<先進国の中で最悪レベルの新型コロナウイルス感染者数と死者数を出しているアメリカ。その背景には、公的医療保険制度への抵抗がある。なぜ国民皆保険を拒むのか。その精神的支えであるアメリカニズムとは何か。論壇誌「アステイオン」93号は「新しい『アメリカの世紀』?」特集。同特集の論考「アメリカニズムと医療保険制度」を3回に分けて全文転載する(本記事は第1回)> はじめに 新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大する中で、先進国の中でアメリカの反応は例外的であった。多くの国で感染拡大の第一波をある程度抑えることに成功した一方で、アメリカは(編集部注:2020年)3月中旬にニューヨーク州で感染爆発が起こって以降各地に飛び火し、3月末には感染者数は世界一となった。死亡者数は、4月にはベトナム戦争、6月には第一次世界大戦のアメリカの戦死者数を上回ったと報じられた。 なぜアメリカはこのような状況に陥ったのか。トランプ政権が専門家から警告が出ていたにも拘わらず初期対応を誤ったことや、経済優先のために焦って早期に制限解除する方向に舵を切ったことなどが批判されている。しかし医療制度の問題として、アメリカの医療保険制度がこのようなパンデミックに有効に対処できなかったということが指摘される。アメリカは未だに皆保険がない例外的な先進国である。2018年の無保険者は人口の8.5%を数える。 20世紀初頭からのアメリカの医療保険政策史は、皆保険導入の試みが失敗し続けた歴史であった。2010年にはオバマケアと呼ばれる改革が成立したが、未だ皆保険には至っていない。皆保険導入が失敗してきた背景には、反対するアメリカ医師会や保険業界団体などの政治的影響力がある。しかしより重要な要因は、改革への動きが強まる度にアメリカの伝統的価値――アメリカニズム――がその障壁となってきたということである。 社会学者のセイモア・リプセットは、ヨーロッパ諸国や日本と異なり、アメリカは「信条(creed)」によって形成され発展してきた国であるとする。それを支える伝統的価値は、個人の自由を尊重し、反エリート、反国家権力の色彩が強いとする。そしてアメリカがその他の国と本質的に異なっている、異なっているべきだという考えをアメリカ例外主義と呼ぶ。その考え方は、しばしば他の国より優れているという考えにつながると同時に、対外政策と国内政策にも大きな影響を及ぼす。 大統領選挙で常に医療政策が重要争点になるのは、医療政策がこのアメリカニズムに深く関係しているからである。個人がどのように生きて、どのように死ぬか、その選択を自分自身で行なう、これが個人の自由の原点であると言えよう。連邦政府が皆保険を導入するということはこの伝統的価値に抵触する。なぜなら皆保険は連邦政府の医療現場や医療経済における権力を増大させ、個人の選択に政府が関与するからである。アメリカは信条で形成された国家であるがゆえに、医療政策が国家のアイデンティティをめぐる議論と直結し激しい議論を巻き起こすのである。 ===== 歴史を振り返ると、医療保険制度改革への運動が高まる時には、アメリカ例外主義を刺激する国際的な要因が存在していたことが分かる。1910年代の革新主義時代の改革運動には第一次世界大戦、1930、40年代のニューディール改革には第二次世界大戦、1950年代以降の改革には冷戦が医療保険政策をめぐる議論に影響を及ぼした。そして強大なソ連の存在がなくなった1990年代以降、まもなくテロとの戦いが始まる。このような外的要因の変化の中で、アメリカは自らの価値に改めて向き合う必要性に迫られた。そしてそれが医療保険制度改革に影響を及ぼしてきた。 個人が自由に生きる権利を最大限尊重する価値が、世界中の人々を魅了し、多くの移民をアメリカに向かわせた。しかし皮肉にも、これが公的医療保険の拡大を阻む動きを支えてきた。1970年代から経済成長に陰りが生じ始めると、民間中心の医療保険システムの矛盾が明らかになった。そして、新型コロナウイルス感染症は、アメリカ的医療保険制度の限界を改めて可視化することになった。本論では、まずはアメリカニズムの原点を見ることから始める。そして、医療保健政策史を振り返る中で、アメリカニズムがどのように政策をめぐる議論に影響を及ぼしたのかを論じる。最後に、この歴史的文脈において2020年の大統領選挙が持つ意味についても述べたい。 小さな連邦政府の設立――国家権力の否定 アメリカの伝統的価値、アメリカニズムの基礎は、建国期に形成された。13の植民地は、それぞれの経緯で設立された。例えば最初のジェイムズタウン植民地は金脈を探すことが主な目的であった一方で、プリマス植民地はピューリタンが自らの信仰の自由を求めて作ったものである。それゆえに植民地間の一体感はなかった。 イギリス本国は植民地に対して「有益なる怠慢」と呼ばれる放任政策をとっていた。しかしフレンチ・インディアン戦争を契機に、植民地に対する増税政策が始まった。イギリス本国に対する抗議行動として、ボストン・ティーパーティ事件などが起こった。その結果、植民地間の連携が強化され、独立の機運が少しずつ高まった。 パトリック・ヘンリーは「我に自由を与えよ、然らずんば死を」と、自由の追求のために独立する必要性を説いた。また、トマス・ペインは『コモン・センス』の中で、アメリカは独立を果たし、君主制や貴族制に基づいているヨーロッパとは全く異なる人民による政体を作るべきだとした。そして独立宣言では「全ての人間は平等に造られている」と唱えられた。 ===== 独立に至るこのような過程やレトリックは、個人の自由の尊重、反エリート、反国家権力の政治文化を植え付けた。そして、アメリカは例外的な国である、例外的であるべきという考え方も生み出した。 合衆国憲法によって作られた政治システムもこのような政治文化を反映した。