<ヨーロッパは「内容を理解していないのに進級させるのは可哀想」と考えるが、日本は「下の学年と机を並べさせるのは可哀想」と考える> 現在、文科省の中央教育審議会が令和の学校教育の在り方について審議中で、間もなく最終答申が出される見通しだ。 答申の素案を見ると、令和の学校で実現すべき子どもの学びは、「個別最適な学び」と「協働的な学び」に分けられるとされている。後者は人との関係やリアルの体験を通して学ぶ集団学習で、日本の学校が得意とするところだ。前者は個々人のペースに応じた学びで、外国人の子や発達障害児など、児童生徒の背景が多様化するなかで重要性が増してきている。 また、履修主義と修得主義を組み合わせることも提言されている。履修主義は、対象の集団に一定の期間で同じ教育を施すもので、形式的な教科の履修によって自動的に進級が認められる。修得主義は内容の習得度を重視し、そのレベルに応じて異なる教育内容を提供することで、原級留置や飛び級も頻繁に行われる。 履修主義は協働的な学び(集団)、修得主義は個別最適な学び(個)と対応している。上述のように個別最適な学びの必要性が高まっているので、修得主義の要素も入れないといけない、というわけだ。修得主義では内容の理解度が重視されるので、成績が振るわない子の原級留置(落第)は少なくない。逆にできる子は高度な内容を履修すべく、飛び級も認められる。 これらは日本の義務教育では皆無だが、他国では違う。国際学力調査「PISA」の対象は15歳だが、在籍学年が標準学年か、それよりも下か上かの分布をとると<図1>のようになる。 日本の場合、「PISA」に参加しているのは全員が高校1年生、つまり15歳生徒の標準学年ということになる。しかし他国を見ると、標準学年より下もいればその逆もいる。前者は落第、後者は飛び級の経験者だ。 オランダ、スロバキア、オーストリア、コロンビアでは、落第経験者が4割ほどいる。OECD加盟国以外は省いたが、ブラジルでは59.2%が標準学年より下となっている。落第が普通の国だ。これにはおそらく児童労働も関係しているだろう。 チェコ、ルクセンブルク、ドイツでは飛び級が多いようだ。できる子には「進級してもいい」と声を掛け、振るわない子には「ゆっくりやりなさい」と今の学年をもう一度繰り返すことを促す。否定的なレッテル貼りの性格はない。あくまで個に応じた内容の提供を目指す。日本でもこれから重視されるべき、個別最適な学びと通じる。 ===== 参考までに、OECD加盟国以外の国も含め、標準学年に在籍している15歳生徒の率を見てみよう。<表1>は、78カ国を高い順に並べたものだ。 日本は100.0で、標準より下、ないしは上の生徒は1人もいない。落第、飛び級ゼロの純粋年齢主義(履修主義)の国だ。しかし数値には幅があり、アメリカは73.6%、中国(表1中のB-S-J-Z(China)、4都市・省〔北京、上海、江蘇、浙江〕)は58.2%で、10の国では50%を割っている(表1右下)。発展途上国が多いが、おそらく児童労働の影響と思われる。 日本でも高校段階では落第は少しだけあるが、義務教育では皆無だ。制度上は、小・中学校でも「平素の成績」を考慮して進級を決めることになっているが(学校教育法施行規則57条)、年齢主義規範が強く保護者の理解も得にくいので、現実には無条件で進級させられている。ヨーロッパでは「内容をきちんと修得してないのに進級させるのは可哀想」とされるが、日本では「理解が不十分だからと言って、下の学年の子と机を並べさせるのは可哀想」となる。 日本の年齢主義を変える その結果、就学の形骸化の問題が起きていて、授業内容を理解している子の割合は、小学校で7割、中学校で5割、高校では3割という「七・五・三」現象も指摘されている。 しかし日本でも、「個別最適な学び」の観点から、修得主義の要素を入れざるを得なくなっている。その策は、落第や飛び級といったハードなものだけではない。特別な時間において前学年の内容を反復学習させる、長期休暇中にICTでの補修を行うなど、やり方は色々ある。 しかし落第や飛び級についても、斬新的な実験はされてもいいだろう。さしあたり、教育課程特例校において実験をしてみてはどうだろうか。学校だけでなく企業社会にも根付いている、日本的年齢主義を変える端緒になるように思う。 <資料:OECD「PISA 2018 Results (Volume V): Effective Policies, Successful Schools」> =====