<ビートルズが解散したその年から始まったソロ活動──凶弾に倒れるまでの10年間にスタジオ録音されたアルバム8枚をつぶさに聴くと、ミュージックシーンの中心に居続けようともがいたジョンの一面が見えてくる。本誌「ジョンのレガシー」特集より> 『ジョンの魂』(1970年) APPLE 2枚目のスタジオアルバム『イマジン』があまりに有名過ぎて若干割りを食ってる印象があるが、『ジョンの魂』はビートルズ解散後初のスタジオ録音ソロアルバムであり、これがあっての『イマジン』なのである。 2つのアルバムを、代わり番こに聴くとジョンの謎が解けてくる。両方ともがジョンにとっての魂の光であり影だ。「原初療法」という精神治療をヨーコと共に受けたジョンが自分の心理の奥深い部分をのぞいて曲のモチーフを得る。幼少の頃に母の愛を受けられなかったことを歌う「マザー」や痛みの度合いを測ることが神のコンセプトと書いた「ゴッド」。ビートルズ時代が終わり、ソロ活動を始めたジョンの過渡期における悩みと解放感が漂う。 録音はアビイ・ロード・スタジオ。スタジオ機材でのオタク的遊びや実験が随所にちりばめられている。歌詞は精神性、政治色半々をモチーフに「愛と平和」を貫く。 ビートルズ時代、ヨーコの個展で見た、YESという言葉を虫眼鏡で見る作品を気に入ったという逸話がある。さまざまな材料を作品に盛り込もうとするジョンの姿勢はまさに「YESを虫眼鏡で見る」。ヨーコを制作に加える意味がここにあったと思う。 切っても切り離せない彼女との10年に及ぶ創作コラボの始まりであり、このデビュー盤ではプラスティック・オノ・バンドの存在がジョンの突き破るような内面をよりえぐり出している。自己確立のため曲を書くソングライターの戦いの軌跡がここから始まった。 『イマジン』(1971年) APPLE 世界中に多大な影響力を及ぼし、多くのミュージシャンがカバーし、平和のメッセージの象徴とも言える表題曲から始まるアルバム。 ジョンの真骨頂はアンプの出力を最大にして毒づくような声と、口笛を吹いているかのような優しい声、素朴なピアノと弦にある。ジョンの持つ、賛美歌にあるような「祈り」にも似た感覚は1枚目と同じ布陣、ジョン自身、ヨーコ、そしてフィル・スペクターのプロデュースに負うところが大きい。 「音の壁」と呼ばれる声や弦の多重録音によって重厚で温かいサウンドを作り上げる天才だったフィルは、全体のバランスを心得ている。ポール・マッカートニーとは犬猿の仲だったが、ビートルズ解散直前の散漫なセッション記録を短い期間でアルバム『レット・イット・ビー』にまとめ上げた手腕を買われ、ジョンやジョージ・ハリスンはフィルを多用している。 ビートルズ時代に比べてシンプルだが、ベースが1音ずつ降りていくクリシェやステイしてコードが変化する癖など、哀愁あるメロディーはもちろんのこと、ジョンのポップな個性を生かしまくっている。 新型コロナウイルスの感染拡大で価値観を再構築する渦中を生きる今のわれわれと、ジョンがビートルズ時代を終えボロボロになって再生を目指した時期がくしくも重なる。そんな想像力が大事だろう。『ジョンの魂』同様に、世界に対する怒りや疑問を、限られた短い曲の中で表現するさまは、俳人にも通じる感覚が宿る。 ===== 『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』(1972年) APPLE この作品では直接的な歌詞で人種問題や性差別問題、北アイルランド紛争やベトナム戦争の反戦運動を行っていた反体制活動家のジョン・シンクレアに関する曲を歌い上げている。裸踊りするニクソンと毛沢東の合成写真や、新聞的なデザインのジャケットが目を引く。このアルバムではニューヨークのローカルバンド、エレファンツメモリーがバックを務めた。 ジョンというよりはヨーコとジョンのアルバムで、ジョンのソロ時代の研究材料として非常に面白い。おそらくジョンは、ヨーコによって救われ彼女の存在を通して音楽家として蘇生している。反対にヨーコは音楽家としての欲求は高いけれど、ジョンをもってしても力に限界が見える。 ジョンはプラスティック・オノ・バンドでアルバムの通気性をよくして、ヨーコが世に認められるようにフォローアップするが、微妙な仕上がりが続く。