<歴史家キース・ロウが解き明かす、太平洋戦争が米国旗に与えた決定的な意味> 戦争の記念碑が立てられるのは、勝利を祝福し、敗北を嘆くためだ。建物の壁に多くの戦死者の名前が刻み込まれるのは、後世が彼らの犠牲の上に成り立っていることを知らしめるためだ。 しかし時代や社会の価値観が変わって、英雄とたたえられてきた人がもはや英雄ではないと見なされるようになったら、その記念碑や銅像はどうすればいいのか。 イギリス人歴史家のキース・ロウは新著『歴史の囚人──記念碑は歴史と私たちについて何を物語っているか』(セント・マーティンズ・プレス刊)で、こうした問いに答えようとしている。 以下の抜粋部分で、ロウはアメリカの海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)を例に、ヨーロッパとアメリカの記念碑に対する考え方の違い、さらには世界とアメリカにおける米国旗の受け止め方の違いを説明している。 ◇ ◇ ◇ 私はよく、第2次大戦とアメリカの英雄神話について話をする。アメリカ人は戦争の英雄を、人間ではなく伝説の登場人物か聖人のように見なすことがある。かつてロナルド・レーガン大統領は彼らを、信仰に駆り立てられ、神の祝福を受けたキリスト教徒の軍だと表現した。ビル・クリントン大統領は、「暗黒勢力」と戦って不朽の存在となった「自由の戦士」と呼んだ。 なぜ生身の兵士や退役軍人をそこまで持ち上げるのか。 アメリカ人に言わせれば、第2次大戦で米兵が果たした役割は、アメリカのあらゆる美徳を象徴している。ヨーロッパの人間にとっては正気とは思えない考え方だ。 こうした違いは戦争記念碑を見るとよく分かる。アメリカの記念碑は英雄がモチーフで、勝利の高揚感にあふれている。一方、ヨーロッパの戦争記念碑は犠牲者がモチーフで、沈痛な雰囲気が漂っていることが多い。アメリカの記念碑は理想主義的だが、ヨーロッパの記念碑からはさほど断固たる理念は感じられない。 アメリカで最も愛されている第2次大戦の戦争記念碑の1つは、アーリントン国立墓地の一角にある海兵隊戦争記念碑だろう。モチーフとなったのは、1945年に硫黄島の山頂に星条旗を立てた米海兵隊の兵士たち。報道写真家ジョー・ローゼンタールが撮影した有名な写真をベースに造られたものだ。 優れた記念碑はどれもそうだが、この記念碑の背景にも物語がある。それをきちんと理解するには、戦争の始まりにさかのぼる必要がある。 ===== アメリカが第2次大戦に参戦したのは、1941年12月7日、日本が真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けたのがきっかけだった。この悪名高い攻撃は、現在もアメリカの方向性を決定づけた歴史的な重大事件として記憶されている。 日本軍は1時間半にわたり、米太平洋艦隊の艦艇や飛行場や港湾施設を爆撃し、アメリカ側に死者2400人以上、負傷者約1200人の被害を与えた。米軍の艦艇21隻、航空機188機が失われた。 アメリカ社会は言葉で表せないほどの衝撃を受けた。以降、その衝撃に比肩するのは2001年の米同時多発テロしかないとされる。 全ては真珠湾が始まり 真珠湾攻撃の背景にあったロジックは単純だ。日本は太平洋地域を支配したいと考えていて、アメリカにこの地域から手を引かせたかった。そこで米太平洋艦隊に迅速に大打撃を与えれば、アメリカは日本の求める交渉に応じてくるだろうと考えた。 これはリスクの大きい戦略だった。アメリカが戦わずして諦めることは絶対にない。案の定、当初の衝撃から立ち直ると、アメリカは断固たる反撃を開始した。そして3年半かけて、太平洋を西へ西へと勢力を広げた。 しばしばその最前線にいたのが海兵隊だ。そして硫黄島は、彼らが最初に到達した日本の領土だった。 4日間に及ぶ激戦の末、数人の海兵隊員が、島で一番の高台である摺鉢山(すりばちやま)の頂上にたどり着いた。そこで彼らは日本軍が放置していった水道管に米国旗をくくり付けた。その数時間後、別の海兵隊員のグループが、もっと大きな星条旗を持ってきて付け替えた。ローゼンタールが捉えたのはその瞬間だ。 硫黄島記念碑はアメリカ人の断固たる決意と粘りと結束を象徴している。6人の海兵隊員は、米国旗を立てるという1つの目的のために全力を振り絞っている。彼らの手は同じポールを握り、彼らの足は同じ方向に曲がっている。 これは暴力の記念碑だ。殺害される日本兵の姿はないが、敵国の領土に6人の米海兵隊員が星条旗を打ち立てる力には、控えめに言ってもより暗い何かが見え隠れする。それは、当時の米国民が目にすることを許されなかったものだ。 