<TBS元アナウンサーの久保田智子は、特別養子縁組制度がつないだ縁で母になった。なぜその選択をしたのか、「家族」に血のつながりは必要か、彼女が語る「幸せのカタチ」とは――> TBSの元アナウンサーで、2016年に退社後、今月1日付で同社の報道局に復帰した久保田智子(43)は現在、1歳10カ月の女児の母だ。彼女は19年1月、特別養子縁組がつないだ縁で生後4日目のハナちゃん(仮名)を養子に迎えた。 特別養子縁組とは、厚生労働省の言葉で言うと「子の福祉を積極的に確保する観点から、戸籍の記載が実親子とほぼ同様の縁組形式を取るものとして、昭和62年に成立した縁組形式」のことだ。普通養子縁組と違って、特別養子縁組は生みの親との親族関係を終了し、法律上も「実の親子」になる制度である。 12月15日(火)発売のニューズウィーク日本版(12月22日号)「ルポ特別養子縁組 ~私が母になるまで」では、久保田と、夫である日本テレビ記者の平本典昭(42)がハナちゃんに出会い、家族を作っていく道のりを特集する。 なぜ特別養子縁組という選択をしたのか、ハナちゃんを育てる中でいま何を思うのか、久保田に本誌・小暮聡子が聞いた。 ◇ ◇ ◇ ――今、ハナちゃんは1歳10カ月。母になった今、思うことは? 何だろう、ハナちゃんがいて、毎日が本当に幸せだなぁって......。ずっと一緒にいて生活していくと、そこで得られるものは自分の想像をはるかに超えていた。 ハナちゃんに出会うまでは、人からどう見られるかばかりを気にしていた。でも今は、人に何と思われてもいいや、ハナちゃんのために出来ることを優先したいと思える、そんなにも大切なものができた。 大変なことでさえも、とても前向きに捉えている。 ――子供を欲しいと思ったのはいつ頃か。なぜ、養子縁組をしようと思ったのか。 20代の時、自分が不妊症であると知った。お医者さんは、子供は難しいでしょうという言い方をしていた。できないかもしれないと思ったところが、欲しいと思った始まりのような気がする。 それからは、恋愛をするたびに考えていた。どういうテンションで、どういうタイミングで、でも私、子供ができないかもしれないんだよねって相手に言うのかなって。 一方で、私は早い段階から養子縁組という選択肢を知識として得ていた。高校の保健体育の授業で、性教育の一環として、中には子供を儲けることができない夫婦もいるけれど養子縁組という可能性もある、と教えられていた。 TBSに入社後に見た『報道特集』の番組でも、若い夫婦が養子縁組をする様子がとにかく明るいトーンで描かれていた。早いうちから養子という選択肢が自分の中にあったことは、私にとってはとても良かった。 ――今回、本誌の特集の取材を受けることにした理由についても、養子縁組という選択肢を伝えたいと話していた。 こんなに幸せなことが起こるなら、もし子供を持つことを希望する人がいるのなら、若いうちから1人でも多くの人に選択肢の1つとして知ってほしいと思った。 ===== ――夫である平本さんには、どのタイミングで養子という選択肢について伝えたのか。 15年5月に入籍したのだが、その3カ月前に付き合い始めるとき、平本からは彼がその年の6月からニューヨーク支局に赴任するとも言われていた。結婚を前提に交際する中で子供について話して、養子という選択肢もどうかな、とも伝えた。 付き合う中でこの話をするのは、正直とてもつらい。私も結婚したいと思っていたし、でも、自分にはこういう欠点がありまして、というみたいで......話をして、拒絶されたら私はどうなるのかなとか、でも自分の中の一部であり、どうしようもないところなので、受け入れてもらわないと困るなぁとか。自分は幸せになる権利はないのかな?とか......。 ――話したときの、平本さんの反応は? 智子がそれ(養子縁組)がいいならそれでいいよ、という感じだった。彼はとてもポジティブで切り替えが早かった。無理なことについてはもう悩まないで、他の選択肢、という考え方をする人なので。私は決断するのにすごく時間がかかるから、自分と違うタイプの平本のような人に出会えたのは本当に運が良かったと思う。 ――結婚して、子供を持たないで2人で生きていくという選択肢はなかったのか。 確かにそういう生活もあるし、それはそれで幸せだろうなと、建前では思っていた。でも私の中では、子供が欲しいっていう気持ちがとても強かった。あとは、養子という選択肢があることを分かっていたというのも大きいと思う。私も子供が欲しい、平本も欲しい、養子縁組で子供を育てることが出来るかもしれないと知っているのに、なぜ挑戦しないでその選択肢を諦めるのか、と。 ――家族を作りたいという思いは、自分が育った家族の幸福に根差しているのか。 それはないかな......。私自身は、すごく寂しい子供だったと思う。父はよく怒る怖い人で、何かをお願いしても開口一番「ダメだ」と言われる。母は、私が何かに挑戦しようとするたび「そんなことができるわけない」と失敗したときの心構えをさせるような人だった。 今では、母は最悪を想定しておけば失敗した際のダメージが少ないからと、私を守ろうとしてくれていたのかもしれないと思うけれど、当時の私は生きること、逃げることに必死で、すごく自己肯定感の低い子供だった。 家族っていいな、と思うきっかけがあるとしたら、ドラマ『ビバリーヒルズ高校白書』の世界に憧れて高校1年の時にカリフォルニア州でホームステイをしたとき、20代後半のホストファミリー夫妻から生まれて初めて「ほめてほめてほめられまくる」という経験をしたこと。 大学3年次にカリフォルニア大学に1年留学して、同じホストファミリーの元で暮らしたのだが、それまでに夫妻は2人の子供を授かっていて私のことは「長女」として扱ってくれた。ビバリーヒルズの生活を想像していたら、とんでもなく「庶民的」で(笑)。でも本当に素敵なご夫婦に巡り合えた。今思うと、私の家族像はあそこにあるのかもしれない。 ===== ――ハナちゃんを育てている今、「家族」と血のつながりについてはどう思うか。 私自身は、血のつながりがあるからそれだけで幸せな家族、という幼少期ではなかった。でも今は、ハナちゃんを通して父と母の優しさも感じている。 父のことを昔は怖い怖いと思っていたけれど、ハナちゃんをかわいがっているところを見ると、私もこうやってかわいがってもらってたのかもしれないなって。昔は距離があったけれど、ハナちゃんを通して父と母という、自分の家族とも仲良くなっている。 「家族」って、血のつながりがあると当たり前にそこにあるように思うかもしれない。けれど、養子縁組をしてスタートが他人同士だった私たちの場合は特に、当たり前に始まっていないからこそ、家族は毎日毎日少しずつ作られていくものだと感じている。 幸せは単体で存在するというよりも、一瞬一瞬の塊のようにも思う。 毎日一緒にいるということの強さ、その連続性が、愛情を育むのかもしれない。はじめは「どんな赤ちゃんでも好き」だったのが、「ハナちゃんが好き」「ハナちゃんがとっても好き」「ハナちゃんじゃなきゃダメ」にどんどん変わっていく。そういうプロセスの中で、家族ってできていくんだなと。そのことに気づかせてもらった。 ※12月15日発売のニューズウィーク日本版(12月22日号)は、特集「ルポ特別養子縁組 ~私が母になるまで」。養子縁組後、産んでいないことに劣等感を感じていた久保田智子が「母」になるまでの葛藤とそれを乗り越えた上で見つけた幸せのカタチ、その先に問われる特別養子縁組制度の実態と課題、養子として育った当事者の本音、子供に出自を伝える「真実告知」とは何かについて特集する。