<人間の本質に切り込む異才の死を世界が悼んだ。だが母国の映画人の多くは沈黙している......> 昨今、日本では芸能人が不祥事を起こしてしまった場合、本人の活動自粛以外に、出演作品の放送や上映をどうするのかが話題になる。 「作品と演者は切り離して考えるべき」という意見と「責任を取って表舞台には出すべきではない」「被害者の心境を考えると、目につく要因は排除すべき」という意見に分かれ論議されている。 先週11日、ある映画監督の訃報が流れた。彼の死は、作られた作品と作った本人のスキャンダルを切り離すか否かについて、再度考えさせられるものとなった。その監督とはキム・ギドク。韓国映画に脅威がある人ならば、彼の名を知らない人はいないだろう。 欧州から高い評価を得た韓国唯一の監督 1996年『鰐〜ワニ〜』で監督デビューした。その後、2000年・2001年と連続してヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門に作品招待され、世界から注目を集める。 その後、彼は世界三大映画祭であるカンヌ国際映画祭、ベルリン国際映画祭、ヴェネツィア国際映画祭で受賞した韓国唯一の監督となった。 韓国内でも2003年に発表した『春夏秋冬そして春』は、韓国2大映画賞である青龍賞と大鐘賞で作品賞を受賞している。さらに2005年には『うつせみ』が国際映画批評家連盟賞年間最優秀賞を獲得した。 この輝かしい受賞歴をみると、一体どんな巨匠監督なのかと思ってしまうが、その作品はかなりアバンギャルドだ。 韓国では受け入れられず 人々はキム・ギドクの名前の枕詞に、よく「鬼才」という単語をつける。人間のダークな部分を生々しく描く作風で、痛々しく、表現が過激過ぎるため、韓国内の観客からはあまり受け入れられていない。実際、『悪い男』(70万人動員)、金獅子賞受賞作『嘆きのピエタ』(58万人動員)以外は、韓国内で興行的には失敗している。 筆者が学生として通っていたソウル芸術大学に、キム・ギドク監督は映画学科作品担当教授としてやってきた。授業中、よく絵画の勉強のため単身パリにわたったときの貧乏話や、初監督で映画について何も知らず、スタッフに馬鹿にされたことに腹を立て、結局自分ですべてやってしまった話などをしてくれた。 ===== 良くも悪くも子供のような人 エネルギッシュな人柄で、そのパワーは超時短撮影といわれる彼の撮影現場でも垣間見られた。それはまるで監督の一人舞台を見ているような感覚だった。 良くも悪くも子供のような人である。好奇心が旺盛で、自分が興味のある物や事柄を次回作ではすぐに反映させる。そして、それは普通の大人なら羞恥心によって隠すであろう女性への執着ですらも、映画の中で生々しく表現されている。 それがたたってか、作風から女性蔑視者であると言われ、撮影現場や映画祭会場でもよからぬ行動が噂された。そして、2008年オダギリジョー主演の映画『悲夢』では、自殺未遂シーンで女優が死にかける事故が起こった。 主演予定だった女優からの告発、そしてMeToo その後3年間、彼は人里離れた山に籠って生活をしていた。3年後、その隠とん生活を描いた映画『アリラン』で復活し作品作りを続けたが、彼へのスキャンダルイメージを決定的にしたのが2017年、映画『メビウス』で主演予定だった女優からの暴行告発である。 その女優曰く、演技指導として頬を殴られ、合意のなかったベッドシーンを強要されたという。また、劇中登場する男性器も、偽物使用と聞かされていたが、撮影当日になって本物で演技しろと言われたそうだ。この訴えは裁判にかけられ、結果的にキム・ギドクがこれを認めて罰金を支払った。 翌年、ハリウッドから始まったMeToo運動が世界で活発化するなか、キム・ギドクの周囲のスタッフ、元出演者たちから次々と告発の声が上がる。さらに、ハンギョレ新聞女性記者も、インタビュー中にセクハラ行為を受けたことを発表し話題となった。 同年3月、告発スクープで人気の報道番組『PD手帳』で女優2人がセクハラ/レイプを告白したが、キム・ギドクは否定し、番組側を名誉棄損で訴えるも、PD手帳は迎え撃つかのように追加の告発内容で構成した続編の放送を発表した。 