確かに放送禁止用語まで使った「女は世界の奴隷か!」に見て取れる、時代を読む目や話題作りにおいてヨーコは天才だが、「シスターズ・オー・シスターズ」のように彼女が表に出過ぎると曲の稚拙さが浮き彫りになる。「アンジェラ」も共作だが、オルガンソロにジョンらしいクリシェが見え隠れして一瞬はホッとするがヨーコが出てくると音楽として成立しない。 政治的な問題への傾倒が激し過ぎた側面もあるが、ヨーコを音楽家として前へ出した失敗が大きく、チャートも振るわなかった。 『マインド・ゲームス』(1973年) APPLE タイトル曲にも表れているように「平和主義」を貫く姿勢は変わらない。アルバムのリリース前にヨーコと架空の国家「ヌートピア」の建国を宣言したジョン。アルバムの中にも無音が6秒間続く同国の国歌「ヌートピア国際賛歌」がある。しかしジョンは、アルバムが出来上がったかどうかのタイミングでヨーコと別離し、中国系女性と「失われた週末」と呼ばれる時期をロサンゼルスで過ごす。 前作『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』はヨーコ色が強過ぎた。音楽性を引き戻すために、マイケル・ブレッカー(サックス)やジム・ケルトナー(ドラムス)など、ニューヨーク名うての一流ミュージシャンが参加して軌道修正を行ったきらいがある。 僕の仮説だが、『マインド・ゲームス』は前に書き下ろした素材で、補作詞をする形で復活させたのではないか。「マインド・ゲームス」は平和を訴えるメッセージと、ヨーコとのボタンの掛け違いのダブルミーニングか。彼女に直接言えない思いを「あいすません」でひたすら謝り、「ユー・アー・ヒア」で「リバプールから東京へ会いに行きたい」と吐露する──。 よくまとまっているアルバムだが、シンガーソングライターとしてのジョンがぼやける。ヨーコを失う前後の混乱、嫉妬、平凡な男としてのジョンが暴れている。離れる前から「あ、ヨーコに戻る」と思う伏線が興味深い。『ダブル・ファンタジー』につながる導線として貴重な要チェックアルバムだ。 ===== 『心の壁、愛の橋』(1974年) APPLE ヨーコとの別居中に制作された作品。政治色が少なく、シニカルでロマンある詩人のジョンがよみがえる。そして、歌という虚構の世界で恋をなくした男を演じる天才も同時に。 全米チャート1位になった「真夜中を突っ走れ」では切れ味の鋭いミュージシャンが結集し、厚みのあるホーンも入り最高だ。この曲にゲストとして参加したエルトン・ジョンのハーモニーもご機嫌。やっぱり音楽は楽しくなくちゃ。 エレピの音とメジャー7コードをうまく使った異色の「果てしなき愛」は「restless spirits departs(落ち着かない魂が旅立つ)」という、俯瞰的で成熟した目線での作風に膝を打つ。生きるのが怖い、とにかくManage to survive(何とかして生き残る)にはDance to the music(音楽に合わせて踊る)しかない。理屈を超えた音楽の躍動感が、さらっとよみがえった印象だ。 全く言葉を乗せない「ビーフ・ジャーキー」がまたいい位置に置いてある。「ノーバディ・ラヴズ・ユー」の弦やブラスの入り方もうまい。ヨーコやフィル・スペクターに心で感謝しながらも、独り立ちの風通しの良さを楽しむ余裕さえある。ノンストップで100万回でも聴き続けたい傑作。ずっと追い掛けているものが見つからず背中を引っかいてみたり、気持ちが盛り上がってテンポが変わったり── 。俺は自由だと叫ばんばかりに、水のようにゴクゴクとアイデアを飲み干して、最高の一枚を作っている。 『ロックン・ロール』(1975年) APPLE このカバーアルバムをジョンの8枚として加えるかどうか迷った。この作品は、ビートルズの「カム・トゥゲザー」がチャック・ベリーの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」の盗作だとして、その版権を持つモリス・レビーに訴えられたことが発端で作られた。最終的には、レビーが版権を持つべン・E・キングの「スタンド・バイ・ミー」や、くだんの「ユー・キャント・キャッチ・ミー」などをジョンが取り上げてカバーアルバムを作った。 