<世界最大のダムが「決壊する!」と注目を浴びたが、今も決壊しないまま。そこで専門家に話を聞き、堤体の構造や今夏の洪水時に何が行われたかを検証した。三峡ダムは本当に大丈夫なのか。なぜ決壊しないのか> (本記事は2020年10月13日号「中国ダムは時限爆弾なのか」特集収録の記事の前編です) 中国では今年6月半ばの梅雨入り以来、62日間にわたって大雨と集中豪雨が続き、190以上の河川が氾濫し、四川省から江蘇省まで至る所で洪水が発生した。6300万人以上が被災し、5万棟以上の家屋が倒壊する被害が出た。 ネット上では、長江沿川の町や村が冠水する様子や、世界最大の三峡ダムの放流状況が刻一刻と伝えられ、今しもダムが決壊するのではと不安視する声があふれた。 YouTubeには「三峡ダムの決壊シミュレーション」まで登場し、もし決壊すれば、約30億立方メートルの濁流が下流を襲い、武漢、南京が水没し、上海付近の原子力発電所や軍事基地まで甚大な被害を受けるだろうと危機感をあおった。4億人が被災するとの試算もあった。 幸いにも三峡ダムは決壊しなかったが、たまたま決壊を免れただけで、いつかまた危機が訪れるのか。それともダムの構造は強固で、決壊は杞憂にすぎないのか。豪雨の季節が過ぎた9月上旬になっても、長江上流域ではまだ洪水が続いていた。 COSTFOTO-BARCROFT MEDIA/GETTY IMAGES 三峡ダムは70万キロワットの発電機32基を備え、総発電量は2250万キロワット。放流量を調節して下流の洪水被害を防ぐ機能も持つ、世界最大の多目的ダムだ。堤体(ダムの本体)の重さで水の力を支える構造の重力式コンクリートダムで、2009年に長江中流域の湖北省宜昌市に近い三峡地区に建設された。 いま振り返れば、三峡ダムの決壊説に沸いていたのは主として欧米や台湾の中国系メディアと日本メディア(私も記事を書いた)だけで、コメントしているのもごく限られた人物ばかりだった。あるいは科学的考察が不十分だったのではないか。日本や欧米の水利専門家はこの状況をどう捉えていたのだろうか。 そんな疑問に駆られ、改めて信頼できる専門家に話を聞き、中国ダム事情と三峡ダムについて検証した。 京都大学防災研究所水資源環境研究センターの角哲也教授は、日本の河川、特にダム工学研究の第一人者で、黄河の環境問題を扱った『生命体「黄河」の再生』の編著者の1人として中国の事情にも明るい。 角教授は「決壊説」を一蹴する。その説明に入る前に、やや遠回りになるが黄河の話から始めよう。 ビルと違って半永久的に堅牢 黄河は長江に次ぐ中国第2の河川で、水源の青海省からチベット高原、黄土高原を横切り、西安や洛陽を経て、渤海湾へ注ぐ。 その中流域にあるのが三門峡ダムだ。1960年代に中国が社会主義の兄貴と慕うソ連(当時)の設計で建設されたダムだったが、竣工直後から貯水池(ダム湖)に黄砂がたまり、20年で約40%が埋まった。 ===== 私の記憶では、1980年代に「黄河は死んだ」と聞かされた。水量が減り、生活用水や工業用水を垂れ流した揚げ句、毒々しい赤色や紫色の溜水ができて大量の魚が死滅したからだ。 「黄河の最大の特徴は、シルトと呼ばれる細かい粒子の土砂が黄土高原から運ばれて高密度で河川に含まれていること。上流域の開発が断流と呼ばれる流れの変化をもたらし、下流に(流れ切れない)土砂が堆積して河床が上昇し、洪水を多発させました」と、角教授は口火を切った。 そこで三門峡ダムに土砂を通過させる改修工事が行われ、その後、下流に水と土砂の調節を目的として小浪底ダムが建設された。 日本ではダムに堆積する土砂を排出する方法を「通砂」「排砂」と呼ぶが、中国では「調水調砂」と呼び、下流の河床の調整と「通砂」を同時に行う考え方をするという。 「小浪底ダムは三門峡ダムと連携して調水調砂を行い、また密度流(ダム湖の底をはう高濃度の土砂の流れ。これを利用して通砂が行われる)の効果を高めるために、世界初の『人工密度流』という排砂方法も実施されました」 「人工密度流」とは、上流ダム群の放流に合わせて、下流ダムの貯水池内に堆積した土砂を高圧水ジェットで攪拌し、より高密度の流れを人工的につくり出してダムの底部にある排砂管から下流へ排出することだ。黄河は特にシルトが圧倒的に多く、その特徴を生かした方法と言える。 ここから分かるのは、中国の河川管理・洪水管理の技術が決して劣っているわけではないということだ。では、実際のところ、長江の三峡ダムはどうだったのか。 長江は中国最長の河川で全長約6300キロ。チベット高原を水源とし、四川盆地から東へ流れて、河口部の上海で東シナ海へ注ぐ。 上流域の成都や重慶、中流域の武漢は中国屈指の工業都市で、中下流域の安徽省、江蘇省は全中国の農産物の約40%を占める穀倉地帯だ。下流域の南京から上海までは商業都市がひしめき、長江はこれら19の省・市・自治区を結ぶ水運の大動脈である。 噂されている三峡ダム決壊説について質問すると、角教授は「コンクリートダムは決壊しません!」と、明快に言い切った。 コンクリートは砂と砂利と水とセメントを混ぜた自然素材で、アルカリ性である。空気に触れると中性に変化し、劣化する。