<論文撤回数ランキング上位10人の半数が日本人──。科学への投資を怠ったツケで不正が蔓延し、研究現場が疲弊している。日本の学術界の闇を指摘する衝撃のレポート。解決に必要な2つの方策とは> (2020年10月20日号「科学後退国ニッポン」特集より) 今年もノーベル賞シーズンが到来した。日本人の受賞が決まるとお祭り騒ぎとなるが、受賞者は満面の笑みの一方で日本の研究環境の貧困と疲弊を嘆き、将来日本人受賞者がいなくなると警鐘を鳴らす。それが、ここ数年繰り返されてきたお決まりの光景である。 2000年以降、日本人ノーベル賞受賞者の数は急増している。外国籍を含めた日本出身受賞者は28人で世界第7位、今世紀の自然科学部門に限ると受賞者は18人で、アメリカ、イギリスに次ぐ堂々たるノーベル賞受賞大国だ。 しかし、近年の日本人ノーベル賞受賞者の多くが危惧するとおり、将来、日本から受賞者が減る可能性は極めて高い。2000年以降の受賞ラッシュは過去の遺産だからだ。 ノーベル賞シーズンのお祭り騒ぎの陰で、日本の学術界には一般には見過ごされがちな闇がある。論文不正の問題だ。2018年8月のサイエンス誌と2019年6月のネイチャー誌は、日本人研究者の悪質な論文不正問題を取り上げている。 サイエンスの記事は、骨折予防に関する論文を多数発表していた故佐藤能啓・元弘前大学医学部教授の不正を詳細に報告した上で、撤回論文の動向を監視するウェブサイト「Retraction Watch(撤回監視)」の論文撤回数ランキング(当時)の上位10人の半数を日本人研究者が占めていることを指摘し、日本の研究現場の体質を批判した。一方、ネイチャーは、同じく佐藤元教授の不正を報告するとともに、論文の不正を監視する制度的調査が極めて不十分であることを指摘している。日本でも、病理専門医でもあり科学・技術政策ウオッチャーを自任する榎木英介氏がウェブ上などで繰り返しこの問題を取り上げている。 撤回論文上位を日本人が寡占 現在の「撤回監視」のランキングでも、日本人研究者は1、3、4、6位を占める。1位は183本もの論文を撤回したとされる麻酔科医の藤井善隆・元東邦大学准教授で、3位は96本の佐藤元教授だ。その数の多さからも双方とも非常に特殊なケースと考えられる。藤井元准教授は不正発覚後、大学から諭旨退職処分を受け、麻酔科学会からは「永久追放」されている。一方、佐藤元教授は大学退職後、自死した。また、4位は佐藤元教授の共同研究者で、6位の研究者は藤井元准教授と互いの論文の共著者となる「闇協定」を結んでいたとされる。4人の論文撤回数が多いのは極めて個人的な資質の問題である可能性が高く、それを日本の学術界全体の体質の問題と決め付けるのは早計であろう。 だが、残念なことに体質に問題がないとは言えないようだ。米ワシントン大学のフェリック・ファング教授らの研究がそれを示唆している。医学・生物学文献データベース「PubMed」を包括的に検索し、1940年以降に収蔵された2500万超の論文から2047本の撤回論文を特定した同教授の12年の分析により、撤回論文の4分の3をアメリカ、ドイツ、日本、中国が占めることが明らかになった。日本だけの問題ではないが、日本の体質に問題がないとは到底言えない。 本誌2020年10月20日号20・21ページより ===== 「撤回論文」ランキング上位の日本人はいずれも医師で、ファング教授の研究は医学・生物学分野の論文に限定されたものだが、他分野も無関係ではない。実際、不正論文は後を絶たない。文部科学省は以前から日本人研究者の不正行為に危機感を募らせ、2006年には「研究活動の不正行為に関する特別委員会」を設置し、報告書を作成・公開した。 報告書は、不正の背景には競争的研究費の獲得競争、若手研究者のポスト獲得競争、研究者の功名心の肥大と倫理観の欠如、研究機関の成果主義の蔓延と自浄能力の欠如など、学術界の構造的な問題や体質の問題があることを指摘している。 