俯瞰して見ることができるフィルをプロデューサーに立てたが、この時期は彼もジョンもプライベートで問題を抱えていて思うように制作が運ばず、揚げ句にフィルがマスターテープを持ち逃げしてレコーディングがストップした。そのあと戻ってきたマスターには使える曲が数曲だったので、ジョン自身がプロデュースして仕上げたといわれている。 ベリーを敬愛するジョンが「ユー・キャント・キャッチ・ミー」に影響を受けたのは分かる。しかし「カム・トゥゲザー」でリズムパートが繰り返すコード進行とメロディーには神がかったオリジナリティーがある。ジョンの「カム・トゥゲザー」が「ユー・キャント・キャッチ・ミー」にしか聞こえないアレンジになったのは世に問い掛けたのだと思う。 アルバムジャケットでジョンの前を横切っているのはポールやジョージらのビートルズメンバー。トラブルが奏功して生まれた考えさせられる名盤で、ウイットにも富む。 ジョンは想像以上にビジネスができる。この年は唯一のベスト盤も制作し、その後ヨーコとよりが戻り息子ショーンが生まれ、育休に入る。 ===== 『ダブル・ファンタジー』(1980年) CAPITOL 1975年にショーンが生まれ、音楽活動からは離れて子育てに専念するジョン。「ウーマン」のミュージックビデオに出てくるショーンを背負ったジョンの姿やビーチで親子で砂遊びをする様子を見ると「これで良かったんだな」と思える。 先行シングル「スターティング・オーヴァー」は、5年間「主夫」だったジョンの音楽活動再開にぴったりのエネルギーに満ちた曲だ。1980年12月5日に日本で発売され、ジョンはその3日後に凶弾に倒れる。 アルバム(ジャケット撮影は篠山紀信)に収められた作品は言葉とメロディーとアレンジがあまりに整備され過ぎていて不吉な影さえ感じる。ジョンにとって5年ぶりのスタジオ録音となったこの作品はヨーコとの共作で、それぞれが半分ずつを作曲し、ほぼ交互に収録されている。 なぜジョンのアルバムにヨーコが存在感を持って登場するのだという厳しい意見や反発もある。そういう人はヨーコの曲を飛ばして聴けばいい。ジョンはフルチャージで再びの音楽活動に意欲と充実を見せている。ショーンやヨーコへの思い、長い時間を経てたどり着いた完璧な和、浄化の時──。ニューヨークのスタジオミュージシャンのビートルズ再現度は半端ないが、彼らが進化したジョンをしっかり支えている。 僕がジョンの曲の中で一番愛してやまない「ウーマン」が「死後」最初のシングル曲になった。なんと15分で書いた曲らしいが、うなずける。名曲とはそういうものだ。 『ミルク・アンド・ハニー』(1984年) CAPITOL 『ダブル・ファンタジー』の続編といってもいい。ジョンが殺害される直前までレコーディングが続けられていたアルバムなのだから。 ジョンとヨーコが半々くらいの構成の曲で、ジョンの曲はヨーコが編集した。「グロー・オールド・ウィズ・ミー」だけはダコタハウスにある自宅録音のデモに、新たにリバーブなどのエフェクトがなされたもの。ジョンのスタジオ録音のアルバムは『ダブル・ファンタジー』までの7枚プラスこの『ミルク・アンド・ハニー』だ。 思えば、重厚なアレンジよりも『ジョンの魂』の頃のようなシンプルな演奏のほうがジョンの曲には合っているような気がする。実際、ヨーコと離れている時期に制作したものは音楽的に評価されて売れてもいる。 生前のジョンは、ビートルズの中で一番人気がなかった。ナンバーワンを作るぞと意気込んで作った「パワー・トゥ・ザ・ピープル」もチャートでは全米11位と振るわなかった。ジョンが語られるときにアーティストの側面ばかりが強調されるが、商業的なことにも頓着し他人の目を気にし、常にマーケットの中心にいようとし続けた軌跡が、くしくもスタジオで残した8枚の中に見え隠れするのがチャーミングだ。 音で遊ぶ天才の、聖人君子じゃない「弱さ」「正直さ」を隠さぬ歌詞。ヨーコが集めたカケラはジョンの判断で決められたものではない。そういう耳で聴く最後のアルバムが『ミルク・アンド・ハニー』。本当の続きが聴きたい。 <2020年12月15日号「ジョンのレガシー」特集より> ===== 『just like starting over』は、5年間「主夫」だったジョンの音楽再開にぴったりのエネルギーに満ちた曲 johnlennon-YouTube