例えばビルを建てた場合、コンクリートの中には鉄筋を入れるので、鉄筋が腐食するとコンクリートも劣化してもろくなるし外気に触れる部分は風化する。 一方、ダムには鉄筋がほとんど入っていないので、堤体の水につかっていない下流側の表面など劣化する部分はあっても、水につかった部分や堤体内部はアルカリ性のまま変化せず、半永久的に堅牢だと言ってもよい。 「コンクリートダムの決壊というのは、基礎岩盤が脆弱だったり、地震や水圧で河床部が変形したり、岩盤との接合部分がズレたりすることで起こります」 ===== では、三峡ダムの岩盤は安全なのか。調べてみると、三峡ダムは先カンブリア紀の花崗岩中に造られたとされており、どうやら良好だ。先カンブリア紀は地質時代の年代区分の1つで約5億4100万年前(諸説ある)までのおよそ40億年間を指し、花崗岩は御影石とも呼ばれて堅牢な性質を持っている。 2019年にグーグルアースの航空写真で、「三峡ダムが歪(ゆが)んでいる」という噂が広まったこともある。あれは本当なのだろうか。 「笑い話でしょう」と、角教授はにべもない。「でも、ダムは本来、動くようにできています」 DIGITALGLOBE-SCAPEWARE3D/GETTY IMAGES コンクリートは温度により膨張・収縮するため、堤体は建設時の温度対策として、15メートル幅のブロックをジョイントでつなぎ合わせて造られる。ジョイントにはゴム製の止水板を設けてある。その後も、水圧や気温の変化などの影響で、ダムは年間数ミリ単位で常に上下流方向に動いている。 ただし、これは「動いている」と体感できるほどのものではない。 既に多くの専門家が指摘しているが、グーグルアースの写真は航空カメラで撮影され、レンズの中心に光束が集まる中心投影になるため、レンズの中心から対象物までの距離の違いによって対象物の像にズレが生じる。 三峡ダムの「歪み」はこのズレだったようだ。現在は正しく修正されている。 放流量を操作し洪水をならす それよりもっと気になっていたことがある。中国中央電視台(CCTV)によると、8月17日、「第5号洪水」(洪水に番号が付けられていた)の発生が発表された後、三峡ダムの流入量は過去最大の毎秒7万5000立方メートルに達し、11門全ての放水ゲートから過去最大となる毎秒4万8000立方メートルを放流した。 それでも追い付かず、水位は夏期の実績最高の167メートルを記録。堤頂の標高は185メートルだから、間もなく越水するのではないかとの声が高まった。実態はどうだったのだろうか。 「いいえ、越水はしません。(定められた)最高水位の175メートルになれば、ゲートを全て開けて、洪水を通過させればよいのです。このグラフを見てください」と、差し出されたのは、中国側の公式記録を基に角教授の研究室で作成した、5月12日から9月12日までの日別の記録だった(下図参照)。 角教授は次のように分析した。 前提として、ダムの役割には(1)洪水調節、(2)水資源の確保、(3)発電、(4)河川の環境保全の4つがある。これらを担うのが管理者(この場合は長江水利委員会)の役目だ。 洪水調節において管理者は、平時から気象情報をチェックして今後の予測雨量や台風情報を収集し、気象の変化に合わせて、流入量に応じた放流量を調節する。ここで重要なのはダムの貯水容量である。 ===== 先日、角教授らの属するダム工学会が公開した動画によれば、洪水時のダムの操作には3段階あり、第1段階の平常時(下流へ必要な水量だけ放流する)、第2段階の大雨時(あらかじめ確保したダムの洪水調節容量を用いて、流入量に応じて放流量を調節する)、第3段階の異常豪雨時(緊急放流とも呼ばれ、ダムの容量では処理し切れない際、上部のゲートを開けて洪水をそのまま通過させる)に分けられる。 三峡ダムのデータを見ると、平常時から大雨時、異常豪雨時へと段階を踏んで、操作方法を変化させていった様子がはっきり見て取れる。 まず6月上旬に、大雨が予想される梅雨期に備えて、あらかじめ貯水池の貯水量を減らす事前放流を行った。7月中旬に長江中下流で洪水が発生したことから、ダムでは洪水をため込んで増水を防いだ。 特に7月18日のピーク時には毎秒6万立方メートルの流入量を毎秒3万5000立方メートルまで減らす放流を行った。この際に水位は一時164メートルまで高まったが、その後流入量が低下した際に、再度事前放流を行って容量回復を行ったことにより、7月27日の次の洪水ピーク時にも放流量を低減させた。 それでも豪雨はやまず、最後のピークは8月19日に訪れた。ダム流入量で毎秒7万立方メートルを超えて記録的に増加し、11門の放水ゲートを全て開放して放流を行った。ただしその間も、流入量から毎秒2万立方メートルを差し引いた程度の放流を保ち続け、これにより貯水位は165メートルを超えたが、その後流入量が減少した。 「洪水ピーク時の複数回の事前放流がなければ、水位はもっと上昇していた危険性もあった。長江水利委員会は下流の洪水と上流の洪水を見ながら放流量を巧みに操作し、洪水をならしながら無事に通過させました」と、角教授は太鼓判を押した。 ※後編:「決壊のほかにある、中国・三峡ダムの知られざる危険性」に続く <2020年10月13日号「中国ダムは時限爆弾なのか」特集より>