ある国立大学工学部の教授は「身近に論文撤回の事例は知らない」と断りつつ、「不正はいつ起こっても不思議ではない」と指摘する。「ごく少数の倫理観の欠如した『偽研究者』は論外として、普通の研究者が不正に手を染めてしまうのは、研究費の不足や不安定な身分が原因だと思います。もう一つは、それが容易にできてしまう分野があること。例えば化学の分野ではデータの捏造や改ざんは、簡単に発覚するので不可能ですが、生物系では比較的容易だと聞きます」 文科省の2006年の分析は不正行為の背景だが、指摘された構造的・体質的な問題の、そのまた後ろには、日本の研究現場の困窮と疲弊があることは疑いない。ひとことで言うと、日本の研究現場は瀕死の状態にある。 その原因は一にも二にも、資金不足である。日本の政府は借金まみれで、未来への投資である科学技術の研究に回すカネがないのである。結果、研究者は「競争的資金」の獲得競争に時間を奪われ、大学や研究機関の人員削減で若手研究者は慢性的な就職難に苦しみ、魅力を失った大学院博士課程は空洞化し、日本の大学の世界的評価は下がり続けるという悪循環が起きている。このままでは、ノーベル賞受賞者はおろか、科学者自体が日本から消えてしまいそうな状況なのである。 言うまでもなく、日本の科学技術研究の屋台骨は大学である。科学技術関連論文の75%を「大学発」の論文が占めている。その大学の研究者は「貧乏暇なし」という状況に追い込まれている。 日本の国立大学は2004年に法人化されて以降、政府から交付され収入の多くを占める大学運営費交付金を減額され続け慢性的な経営難に陥った。運営費減額の代わりに「選択と集中」というお題目で増額されたのが、科学研究費補助金(科研費)に代表される「競争的資金」だ。研究を競い合わせ、成果のありそうな研究に集中的に資金を投入する政策である。 結果、「基盤的経費の減少のため退職教員の補充ができず若手研究者が雇用できない」「教員が減って学生指導の負担が増えたため、研究する時間がなくなる」「科研費や企業との共同研究など外部資金なしでは研究が続けられない」「競争的資金獲得のため研究者が事務作業に忙殺され研究する時間がなくなる」という状況に陥ってしまった。 私立大学も似た状況だ。私立大学の激増で政府から給付される1校当たりの経常費補助金は減り続ける一方、学生獲得競争が熾烈となり、教員は学生サービスを強く求められ、忙しくて研究している暇がないという状況が生まれている。 ===== 国立大学の法人化を機に研究者の研究費と研究時間が減ったことは政府も認めている。2017年版の科学技術白書は、日本の基礎科学の「三つの危機」の1つとして「研究費・研究時間の劣化」を挙げ、その原因として、運営費交付金などの基盤的経費の削減、競争的資金獲得の熾烈化を指摘した。交付金削減も競争的資金拡大も政府の政策なのに、まるで人ごとのような言いようだ。 国立大学の研究開発費総額は1990年代中葉からほとんど増加していない。文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)のデータによると、2000年を基点とした18年の主要各国の研究開発費は、物価変動の影響を排除した実質額で中国が11.8倍、韓国が4.3倍、アメリカが1.5倍に増加しているのに対し、日本はわずか1.3倍だ。物価換算した研究者1人当たりの研究費も、35年間全く増えていない。2017年にNISTEPが実施したアンケート調査では、研究者の83%が研究費が足りないと回答するありさまだ。研究時間も減っている。文科省の調査では、国立大学法人化以前と以後では大学研究者の研究時間が25%も減少し、研究者のほとんど全ては研究時間が足りないと嘆いている。 