<家を捨て、集団脱出。行き先は分からない──帰属先をめぐる紛争の終結で全てを失った人々が、絶望と悲劇の中で思うのは> 家財道具を積み上げた車が長い列を作り、その横をトラックが擦り抜けていく。荷台には、壁からワイヤが突き出たトタン屋根の店舗が丸ごと載っていた。 家畜をよそへ移す余裕がなかった住民はニワトリの首をはね、馬のはらわたを抜いた。冷気の中に湯気が立ち上る。家畜の群れを連れて、山道を何キロも移動した者もいる。 それは、集団脱出の悲劇的な相貌だった。 アルメニアのニコル・パシニャン首相が、6週間続いたアゼルバイジャンとの紛争の終結を発表したのは11月10日。アゼルバイジャン領内に位置し、アルメニアが実効支配してきたナゴルノカラバフ自治州の複数の地域が、停戦合意でアゼルバイジャンの支配下に入ることが決まった。 停戦合意発表から数日後、ナゴルノカラバフのアルメニア系住民は自らの土地から避難することを迫られていた。 虐殺の記憶は消えない 西部キャルバジャル地域では、歴史が巻き戻された。1992~94年のナゴルノカラバフ戦争以降、アルメニアが支配してきた同地域は再びアゼルバイジャンの一部になり、今度はアルメニア系住民が土地を追われ、新たな家と新たな生活の場を探している。 悲惨な戦闘が繰り広げられた今回の紛争で、アルメニア側の死者は2300人以上に達した。パシニャンがフェイスブックへの投稿で完全停戦を発表する前から、アルメニア国民の間には喪失感が広がっていた。 イスラム教国に三方を囲まれたキリスト教国で、約1世紀前の虐殺の記憶に今も苦しむアルメニアには、存在を脅かされる不安が付きまとう。今回アゼルバイジャンの後ろ盾になり、1915年のオスマン帝国軍によるアルメニア人虐殺(犠牲者数は約150万人ともいわれる)も公式に認めないトルコによって滅ぼされるのでは──。そんな恐怖が国中に浸透している。 脱出する住民はナゴルノカラバフに何も残していかないようだ。もう失うものはないと、自宅に火を放った村人もいる。自分の家で敵が眠る日は来ないと確信できるのが、せめてもの慰めだ。 「イスラム教徒のために残していけというのか? 私が作り上げた家を?」と、アルセン・ムナチャカニャン(34)は言う。その手はすすで汚れ、出血している。 紛争よりも厳しい現実 農夫で志願兵のムナチャカニャンはその家で20年暮らし、子供たちを育てた。アルメニアかロシアへ向かうつもりだが、まだ行き先は分からない。だが、はっきりしていることが1つある。自分が掛けた屋根の下で、自分が付けた窓からほかの男が外を見るのは、考えるだけで耐えられない。 「ここで、村人は自らの土地や動物と生きている。それを失うのは全てを失うことだ」 ===== 廃墟になったモスク(イスラム礼拝所)とアゼルバイジャン軍兵士 DEFENCE MINISTRY OF AZERBAIJAN-REUTERS アゼルバイジャンの支配下に置かれる日が迫るなか、ナゴルノカラバフの主要都市ステパナケルトとアルメニアを結ぶ北部の山道沿いに、無傷で残る家は皆無に近かった。屋根が剝がされ、梁がむき出しになり、朽ちて葉脈だけになった落ち葉のような姿をさらしている。 アゼルバイジャン当局は、一連の破壊行為を「エコテロリズム」と非難する。 紛争後の現実は、紛争自体より厳しかったかもしれない。携帯電話はほぼ通じず、インターネットも温水も暖房も使えず、食べ物はパンかインスタントヌードルだけだった。 君臨していたのは混乱だ。アゼルバイジャンとの境界は今、正確にはどこなのか。アルメニアに通じる北部の山道がもはやアルメニアの支配下になく、アルメニアに通じるラチン回廊がロシア平和維持部隊に封鎖されるなら、住民は逃げられないのか。問いの数は多く、答えは少なかった。 なかでも強い不安にさらされたのが、古代から残るダディバンク修道院だ。山腹地帯にあるこの修道院は当初、停戦合意の下、アゼルバイジャン側に引き渡されるとみられていた。最後の別れを告げようと、アルメニア各地から数百キロを旅して人々が訪れ、神の介入を祈って、アルメニア国旗にキスする人もいた。 ロシア平和維持部隊の兵士を満載した戦車が到着したのは、司祭が信徒たちに、これが最後となるはずのミサを行っている最中だった。 今のところは、ダディバンク修道院は救われたようだ。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は11月14日、ナゴルノカラバフにあるキリスト教の宗教施設や聖地を保護するようアゼルバイジャンのイルハム・アリエフ大統領に要請した。 ロシア軍(と、近く派遣が見込まれるトルコ軍)は平和維持活動を任務とする。だが、誰もが和平を受け入れるわけではない。 戦闘は終結したが、機械工のアルダクとアララトは今も、必要とあれば前線で戦う覚悟だ。山中の前哨基地で過ごす夜に備えて体を温めようと、彼らはジャガイモとソーセージを焼いている。 アゼルバイジャンがさらなる領土奪取を目指すのではないかと、2人は懸念する。彼らと同じく、パシニャンがアゼルバイジャン側にはるかに有利な協定を結んだことに、多くが怒りを感じている。停戦合意発表後、アルメニアの首都エレバンでは、パシニャンの辞任を要求する抗議デモが起きた。 「辞任すべきだ。それとも自殺するか、ハラキリをするべきだ」と、アルダクは話す。「だが彼が辞任したら、旧体制が復活するだろう。それも歓迎できない」。2018年の政変でパシニャンが首相に就任する前、同国ではエリート層による支配が続いていた。 もっといいアイデアがあると、アルダクは言う。「俺が後継者になればいい」 From Foreign Policy Magazine <本誌2020年12月8日号掲載>