<学校が「聖域」ではなくなった今、学校でしかできないことを説明できなければ子どもを呼び戻すことはできない> 日本の文科省は毎年、「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査」を実施し、結果を公表している。問題行動の公的統計といったらコレだ。 メディアでは、いじめの件数に注目されることが多い。毎年過去最多を更新しているが、これはいじめの把握に本腰が入れられているからだ。いじめの認知件数が、学校側の把握の姿勢に左右されるのはよく知られている。都道府県比較をしている記事を見かけるが、あまり意味はない。児童生徒数当たりの件数が多い県は、むしろ褒めたたえた方がいい。 いじめと並行して、不登校も毎年増え続けている。不登校(学校嫌い)という理由で年間30日以上休んだ子どもの数で、これは当局の恣意には動かされにくい。小・中学校の不登校児の数をグラフにすると、<図1>のようになる。原資料に出ている、1991年以降の推移だ。 2001年度まで上がり続けた後、微減の傾向になるが、2012年度以降は再び上昇している。2019年度の不登校児は18万1272人で過去最多だ。 少子化で児童生徒の全数は減っているので、不登校児の出現率は上がっている。1991年度では0.47%だったのが、2019年度は1.88%だ。中学生に限ると3.94%、およそ25人に1人となる。最初の上昇の局面(2001年度まで)は、平成不況の深刻化により、親が失職するなどして家庭の状況が急変し、精神的に不安定になったことも考えられる。 第2の上昇局面はどうだろう。学校不適応が増えていることは疑い得ないが、自宅にてネット動画等で勉強できるので、学校に行くインセンティブが薄れている、ということはないだろうか。ネットの普及はだいぶ前からだが、2012年以降の特徴はスマホという小型機器が出回っていることだ。良好な教育動画(無料)もYouTube等で配信されるようになり、その質といったら学校の授業顔負けだ。 学校の存在意義が揺らいでいる ネットビジネスで月収数百万円を稼ぐ、ものすごい中学生も出てきている。こういうビジネスへの参入に年齢の壁はなく、子どももどんどんトライするようになっている。それにのめり込み、学校には月数回しか行かない。親や教師も公認だ。 情報化社会の中で、学校という四角い空間の存在意義が揺らいでいる。不登校の要因としては「無気力、不安」というものが圧倒的に多い。「だるい、学校に行きたくない」というのは怠けのように思えるが、学校が子どもを繋ぎ止めるボンドは弱くなっている。昔のように、知を与えてくれる唯一の殿堂ではない。子どもが朝,無気力ととれる反応を示すのも無理からぬことだ。 不登校への認識が変わっていることを示す事実もある。文科省の問題行動調査の名称は、以前は「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」だったが、2016年度以降は「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査」に変わっている。問題行動と不登校が切り離され、不登校は問題行動ではないという認識が表れている。 ===== 自宅での学習が出席扱いと認められる不登校児も増えている。<表1>は、不登校が第2の上昇期に入る前の2012年と、最新の2019年の比較だ。 一番上を見ると、前年度からの継続不登校児が増えている。不登校児全体に占める比率は、2012年度は48.5%だったが、2019年度では51.0%と半分を越えている。不登校の増加と同時に、長期化も進んでいるようだ。 学校外や自宅での学習を、指導要録上の出席として認めようという機運も高まっている。学校外のフリースクール等での学習が出席扱いとされた不登校児は1万5374人から2万5535人、自宅でのIT学習が出席扱いと認められたのは156人から552人へと増えている。不登校に対する見方が変わってきていることの表れだ。全数に対する率はまだまだ小さいが、今後は高まりこそすれ、その逆はないだろう。 学校が用なしになることはない 情報化社会においては、学校だけが教育の場であり続けることはできない。学校の領分はどんどん縮小し、代わって人々の自発的な学習ネットワークが台頭してくるだろう。1970年代にして、イヴァン・イリッチは著書『脱学校の社会』においてこう予言した。それが現実のものとなろうとしている。 しかし、教育の専門機関としての学校が全くの用なしになるとは予想し難い。前近代社会と違い、高度化した社会における人間形成(社会化)は、学校という専門機関において、教員という専門職の手でなされなければならない。ただ、その聖域性(稀少性)が薄れつつある現在、学校でしかなし得ないことを明確に説明できないといけない。一方通行の授業だけなら自宅で動画を見ればいいと、生徒は登校してこない。 「アクティブ・ラーニング」は新学習指導要領のキーワードだが、生徒参加型の「濃い」授業の構築が求められる。先月に出た中央教育審議会答申の言葉でいうと「協働的な学び」、リアルな触れ合いでの学びだ。今ほど、教員の専門性が求められている時代はない。 <資料:文科省「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸問題に関する調査」> =====