<特別養子縁組で母となったTBS元アナ・久保田智子が抱えていた「劣等感」とその先に見つけた幸せのカタチ、「養子」に対する社会の先入観と養子縁組家庭の真実とは。特集「ルポ特別養子縁組」全文を前後編に分けて公開する(こちらはルポ後編です)> ※前編はこちら:TBS久保田智子が選択した「特別養子縁組」という幸せのカタチ(ルポ前編) 血のつながりのない子供を「わが子」として愛せるのか。特別養子縁組を検討する人にとっては、気掛かりな点の1つだ。ハナちゃんと1年10カ月過ごしてきた久保田は、今となっては「毎日一緒にいるということの強さ、その連続性が、愛情を育むのかもしれない」と思う。 今年11月のある日の夕方、キッチンに立ちハナちゃんのためにハンバーグを作る久保田の姿は、古くから世間に流布する「幸せなお母さん」像そのものだ。心の声をつぶやくかのように、「何だろう、ハナちゃんがいて、本当に幸せだなぁって......思うんだよね」と言う。 だがあの頃、ハナちゃんをわが家に迎えた当初は、「母と子」というずっと憧れていた「夢の世界」に浸る一方で、「お母さんって、これで合っているのかな」と、自信がなかった。「自分からは『ママだよ』って、どうしても言えなかった。そんなこと言っちゃいけないんじゃないかと、ずっと思っていた」 出産という赤ちゃんとの共同作業を経ていないため、「どんなに他のママたちと同様に懸命にミルクをあげ、オムツを替え、夜泣きをすればずっと抱きかかえて過ごしても、どこかママごっこでもさせてもらっているかのような虚構感が私を襲うのです」――そう久保田自身がつづった原稿が、私の手元にある。 当時、本誌にコラムニストとして寄稿していた彼女に、子供のことを文章にしたいという気持ちになったら何でもいいから書いてみてほしいと依頼していたのだ。「ご縁がありまして養子を授かりました。いま私はとても幸せです」ついに公開するに至らなかったその原稿は、そう書きだされる。 「早く公表したいと思いながら、この始まりの2行を素直に書けるようになるまで3カ月もかかってしまいました。......ハナコのことがとてもかわいいし、私は今までに感じたことのない幸福感を日々味わっています。でも、自分が産んでいないことへの劣等感のため、自分の幸せを素直に肯定できなかったのです」 久保田の劣等感は、「おなかを痛めて産んでこそ母になる」という社会に根強い概念を上書きする論理を自分がまだ持っていなかったことに加えて、特別養子縁組は「子供のための制度である」というもう1つの概念にも根差していた。子供を授かりたい親のための制度ではない、そう言われると、親になった喜びを受け入れるより先に、子供のために「いいママ」になれているのだろうかという不安が押し寄せる。 母乳をあげるなど物理的にできないことに直面すると、他の母たち以上に努力しなければと必死になった。児童相談所の職員による家庭訪問を受けると、母親として信頼できるのか、合格点かを点検されているようにさえ思えた。決められたマニュアルに従い、模範的な母親になって初めて多くの「母と子」と同じスタートラインに立てる――そう焦るなかでがんじがらめになっていた。 ===== 当時の久保田は、そんな呪縛を克服しようと「私がハナコのママである必然性」を探していた。なぜハナちゃんにとって、自分にとって、お互いがお互いじゃないと駄目なのか。その理由を、きっとハナちゃんは知りたがるだろう、と。おなかの中から生まれていなくてもつながりがあるのだと、「運命」以上の論理的な説明を求めていた。 「私はママになった、というよりは、日々ママになりつつある、という状況です」と、未公開に終わった原稿は結ばれる。 しかしその後、1日8回のミルクから手作りの離乳食へ、抱っこひもから電動自転車のチャイルドシートへと2人で積み重ねてきた時間が、久保田に予想もしていなかったロジックを生み出していくことになる。 「ずっと一緒にいて生活していくと、そこで得られるものは自分の想像をはるかに超えていた」と、今の久保田はどこか解放されたかのように語る。「その関係性を言葉にすることは今も難しいのだけれど、とにかく、すごくいい」 19年11月、平本夫妻とハナちゃんは、戸籍上も「実の親子」となった。特別養子縁組が成立するには育ての親が家庭裁判所に縁組の申し立てをし、6カ月以上の試験養育期間を経て家庭裁判所が審判を下す。本日をもって、あなたたちは正式に親子です、と。 だが、親子をつくるのは紙ではない。今年4月には、ハナちゃんが自分のほうから「ママ」と呼んでくれた。代替可能な誰かではなく「私」を求めているのだと分かって、久保田も「ママだよ~!」と言えるようになった。今では、既成概念の「母と子」ではなく、「私とハナちゃん」という言い方がしっくりくる。たった1つの、新しい関係性を2人で一緒につくっていると感じている。 真実告知と生みの親の事情 特別養子縁組家庭に他の多くの家族との違いがあるとすれば、それは子育てをするなかで親が子供に、血縁関係がないと知らせるプロセスを踏むことだ。