<聴覚障害者の両親、宗教にハマる祖母、元ヤクザの祖父......。故郷を捨てるように東京に出た著者が、ややこしい家族との関係をあらためて見つめ直す> 家族とのコミュニケーションがぎくしゃくしている家庭はめずらしくない。血縁といえども性格や考え方が合わないことはよくあるし、年月を経るにしたがい、それぞれが置かれている環境が変化して、関係が悪化してしまうケースもある。家族としてうまくやっていけたら――家族に対してはそれぞれが、心のどこかでそう期待している分、裏切られたときの失望やトラウマは大きくなる。 ライターの五十嵐大氏は聴覚障害者の両親、元ヤクザの祖父、ある宗教を熱心に信仰する祖母の家族で育った。一家はおのずと好奇の目にさらされることが多く、小学生になる頃には、自分の家は「ふつうではない」と自覚するようになった。五十嵐氏は「ふつう」を擬態して日常をサバイブすることを覚え、それに伴い、祖父母や両親との関係は違和感があるものとなっていった。 そんな、ややこしさを抱えた家族との関係を見つめ直した数日間を描いたのが、『しくじり家族』(五十嵐大著、CCCメディアハウス)。かなり特殊に見える家族の事情からは、大なり小なり実はどこにでもある、「しくじった」家族関係を再構築するヒントが見えてくる。『しくじり家族』の一部を2回にわたって抜粋する。 ◇ ◇ ◇ ■Prologue ぼくの家族 祖父の喪服 生まれて初めて参列した葬儀は、祖父のそれだった。しかも、ぼくが喪主を務めなければならない。突然のことで準備が間に合わなかったぼくは、祖父の簞笥(たんす)に仕舞われていた彼の喪服を借りることにした。 祖父は大酒飲みででっぷりしたビール腹をしていたため、ズボンのウエストがぼくには合わない。ベルトをギュッと締めても、ずり落ちてきそうになる。ジャケットの前立(まえた)てはダブル。袖を通して鏡の前に立ってみると、ぶかぶかの制服を身にまとった新入生のような男がひとり映っていた。 まったく哀しくなんてなかった。近しい人を亡くしたときにどうやって涙を流せばいいのか。その方法がわからなかった。 * * * 二〇一〇年の夏のことだった。 東京は吉祥寺にある小さな印刷会社で働いていたぼくの元に、一本の知らせが届いた。 いつまでも震え続ける携帯電話のディスプレイには「佐知子」と表示されていた。伯母――母の一番目の姉――の名前だ。ややこしい家族や親戚のなかで、彼女は比較的ぼくと馬が合う。〝電話をかけること″ができない両親に代わって、時折、ぼくに電話をくれることがあった。 そのときは仕事中だったので応対することができず、無視をした。 再び携帯電話が震えだす。 なにかあったのだろうか。胸の内が少しだけ騒がしくなる。友人からの連絡であればそのままスルーできるものの、このときばかりはそうもいかなかった。ぼくはこっそり電話に出てみた。 「急にごめんね。あのね、おじいちゃん、危篤なの」 こちらを動揺させまいとするように、電話の向こうで、佐知子がゆっくり話すのがわかった。しばし沈黙した後、ぼくはため息交じりで呟いた。 「そうなんだ」 「どうしてそんなことに」と慌てるほど心の準備ができていなかったわけでもないし、言葉を失って泣き出すほど祖父に思い入れがあるわけでもなかった。祖父が亡くなるかもしれないという事実を、ただそのまま受け止めた。だから、「そうなんだ」としか言えなかったのだ。むしろ、どうしてぼくに連絡してくるのだろう、とさえ感じていた。 「で、どうすればいいの」 思いがけず漏れてしまった冷たい言葉に、我ながら驚く。 そんなぼくをたしなめながら、佐知子は続けた。 「決まってるでしょう。今日中に、できればいますぐこっちに帰ってきなさい」 抱えていた仕事を簡単に引き継ぎ、会社からそのまま東京駅へ向かい、東北新幹線に乗り込む頃には日が暮れていた。 平日だったこともあり、車内はそこまで混雑していない。指定席のシートに腰を下ろすと、アナウンスとともに新幹線が動き出した。 夕方の車内には出張帰りらしき会社員や、親子連れなどがまばらに座っており、どこからともなくお弁当の匂いが漂ってきた。 食事するならいまがチャンスだなと思ったけれど、なんだか食欲が湧かない。ホームの売店で適当に買った缶チューハイを流し込みながら、窓の外に目をやる。 猛スピードで流れていく風景は、確実に一日の終わりへと向かっていた。 でも、ぼくの一日はまだまだ終わらない。 