尽き、徒手空拳状態と批判されているだけに、パプア問題では治安当局から主導権を取り戻し、「庶民派大統領の真骨頂」をみせてほしいとの期待の声が特にパプア人の間から高まっている。 [執筆者] 大塚智彦(ジャーナリスト) PanAsiaNews所属 1957年東京生まれ。国学院大学文学部史学科卒、米ジョージワシントン大学大学院宗教学科中退。1984年毎日新聞社入社、長野支局、東京外信部防衛庁担当などを経てジャカルタ支局長。2000年産経新聞社入社、シンガポール支局長、社会部防衛省担当などを歴任。2014年からPan Asia News所属のフリーランス記者として東南アジアをフィールドに取材活動を続ける。著書に「アジアの中の自衛隊」(東洋経済新報社)、「民主国家への道、ジャカルタ報道2000日」(小学館)など