<中国の若者が、親に同性愛者であることをカミングアウトする過程とその葛藤に密着したドキュメンタリーが問い掛けるエゴと分断と和解> いずれも上海で暮らすゲイの谷超(グーチャオ)とレズビアンの安安(アンアン)という2人の若者。学習塾で講師として働き生活するグーチャオは旧正月に久しぶりに実家に戻り、2年前に書いた手紙を読み上げる形で父親にカミングアウト(出櫃)する。19歳の頃母親に打ち明けたが受け入れられなかったアンアンもまた、支援団体の力も借りて再度母との和解を試みる。 離婚後、女手ひとつでアンアンを育て上げた母は「何があっても離れたくない」と深い愛情を示す一方、一人娘が同性愛者であることは恥ずかしい、メンツが潰れると受け入れられない。しかし......。 現代中国のLGBTが置かれた環境に大きな影を落としているのが、同性愛が取り締まり対象で、治療が必要な精神疾患であるとされていた過去だ。こうした規定はすでに廃止されているが、グーチャオの父親の「同性愛は治そうと思えば絶対に治せる」といった言葉に象徴されるように、その残滓は社会の様々な場所、或いは人々の意識の中に残っている。同性愛の治療と称して電気ショックを施していたクリニックが「患者」から訴えられ、裁判所が慰謝料支払いを命じたケースもある。 加えて現代中国社会では、少数派であることが直接的な不利益につながる。何に関しても勝てば官軍負ければ賊軍といった調子なので、少数派は他国とは比べ物にならないほど制度や社会の歪みをまとめて押し付けられる。 自ら少数派になるのは「自殺行為」 進んで少数派であることを自認するように見える我が子の行動は、そうした社会で暮らしてきた親の眼には自殺的行為に映る。劇中でも取り上げられるように、親の心配を和らげようと、或いは社会の中で少しでも目立たぬようにと「形婚(同性愛者同士の形式結婚)」を選ぶ当事者もまた、専門のマッチングサイトが存在するくらいに多い。 こうした点で中国という場所がLGBT当事者にとって特に生きづらい面があることは確かだろう。しかし見終わって感じたのは、この54分のドキュメンタリー映画で描かれている核心はLGBTという大多数の人にとっての「われわれではない特殊なだれかの話」ではなく、自分と他者の描く幸せが違ったら、そしてその他者が自分にとってかけがえのない存在だった時にどうするのかという、どの社会のどの個人にも存在する普遍的な問題を取り上げているのではないかということだ。 ===== 「親が受け入れなければ、社会が変わることなんてない」 たとえ家族でも、別の人間のことをすべて知るなど不可能だ。グーチャオは「朝に目が覚めて、女性が好きになっていたらと思うことがある」と漏らす。LGBTとして生まれついたことは自身の選択ではない。同じように、多くの人が変えられない何かを秘めて日々を暮らしている。 家族同士がまったく同じ考えを持っていることもありえない。それでも理解したい・受け入れられたいと思うからこそ、人は他者と懸命にコミュニケーションし、伝え、知ることを通して関係を築く。しかしいま世界ではその正反対の分断、自分の見たいもの以外を正しくないと切り捨てる風潮が広がる。 当事者の親でもある支援団体代表がアンアンの母に「私たち親が受け入れなかったら、社会が変わることなんてない」と諭すシーンが印象的だ。 * * * 「出櫃(カミングアウト)――中国 LGBTの叫び」は1月23日より新宿K's cinemaで上映中。愛知、京都、大阪、岡山で順次公開予定。