ひどく憂鬱な気分になった。 ===== 〝ふつうではない〞家族 ぼくは東北にある小さな港町で、少し〝ややこしい〞家族に囲まれて育った。 両親はふたりとも耳が聴こえない聴覚障害者、祖母はある宗教の熱心な信者、祖父は元ヤクザの暴れん坊、加えて、母のふたりの姉である伯母たちもそれぞれに強烈な癖を持つ人たちだった。 幼い頃のぼくにとって、その環境が〝ふつう〞だった。 それが〝ふつうではない〞ことに気づくのに、時間はかからなかった。 これは田舎によくあることだと思うけれど、ぼくの住んでいた街では、隣近所の家庭環境が筒抜けになっていた。噂はあっという間に知れ渡っていく。 必然的に、ぼくの家族が抱えている問題も、知らない家庭の話のネタにされてしまうのだ。 両親が障害者で、祖母は宗教にハマっていて、祖父は元ヤクザ。 どれひとつとっても、センセーショナルなドラマや映画の設定に使えそうだ。それがフルで揃っている家庭は、さぞかし面白いものだっただろう。 そんな家庭で育ったぼくに向けられるのは、いつだって「可哀想な子ども」というまなざしだった。 道を歩けば、近所の大人たちから声をかけられることも珍しくない。 「頑張っていて、偉いね。大変じゃない?」 「あなたも宗教やってるの?」 「昨日、騒がしかったけど、おじいちゃん大丈夫?」 いまとなっては考えられないけれど、当時はそのように他人の家庭に踏み込んだ発言をする大人たちがたくさんいた。そのたび、ぼくは「大丈夫です」と笑って誤魔化す。でも、全然大丈夫じゃなかった。 ぼくを取り囲むのは、家庭内でなにが起きているのか興味津々な人たちばかり。それでいて、誰もぼくを心配なんてしていない。まるでワイドショーでも見るような視線を向けられるたびに、ぼくは自分の置かれている環境が〝ふつうではない〞と思い知らされていった。 放っておいてほしいと何度も願うのに、その願いはどこにも届かない。 家庭内という狭い世界から一歩外に出て、学校という社会との接点を持つ頃には、〝ふつうではない〞が〝おかしい〞に変化していた。 ぼくの家族はおかしい。 だから、そんな環境で育ったぼくも、みんなと違っておかしいんだ。 そして、いつしかぼくは〝ふつう〞を擬態するようになっていた。家族のことを話さなければ、家族のことを知られなければ、ぼくもみんなと同じでいられると思い込んでいたのだ。 けれど、やはり田舎は狭い。 どこに行ったって、居場所は見つからなかった。 その結果、ぼくは二十歳(はたち)を過ぎた頃、家族を捨てるようにして故郷を飛び出した。 東京ならば、誰もぼくのことを知らない。 そこに行けば、人生をやり直せる。 一から〝ふつう〞の人生を歩める。 そんな希望だけをチケット代わりに、ぼくは過去を消去し、自分の人生を上書きするように生きた。唯一、障害のある両親のことだけは気がかりだったけれど、当時は、ぼくはぼくでなんとかやるから、あなたたちもどうにか元気で生きてね、という無責任な気持ちしかなかった。 ===== 手に入れた〝ふつう〞 東京に出てきてからの五年間は、ほとんど帰省しなかった。佐知子から「おじいちゃんの具合が良くない」とか「おばあちゃんの認知症が進んでるの」などと連絡をもらっても、絶対に帰ろうとはしなかった。きっと、現実と向き合うのが怖かったのだと思う。 ひとたび家族を前にしてしまえば、せっかく東京で築き上げてきた「〝ふつう〞の人生を歩んでいるぼく」という自覚が崩壊し、あらためてそれが仮初(かりそめ)の姿であることを突きつけられてしまうだろう。 * * * それなのに、いよいよ祖父が危ないという。 新幹線の車内から見える風景は、ベタッとした黒に塗りつぶされていた。 真っ黒に塗り替えられた窓ガラスに、まだなにもしていないのに疲れ切った表情を浮かべたぼくが映っている。 面倒なことになったな。 祖父を心配するでもなく、家族との再会を楽しみにするでもなく、久しぶりの帰省に対して浮かんでくるのはネガティブな感情だけだった。 「まもなく仙台、仙台です」 響き渡るアナウンスを耳にし、ため息をつく。立ち上がり、カバンを持ち上げると、大した荷物も入っていないのにやけに重く感じた。 <『しくじり家族』の抜粋第2回は明日6日に掲載予定です> 『しくじり家族』 五十嵐大 著 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)