<子どもの頃に体罰を受けた人は、それを愛情表現と歪んで認知し、自分の子どもにも体罰をしてしまうことがある> 2012年末に大阪の高校で教師から体罰を受けていた生徒が自殺する事件が起きて以来、学校現場での体罰が社会問題化している。昔なら不問に付されていた行為も懲戒処分の対象となり、最近では警察沙汰になる頻度も増している。 学校は、治外法権が認められる「聖域」ではなくなりつつある。学校の外で子どもを叩いたら即110番だが、こうした一般社会のルールが容赦なく適用されるようになっている。小・中学校でも条件付きでスマホの持ち込みが認められるようになったが、証拠の動画を撮り、生徒自らが通報するようになるかもしれない。 意識の上では、体罰に対する日本人の目線は厳しい。2017〜20年に実施された『第7回・世界価値観調査』では、子どもを叩くことへの許容度を10段階で尋ねているが、日本人の回答平均値は1.30となっている。9割近くが最低の「1」を選んでいる。 データが分かる48カ国の許容度平均を高い順に並べると、<表1>のようになる。 子どもを叩くことへの意識だが、国によってかなり違っている。最高の6.01から最低の1.22までの開きがある。 左上の上位を見ると、発展途上国が多くなっている。体罰意識は、おおよそ経済発展のレベルと相関しているようにも見える。日本は下から2番目で、意識の上ではかなり啓発されているようだ。しかしこれはあくまで口先の意識表明で、実際の行動がどうかは分からない。子どもの体罰被害率といった指標では、順位がガラリと変わる可能性もある。 ===== 上記は18歳以上の成人の回答だが、次に問うべきは、どの年齢層で体罰許容度が高いかだ。年齢層別に見ると、暴力を許容する意識がいかにして形成されるかがうっすらと見えてくる。 上記調査の個票データを使って、日本人サンプルを10歳刻みの年齢層別に分け、10段階の体罰許容度の平均値を計算してみた。男女に分けた集計もした。<図1>は、結果をグラフにしたものだ。 許容度の絶対水準はどの層でも低いが、ここでの主眼は相対比較だ。体罰許容度は年齢と直線的に比例するのではなく、50代で最も高い。この年齢層では性差も大きくなっている。 今の50代と言えば、学校が荒れに荒れた70年代後半から80年代初頭と思春期が重なり、学校の秩序維持のため、頻繁に体罰を受けた世代だ。男子は特にそうだろう。育った時代背景の影響(傷跡)が出ているようで、何とも痛々しい。 子ども期に体罰を何度も受けた子は、暴力を容認するようになる。体罰は世代連鎖する。よく言われることだが、それを傍証するデータのように思えてならない。その理由については様々なことが言われているが、重要なのは次の2点だ。 体罰が愛情表現? まずは、体罰を受けると、理性をつかさどる脳の前頭前野が委縮することだ。子どもを叩くと脳が縮み、理性の制御が効かなくなるので、ちょっとしたことで手を上げるようになる。 もう一つは、体罰を愛情表現と歪んで認知してしまうことだ。暴力を受けたことを肯定的に捉えないと生きづらいためで、一種の防衛機制と言ってもいい。かくして、自分が愛情と信じるところの体罰をわが子にもしてしまう。体罰の世代連鎖とはこういうことで、体罰は暴力を未来に波及させることに他ならない。 教職員の体罰は学校教育法で禁じられ、保護者の体罰も今年4月の児童虐待防止法改正で禁じられた。コロナ禍による巣ごもり生活で、親子が密室で共にいる時間が増え、衝突が起きやすくなっている。子どもがいる親の包摂(インクルージョン)を、身近な地域社会で進めていくべきだ。 兵庫県の明石市が実践している、おむつ宅配による見守りなどは妙案だ。今は宅配による買い物が増え訪問式のサービスも多くなっているが、「届ける、訪問する」のついでにちょっとした目配りをするだけでもインクルージョンの発端になる。 <資料:『第7回・世界価値観調査』> =====