特別養子縁組は戸籍上も実の親子になる制度だが、子供には自分の出自を知る権利がある。戸籍に「【民法817条の2による裁判確定日】令和〇年〇月〇日」と記載されるのは、その権利を保障するためだ。 育ての親が子供に出自を告げるプロセスは「真実告知」と呼ばれ、いつ、どういう言い方でどこまで伝えるのかについての決まりはない。それぞれの親子関係の中で模索されることになるが、新生児から育てている場合は物心がつく前から、お母さんのおなかからは生まれていないけれどこんなに大切に思っている、などと伝えることが推奨されている。 他方で、生みの親の事情をありのままに伝えるべきかどうかは難しい。鈴木によれば、女性たちから相談の連絡が入るのは、中期中絶(妊娠12~22週未満)ができなくなった妊娠22週以降が多い。もともと生理不順で生理が止まっても気にしていなかった、便秘気味で初期の胎動を排泄の動きと勘違いしていたという声をたびたび聞くほか、妊娠に気付けないような生活をしている、社会的に弱い立場の女性も少なくない。 ようやく病院に行くと中期中絶は費用も高額で危険が伴うと告げられ、怖くなってそれ以降は病院に行かず、妊婦健診も受けないまま時間が過ぎる。民間団体に委託する場合は生みの親の側に出産に関わる費用は発生しないという情報を得て連絡してくる人の中には、15歳以下を含む未成年者もいれば、婚外子を妊娠した既婚者や独身者もいる。 ===== 養子縁組を仲介する鈴木は、生みの親にも寄り添う PHOTOGRAPH BY MAYUMI SUZUKI FOR NEWSWEEK JAPAN 「産み捨て」のニュースが後を絶たないなか、鈴木は、育てられる方法がある場合でも「あなた、本当は育てられるでしょう」などと追い詰めるようなことは言わない。「相談者は勇気を振り絞って連絡してきてくれる。頭ごなしに指導的発言をすると相手の心が折れてしまい、連絡が途絶えてしまうことが多い。そうなってしまったら、生まれてくる命も生みの親の現状も救えなくなる」 相手の言葉に耳を傾け、相談に乗りながら、さまざまな選択肢を提示し、一緒に考えていく。その上で、「特別養子縁組をすることが子供にとって最善だ」と彼女たち自身が判断し、決断するのであれば、ベストな縁組に向けてサポートしていく。 鈴木は言う。「育てられる環境がないため、別れざるを得ない。ほとんどの生みの親は、自分で育ててみたいと必ず一度は思うんです。そして、一生懸命考え、子供にとって縁組することが一番幸せになる選択だ、と決断します。泣かない生みの親はいません」 鈴木は10年前、当時18歳だった息子を突然死で亡くしている。言葉にできない喪失感は、鈴木自身も経験した。子を手放す親に対して、鈴木は「あなたも幸せにならないといけない」と語り掛ける。「特別養子縁組は、親と子のそれぞれの未来のための第一歩。あなたも子供も自分の道をしっかり歩いて行くための選択肢なのだ」と。 養子として育った彼女の本音 では、実際に特別養子縁組の子として育った人は、何をどう感じて生きてきたのか。今年から大阪で社会人1年生として働く23歳の村田明子(仮名)にオンラインで話を聞くと、父と母からは大切にされ、養子であることを特に意識せずに育ちました、幸せですと迷いなく語ってくれた。 明子には、真実告知をされた記憶があった。物心がつく前から「赤ちゃんの国からやって来た」と母に告げられ、小学校低学年の時に授業で国語辞典の使い方を習うと、自宅に帰ってこっそり「養子」という言葉を引いた。「これって何? 自分?」と思ったという。 幼少期の明子にとっては、言葉で定義される「養子縁組」という関係と、自分の現実の親子関係は別物に思えた。明子にとって両親は「養親」ではなく「お父さん、お母さん」、つまり「実親」以外の何ものでもなかった。 それでも、養子縁組について周囲から入ってくる断片的な情報から、18歳で家を出なければならないのかと「パニックになった」という。小学校高学年までは「養子って何だろう」ともやもやする気持ちが続いたが、親には聞いてはいけないことのような気がしていた。 自分が養子であることを感じながら育ったわけではない。周囲からの視線で嫌な思いをした記憶もほとんどない。中学と高校は「暗黒時代」で反抗期もあったが、それは「養子」であることとは関係ない。そう自分のことをどこか客観的な視点で語る明子だが、一方で自分のアイデンティティーを多くの言葉で模索してきたように見えた。 ===== 彼女の本音をもっと聞き、母親にも会いたい。そう思い、今年11月初めに村田親子を訪ねて大阪に向かった。大阪市内のホテルのロビーで2人に対面すると、会った瞬間から、「ああ、親子だ」と思わせる空気にのみ込まれた。 互いに突っ込みを入れながら話す、親子の屈託のない会話の中で、明子は小学生の頃を振り返り「特別養子縁組制度が何なのか、もっと早いうちから全部教えてほしかった」と訴えるように言った。