本誌2020年10月20日号22ページより 研究者は「1回でアウト」に 大学研究者の「貧乏暇なし」が続いた結果、一国の科学技術力の指標となる総論文数の国際シェアは下降の一途をたどり、日本の大学の世界でのランキングも下がり続けている。 自然科学系の全世界の論文数は1981年の約40万本から2015年には約140万本に増加した。3.5倍である。各国が論文数を増やし続けるなかで、唯一、日本だけが近年、論文数を減らしている。1990年代後半に横ばいの時代を迎え、2000年代に論文数世界2位の座から陥落し、2013年以降減少基調に入った日本の現在の位置は、米中英独に次ぐ5位まで降下した。質の高い論文の指標となる被引用数の多い論文の数も減り続けている。 日本の未来にとって最も深刻なのは、科学者の卵を育てる大学院博士課程の空洞化だ。大学院博士課程の進学者は2003年以降、減少の一途をたどっている。将来、科学者になる可能性が高い学生はピーク時の半数に減ったと推定される。その理由は、大学の人員削減によるポスト不足のせいで、博士になっても職がないことだ。 博士課程修了者が新米科学者として最初に就く大学の助教か公的研究所の研究員のポストが、絶望的に不足している。背景には安定したポストにある研究者が高齢化し、40歳以上が大半を占めるという構造的な問題がある。博士課程修了後にすぐ、大学助教や公的研究機関の研究員など雇用期限のない安定したポストに就けるのはわずか7.5%で、1割にも満たない。そのため大半の理工系博士課程修了者は、科学者になるのを諦めて企業に就職し開発研究やエンジニアの道に進むか、40歳を過ぎるまで身分が不安定な3〜5年の任期付きの研究職を転々とすることになる。このような状況で、誰が科学者になろうという夢を持ち続けることができるだろうか。 もちろん、大学院修士課程の学生の多くは博士課程進学を躊躇している。就職難に加え、経済的負担も大きいからだ。大学・大学院博士課程の通算9年間に必要な学費・生活費などの資金は平均で1779万円。標準的な収入の家庭が気軽に支出できる額ではない。そのため、奨学金や学費免除の制度はあるが、日本の学生支援制度は非常に寂しい状況にある。 ===== 日米を比較すると、アメリカでは大学院生の8割がなんらかの学費免除や免額を受け、全体の6割近くが全額を免除されているのに対し、日本では65%の大学院生が学費免除・免額を全く受けておらず、全額を免除されている学生は1.7%にすぎない。今年度から高等教育の授業料を免除される生活困窮家庭の基準が緩和されたが、大勢に影響を与えるものではない。返済しなくてよい給付奨学金の状況もお寒い限りだ。 その結果、優秀な学生ほど博士課程進学を敬遠し企業に就職するという状況が生まれている。NISTEPのアンケート調査では研究者の74%が「高い能力を持つ人材が博士課程を敬遠している」と回答し、博士課程の学生を「能力のない人が、それを高めるために博士課程に進学」「就職したくない、できないから博士課程に進学」などと評価している。博士課程はその数だけでなく、質も「空洞化」しているのだ。 研究費の不足と若手研究者の不安定な身分がデータの捏造や改ざんなど不正論文の温床となっていることは間違いない。匿名を条件に取材に応じた前出の国立大教授は「絶望的な空気の中、現場に近い所だけが疲弊していっている」とため息をつく。 「研究費を獲得するために、早く論文を提出しなければならない」「終身雇用を得るために期限までに論文を提出しなければならない」など、研究現場は不正の誘惑に事欠かない状況にある。教授は「最低限の研究費さえ保証されれば、研究者は失敗を恐れず研究に立ち向かえるし、身分が安定していれば納得いくまで研究できます。『論文撤回』のリスクを冒す必要もありません。