だが、硫黄島記念碑は何にもまして報復を体現する。真珠湾攻撃で始まった物語は、日本の領土にアメリカの国旗を掲げる米軍によって終わる。これはあからさまな警告だ。アメリカを攻撃すれば、誰もが同じ結末を迎える、と。 ===== とはいえ、アメリカ人の多くが硫黄島記念碑に抱く敬意は、報復と断固たる決意の表現が理由ではない。明らかに、別の何かが作用している。 この点を理解するには、後方の人物像に目を向けなければならない。彼らは、あたかも天に手を伸ばしているかのようだ。その頭上には星条旗が翻る。 最後方の兵士は旗ざおをつかもうとしているが、手が届きそうで届かない。その姿は、バチカンのシスティナ礼拝堂にあるミケランジェロの有名なフレスコ画『アダムの創造』で、神に向かって腕を伸ばすアダムを連想させる。 彼らは「手にできないかもしれないものを必死に探り、天の力に助けを求めて」いると、記念碑を手掛けた彫刻家フェリックス・ド・ウェルドンは、1954年に行われた除幕式で語った。「逆境の中では誰もがその力を必要とし、その導きなしでは私たちの努力は実を結ばないだろう」 そうした神の導きを象徴するのが、頭上の星条旗だ。 自身の作品を持つ故ローゼンタール(2000年) DAVID HUME KENNERLY/GETTY IMAGES イラクで掲げた星条旗 言い換えれば、硫黄島記念碑の真のテーマは米海兵隊でも日本軍に対する勝利でもなく、第2次大戦とも関係がない。真の意味を付与するのは星条旗だ。アメリカで硫黄島記念碑が熱烈に愛されている本当の理由は、神と国家の融合体という側面を持つ星条旗というシンボルにある。 第2次大戦の記憶の解釈をめぐって欧米間に大きな隔たりがあるなら、これこそが核心にある問題の1つだ。 両者はそれぞれ、第2次大戦から全く異なる教訓を学んだ。大戦に先立つ30年代、ヨーロッパは愛国心の誇示がはらむ危険に全面的にさらされた。その後に吹き荒れた暴力の時代に、熱狂的なナショナリズムが制御を失ったらどうなるかを身をもって体験した。 結果的に、国旗は極めて慎重に扱うべき象徴になっている。戦後のポスト植民地時代の欧州では、国旗に対して過剰な情熱を示せば、懐疑の目で見られるのが普通だ。外国の領土に国旗を打ち立てる行為を賛美する記念碑など、まず考えられない。 対照的に、アメリカでは裁判所や学校や政府機関、公園、住宅の敷地、車、衣服と至る所に国旗があふれている。NFL(全米プロフットボールリーグ)の試合前には国旗への賛歌にほかならない国歌「星条旗」が斉唱され、子供たちは学校で国旗に対する忠誠の誓いを暗唱する。 ===== こうした慣行は第2次大戦前から存在したが、米国民と国旗の聖なる絆はこの戦争によって確かなものになった。 大半のアメリカ人にとって米国旗は、単なる「国家」をはるかに超えたものを意味している。ヨーロッパの人間はこの点を理解できない。星条旗はアメリカ人が普遍のものと信じる美徳、すなわち希望や自由、公正、民主主義の象徴だ。 米国民は41~45年、彼らの国旗が欧州と太平洋で前進するさまを見守り、それに伴って広がる解放を目にし、アメリカは素晴らしいことをしていると知った。第2次大戦後は打ち負かした敵に寛大な態度を示し、敗戦国の経済的な立ち直りを助け、独立性を早期に返還した。 硫黄島記念碑が持つ決定的な意味は、そこにある。敵地に星条旗を立てる米兵士の姿は、支配ではなく自由を表す。 アメリカ人はこの点を直感的に理解している。だからこそ彼らは45年以降、韓国やベトナム、グレナダ、ソマリア、アフガニスタンで誇らしげに米国旗を掲げた。2003年、イラクのバグダッド解放の際には米海兵隊員がフィルドス広場に立つサダム・フセイン像によじ登り、星条旗でフセインの顔を覆った。 アメリカ人は自国が促進する価値観を熱烈に信じている。全く同じ価値観を守るために、彼らは第2次大戦を戦った。 残念ながら、ほかの国々の見方はかなり異なる。米国内に翻る星条旗がどれほど輝かしくても、外国の領土に掲げられたとき、それは全く違うものに見え始める。 Excerpted from "Prisoners of History: What Monuments to World War II Tell Us About Our History and Ourselves" by Keith Lowe. Copyright © 2020 by the author and reprinted by permission of St. Martin's Publishing Group. <本誌2020年12月15日号掲載>