勝手な「配慮」は要らなかったし、制度についての情報は全て教えてほしかった。 「実母」という言葉で語られる人が自分で育てられなかった事情を聞いてもいいことがなさそうだし、会いたいとも特に思わない。だが最近は、乳癌など遺伝性のある病気を持っているのか、どういう体形なのかなど、女性であるが故に気になることはある。 初めて聞く娘の率直な思いを、傍らの母親は神妙な面持ちで受け止めながらこう言った。「私はこれまでに、『生みのお母さん』という言い方をしたことは一度もない。明子にとってのお母さんは、私1人だけだから」 明子を育てる日々は「毎日がとにかく必死だった」という母親は、それでも数年前から里親制度で小学生の子供を育てている。「私は特別養子縁組という制度で親になることができた。この制度に恩返しがしたかった」という。50歳を過ぎてからの2度目の挑戦は、23年前の自分の選択を肯定するからこそ、なのだろう。 「養子」の真実と社会の理解 ここに興味深いデータがある。日本財団が16年に子供が15歳以上の特別養子縁組(回答全体の82%)と普通養子縁組(同18%)の家庭を対象に行った調査によると、「自分が今、幸せである」という幸福感は、養子のほうが一般家庭の子供の平均よりも高い(下図参照)。 また、子供を育てたことについて「とても良かった」と感じている養親は74.4%、「良かった」は21.2%、父母に育てられたことについて「とても良かった」と感じている養子は61.3%、「良かった」は29.1%と、ほとんどの親子が互いに家族になれたことを肯定的に捉えていることも分かった。 日本財団が16年に子供が15歳以上の特別養子縁組と普通養子縁組の家庭を対象に行った調査によると、子供の幸福感は養子のほうが一般家庭の平均よりも高い。養子の回答では「10点」の割合が23.4%と最も高かった。(本誌2020年12月22日号25ページより) ===== 一方で、養子縁組をした762人の親子の声を集めたこの報告書は、「実際に特別養子縁組をした家庭からは、いまだに世間や学校での理解のなさで困ったという声も少なくない」とも指摘している。 社会の理解――これは、久保田が今回の取材を受けた理由の1つだった。「特別養子縁組をして幸せだと、母親がオープンに語ることはハナちゃんのためにもなるように思う」と、彼女は言う。 子供が養子であることまで他人に言う必要があるのか、久保田は一時期、逡巡していた。「子供を育てています」だけでは不足なのだろうか。そう思う一方で、こんなにポジティブな選択をしたのになぜ「隠す」必要があるのか、とも思った。ハナちゃんを迎えた当初はそれほど親しくない人にまであえて積極的に話していたが、相手が戸惑う場面を何度か目の当たりにするうちに、気を使わせるだけなのではと感じ、次第に告げなくなっていったという。 平本は、養子に対する「先入観」を感じることもあった。子供が生まれたと言えば、一般的には「おめでとう!」と言われるところだが、「養子を迎えた」と話すと「すごいね」「おまえ、えらいな」などと言われる。「それにはとても違和感がある」と、平本は言う。「うちは子供ができなかったから選択肢として養子縁組をして、縁があってハナちゃんが家族になって、ハナちゃんと楽しく過ごしている。普通のファミリーの暮らしをしているだけだから」 養子縁組家庭も多様な家族の形の1つなのに、特定の先入観がいまだに日本社会に染み付いている。社会の認識が平本の母が言った「養子を育てるのは大変」だというイメージで止まっているのだとしたら、それはあまたある幸せなストーリーがほとんど聞こえてこなかったからだろう。平本は「今の自分たちを見れば、おふくろもきっとハナちゃんをかわいがってくれたはずだ」と語る。 これまでに久保田がインタビューを通して語ってくれたことで、ここに書き切れなかった「小さな幸せ」は無数にある。 「夜、真っ暗な部屋のベッドで一緒に寝ていると、私がいるかを確認するかのように『ママー』と呼び、『はーい』と返事をする。それを繰り返しながら、いつしか安心したように寝息をたてるのを聞くとき。小さな手で、しっかり私の手を握ってくるところ。運動会で、私を見た瞬間に列から飛び出して駆け寄ってきたとき。 動物園で私が好きな動物、象とか、パンダ、コアラを、ハナちゃんも一緒に興奮して探してくれること。人からどう見られるかばかりを気にしていたけれど、今は人に何と思われてもいいや、ハナちゃんのためにできることを優先したいと思える、こんなにも大切なものができたこと。ハナちゃんと一緒に歩むこれからの人生を考えるとき」――。 久保田は真実告知をするための1つの方法として、ハナちゃんと自分についての物語を絵本にするつもりだ。定型化された幸せではなく、自分たちだからこその幸せを二人三脚で紡いでいく、その先にある唯一無二の物語。それこそが、いつか彼女がハナちゃんに語る家族の真実なのだろう。 ※前編はこちら:TBS久保田智子が選択した「特別養子縁組」という幸せのカタチ(ルポ前編)