韓国で上映禁止の新作を日本の映画祭が招聘 こうした一連の流れから、2018年に制作した映画『人間の時間』は国内上映禁止になったが、2019年ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が、これをオープニング作品に選出した。そのことを知った韓国の女性団体から抗議文が送られたが、ゆうばり映画祭側は上映決定を覆すことはなく、「犯罪を擁護してはいない」と回答し、作品とスキャンダルを切り離した考えを表明した。映画祭開会日には抗議者が数人会場へやってきたそうだ。 そして今年、キム・ギドクは移住準備のため、妻と娘を韓国に残しラトビアへ飛び立ったが、今月になって連絡が途絶え、12月11日コロナウィルスの合併症による死亡が確認された。 ===== 訃報への反応も賛否両論 訃報が世界に流れ、SNSではキム・ギドク監督を偲ぶ声が寄せられる一方、彼のセクハラ・暴力行為を批判するコメントも多く、賛否両論が飛び交っている。 今年、米アカデミー賞3冠を制した映画『パラサイト 半地下の家族』で、その素晴らしい英語字幕翻訳で注目が集まったダーシー・パケットは、自身のSNSで「無残な暴力を人々に犯したなら、そんな彼を称えるのは間違っている」「彼が天才かどうかなんて関係ない(そして彼が天才だったと思わない)」「特に賛辞の声が欧米から寄せられていることにがっかりだ」とコメントした。 また、このような訃報があった場合、公式メッセージを出すはずの韓国映画監督組合、韓国映画制作家協会、プロデューサー組合、映画産業労働組合、映画団体連帯会議など映画界主要団体も、キム・ギドク監督の死に対する公式な追悼の辞や哀悼を伝えていない。これは韓国映画界内でもアウトサイダーだった彼の存在を物語っている。 一方で、釜山国際映画祭のチョン・ヤンジュン執行委員長は、「映画界にとって大きな損失」と悲しみの声を投稿している。ほかに、彼と親交のあった人々が個人的にSNSにてお悔やみのコメントを載せているも、数は多くはない。 俳優やスタッフの涙はもういらない さて、ここでもう一度冒頭のクエスチョンに話を戻そう。経歴だけ見れば申し分ない韓国を代表する監督といえる。しかし、本人のスキャンダルや作品の過激さで、新作を発表すれば常に批判の対象だ。作品と監督がしてきた行為は切り離して考えるべきなのだろうか。監督というひとりの人間だけを批判し、作品を評価することはできるだろうか? 「彼の狂気なまでの表現は、彼の人となりから生まれたものだ」という人がいる。セクハラや暴行をするような狂気的な監督だからこそ、あのような傑作が生み出されたのだ、という主張だ。しかし、それは本当に正解なのだろうか。ただの言い訳に過ぎないのではないか。 芸の肥やしに浮気をする。演技や音楽のために違法薬物をする。この業界では当たり前......など世間にはさまざまな言い逃れが存在する。しかし、それが許される時代は終わった。大衆は「そうか、ならばしょうがない......」と見逃してくれる時代ではないのである。 映画を観覧中に、その後ろに隠れた俳優やスタッフの涙を想像させる作品はもうたくさんだ。観る側にそんな余計な心配をさせる作品の責任は、やはり作り手側にある。 キム・ギドク、あなたの素顔は? 国内外の映画祭で見かけると、向こうから「あずみ氏~!」と手を振りながら声をかけてくれ、周辺の映画人たちに「教え子だったんです。いわば弟子です。日本人たった一人でね。見上げた根性ですよ」と紹介してくれた時の顔が今でも目に浮かぶ。あの監督とスキャンダルにまみれの監督、どちらが真のキム・ギドクの素顔だったのだろうか。 ===== 日本では今春公開された『人間の時間』、韓国では上映禁止だった ベルリン国際映画祭などの招待作品として上映された作品だが、韓国では上映禁止となったままだ。 uzumasafilm / YouTube 訃報への反応も韓国では否定的な反応 故人の過ちを語ることは憚れる傾向が強い韓国だが、今回のキム・ギドク監督の訃報では、追悼することへの反対の声が多いという。 채널A 뉴스 / YouTube 女優たちが告発したドキュメンタリー番組 キム・ギドク監督にセクハラ/レイプを受けた女優が告発したドキュメンタリー番組(ノーカット版)。 MBC PD수첩 / YouTube