連邦政府に委任された権限以外は全て州政府に留保されるとし、連邦政府の権力拡大が防止された。さらに連邦政府内でも、立法府、行政府、司法府の間で権力の抑制と均衡がなされ、権力集中を防止するための制度設計が行なわれた。 19世紀の間は、このようなアメリカの特殊性が存続するのを許す環境が続いた。大西洋という自然の緩衝地帯があったこともあり、アメリカはヨーロッパ内の政治的対立に巻き込まれることを回避できた。モンロー宣言は、アメリカがヨーロッパからの介入を拒絶し、アメリカ南北大陸での優位性を確保すると同時に、アメリカの独自性を涵養する素地を作った。 1829年にアンドリュー・ジャクソンが大統領になったことは、アメリカ独自の国家形成を象徴した。大統領によって高級官僚が入れ替わる猟官制を制度化し、ヨーロッパ的な官僚支配からの明確な違いを示した。1830年代に視察のためにフランスから渡米してきたアレクシ・ド・トクヴィルは、ヨーロッパと比較してアメリカにおいて市民の平等が高度に達成されていること、市民団体が活発なこと、政府の役割が限定されていることを目の当たりにした。それまで衆愚政治体制と警戒されていた「デモクラシー」が、アメリカの土地でジャクソンによってポジティブなものとして再生された。 19世紀において、ヨーロッパでは強固な官僚制が強大な国家権力を支えていた。他方、アメリカでは、「夜警国家」と呼ばれるように連邦政府の権力は国防や治安維持などに限定されていた。アメリカはイギリスからの独立を勝ち取る中で、例外的な政治文化と政治システムを作り上げた。しかし、20世紀に入り医療分野における連邦政府の役割の拡大が叫ばれた時に、これらが障壁となった。 革新主義時代の挫折――ドイツ型医療保険の否定 19世紀半ばまでにアメリカでも産業革命が起き、都市化と共に労働問題が深刻化した。賃金は低く、衛生環境が悪い中で長時間労働を強いられた。労働環境の改善を求め、各地でストライキなどが起こり、政府や雇用主はその対応を迫られた。 セオドア・ローズヴェルト、ウィリアム・タフト、ウッドロウ・ウィルソンの三大統領(1901~1921)は、革新主義大統領と言われる。政治から汚職を取り除く、企業の独占化を防ぐ、労働者の地位を向上させる、社会秩序を取り戻す、そのために伝統的社会的エリートとして責務を果たすべきだという「ノブレス・オブリージュ」の精神による改革であった。 ===== このような動きの中で、労働者に対する保護を拡大すべきだと主張する運動が、1905年に知識階級を中心に設立されたアメリカ労働立法協会(AALL)が旗振り役となり、地方レベルから広まった。労働者保護の一環として、公的医療保険の導入が唱えられた。 同様なプログラムはヨーロッパで先んじて行なわれていた。最初の公的医療保険はドイツで1883年に成立した疾病保険法であった。ビスマルク宰相は公的医療保険政策を拡充することで労働運動を抑えるとともに国力の増進を図った。1911年にはイギリスで国民保険法が制定され、その中に労働者を対象とした医療保険が含まれていた。 このようなヨーロッパでの動きにAALLなどアメリカの改革派も刺激を受けた。1915年、AALLはドイツ型をモデルにして労働者向けの公的保険を提案した。当時の政権やアメリカ医師会からも法案の立案作業に対して協力的な姿勢が示された。 しかし、第一次世界大戦への参戦が改革を取り巻く状況を一変させた。孤立主義が長く続いたアメリカでは、ヨーロッパでの戦争に参加することに反対する動きが強かった。しかしウィルソンは「世界の民主主義を守る」ことを理由に参戦を訴えた。そして1917年4月に参戦を果たすと、間もなく熱狂的な反ドイツ運動が起こった。そして同年11月にロシアで初の社会主義革命が起こったことで、アメリカ国内で社会主義に対する警戒心が強まった。これによって、アメリカ国内では自由や民主主義を守るというイデオロギーをめぐる戦争であるという意味合いがより強まった。 このような状況は公的医療保険をめぐる議論にも影響を及ぼした。連邦政府の関連委員会はAALL案を「ドイツ社会主義者の保険」と称し、アメリカの伝統的価値観とは矛盾するものとした。またアメリカ医師会もそれまでの協力的態度を改め、AALL案を「ドイツ皇帝が世界征服を企てたのと同時に玉座からやり始めた政策」として批判を始めた。労働者向けの公的保険を導入する動きは、このような反対を受けて挫折した。第一次世界大戦は、アメリカにおける公的医療保険をめぐる議論について、初めてアメリカニズムとの整合性を問う役割を果たしたのである。 ※第2回は2月10日に公開予定です。 [参考文献] 山岸敬和(2014)『アメリカ医療制度の政治史――二〇世紀の経験とオバマケア』名古屋大学出版会 山岸敬和(Takakazu Yamagishi) 1972年生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。慶應義塾大学法学研究科政治学専攻修士課程修了。ジョンズ・ホプキンス大学政治学部にて、Ph.D(Political Science)取得。南山大学外国語学部英米学科教授を経て、現職。専門はアメリカ政治、福祉国家論、医療政策。主な著書に"War and Health Insurance Policy in Japan and the United States: World War II to Postwar Reconstruction"(Johns Hopkins University Press)、『アメリカ医療制度の政治史──20世紀の経験とオバマケア』(名古屋大学出版会)などがある。 当記事は「アステイオン93」からの転載記事です。 『アステイオン93』 特集「新しい『アメリカの世紀』?」 公益財団法人サントリー文化財団 アステイオン編集委員会 編 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)