が、財務省と文部科学省は、基盤的研究費を削減し競争的資金を拡大するばかりでした」と行政を批判した上で、窮状を訴えた。 「失敗したら職を失うような環境ではまともな仕事はできません。切羽詰まって不正の誘惑に負けてしまう若手研究者の心情は理解できます。研究者は『絶対に失敗が許されない環境』で精神をすり減らしています。他の仕事ならやり直すチャンスもあるかもしれないが、研究者は1回でアウト。絶対にやり直せません」 教授が匿名を条件としたのは、科研費の審査に悪影響が出るのを恐れてのことだ。科研費なしでは研究は続けられず、審査の最終決定権は文科省の外郭団体にある。競争的資金獲得のため、多くの科学者はその弊害を自由に批判することさえできない。 ノーベル賞は5年に1度に? 近年のノーベル賞受賞ラッシュは過去の遺産であり、近い将来、受賞者は激減することが予想される。ノーベル賞の受賞年と授賞理由となった研究を発表した年には平均25年のタイムラグがあると推定でき、ある年の各国の受賞者のシェアと、25年前の被引用論文数のシェアには有意な相関がある。 一方、前述のとおり、日本の論文数は減少基調にある。被引用(トップ10%)論文数のランキングは、3年平均値で2003〜05年の4位から2013〜15年には9位に陥落し、シェアは3.1%だ。つまり、2015年の25 年後の2040年頃には、日本人受賞者のシェアは3%前後となる可能性が高い。自然科学系受賞者が毎年6人前後であることを考えると、その3%は0.18人。日本人研究者の受賞の知らせにお祭り騒ぎをするのは5年に1度ぐらいになりそうだ。 本誌2020年10月20日号23ページより ===== 毎年のように繰り返されてきたノーベル賞受賞のお祭り騒ぎの陰には、論文不正の蔓延という闇がある。お祭り騒ぎを続けるためにも、不正論文を少なくするためにも、研究現場の困窮と疲弊の解決が不可欠だ。 もちろん課題は多過ぎて一朝一夕に解決はできないが、短期的には、まず研究費の配分方法を見直すことが急務だ。競争的資金の偏重はもともと、少ない原資を効率的に活用することを目的としていたが、成果は上がっていない。そればかりか研究者から時間を奪い、さらに短期的な成果が期待できる研究が採択される傾向が強いため、研究から長期的な視野も奪っている。このような状況では、将来のノーベル賞につながるような研究は不可能だ。競争的資金の予算を減らす代わりに、研究者が制約を受けずに自由に使うことができる研究費を増額する。その早急な政策変更が求められる。 長期的には制度疲労を起こしている大学制度そのものの見直しも必要だ。教育と研究を両輪とする大学制度は、ごく一部の裕福なエリートだけが進学できた時代に設計されたものだ。大学には学問が期待され、研究者は将来の学者を育てればよかったし、学生は研究者の背中を見て勝手に育った。しかし、今は違う。進学率が6割に迫り大衆化した今、大学には、学者ではなく、社会に出て労働力となる人材を育てる教育機関としての役割が期待されている。それを研究者に求めるのは酷だ。手取り足取りで学生を育て、かつ研究でも成果を上げることなど無理な話だ。 研究者の疲弊の原因は研究費だけでなく、得意とは言えない教育の負担が過重になっていることにもある。大学はとうの昔に研究機関と教育機関に分離する時期に来ている。 [執筆者] 岩本宣明(いわもと・のあ) 1961年生まれ。文筆家・ノンフィクションライター。主な著書に『科学者が消える――ノーベル賞が取れなくなる日本』(東洋経済新報社)、『新聞の作り方』(社会評論社。文芸春秋社菊池寛ドラマ賞受賞)、『新宿リトルバンコク』(旬報社)、『ひょっこりクック諸島』(NTT出版)、『がんとたたかう心の処方箋』(光進社)、『ホスピス――さよならのスマイル』(弦書房)など。他に共著書多数。