<街頭のデモ参加者は旧世代の精神と新しいツールを携えて軍との闘いに挑む> 国軍兵士たちが政府要人を拘束し始めた2月1日の早朝、ミャンマー(ビルマ)のSNSにはこんな疑問が飛び交った。「この国は時間を逆行しているのか?」 ヤンゴンやマンダレーといった主要都市に戦車が現れ、ハイウエーを封鎖している光景は、軍による1962年のクーデターや88年の民主化運動弾圧を思い起こさせた。 軍はヤンゴン市役所に兵を派遣し、首都ネピドーでは数百人の国会議員を軟禁。与党・国民民主連盟(NLD)本部にも入った。 こうした衝撃的な光景に、芽吹いたばかりのミャンマー民主主義の終焉を見た人たちもいる。彼らはこの日を忘れまいとして、SNSの投稿に「1・2・21」という日付を合言葉のように加えていた。まだその日付が変わらないうちからだ。 確かに事態は、過去の争乱と不思議なほど似かよっていた。ミャンマーは62年に軍が初めて実権を握ったときに戻ってしまうのか。全国に広がるクーデターへの抗議は、88年や2007年の反政府デモのときのように激しい弾圧にさらされるのか。 しかしミャンマーでは、負の歴史も価値を持つ。いま反クーデター活動を率いる学生たちは、旧世代の民主化運動から学んでいる。市民との連帯を通じて軍の支配への不服従を呼び掛ける手法は、過去と共通している。ただし、異なる点が1つ。それは、若きリーダーたちが今度こそはうまくいくと自信を持っているように見えることだ。 クーデターの直後から活動家たちは、軍とつながる企業のボイコットやストをネット上で呼び掛けた。しかし、軍は即座に取り締まりに動いた。2月1日にネットが断続的に遮断されたことが伝えられた後、当局は主要SNSへのアクセスをブロックする命令を発出。6日からの2日間は、全国のネット接続率が通常の16%にまで低下した。 ネットの遮断は、軍を恐れて大規模な抗議運動への参加をためらっていた人々を街頭に連れ出すきっかけになった。ヤンゴンでは、住民や職場の同僚グループが連れ立ってデモに繰り出していた。「こういうことを30年続けてきた。最後までやる」と、ミャンマーのある研究者は筆者に語った。6日のネット遮断から1時間もたたないうちに、労働者や学生がヤンゴンの中心部に集まり始めた。 その翌日、ヤンゴンのデモは数万人規模に膨らみ、各地に波及し始めた。普段は抗議運動などほとんど起きないネピドーでも、8日には人々が声を上げ始めた。 治安部隊はここで放水銃をデモ隊に向け、実弾も発砲。9日には女性が頭部を撃たれて重体となり、武力による鎮圧の予感が漂い始めた。 「新時代」は来なかった SNSでは、軍がお得意の鎮圧法を取っているという書き込みが拡散した。暴力と脅しに加えて、私服警官と雇われた扇動者による攪乱が行われているという。 それでもデモは今も続いている。暴力が起こり、外出や集会が禁止され、道路が封鎖されても、人々は通りに繰り出す。ゼネストによって銀行が閉鎖され、航空便は欠航を余儀なくされ、新型コロナウイルスのワクチン接種計画の実施が危ぶまれても、通りを埋める人波は減らない。 ===== 若い活動家によれば、こうした混乱は逆に楽観的な空気をもたらしている。旧世代の精神を受け継いだ上にネットという武器を持つ彼らにとって、現在の活動は「軍はけんかを売る世代を間違えた」という反抗のメッセージだ。 10年ほど前から多くの世界の有識者たちが、ミャンマーを民主化の成功例と見なしていた。しかし国内の、特に少数民族や宗教的少数派の研究者は、権力が軍部からアウンサンスーチー国家顧問の率いるNLDに移っても、ほとんど変わりはないと捉えていた。これまで抑圧が繰り返されてきたので、体制が変わると聞かされても、にわかには信じられなくなっていた。 クーデター前、ミャンマーの人々は2つの時代のことをよく話していた。不確かな政治的移行の時代と、民主主義が芽生える時代の話だ。 いま人々は「新時代」について語っている。NLDも15年の総選挙に勝利した後には、「新時代」の到来を約束した。しかしNLDが大勝した昨年の総選挙を軍が不正選挙と見なしたことが、ミャンマーを古い時代の光景に引き戻した。 SNSでは現在と過去が交錯している。07年の僧侶たちによる反政府デモや1988年の学生運動の様子が、古い写真やニュース映像から掘り起こされてアップされている。ジャーナリストのエイミンタンは、今の状況が「子供の頃に見た光景と全く同じ」というおばの言葉をツイッターで伝え、共感を集めた。 多くの市民が、長いこと忘れていた習慣を再び身に付けた。ドアの鍵を増やしたり、窓のカーテンをしっかり閉めたりするようになった。 鍋をたたくデモ参加者 2月1日、ヤンゴンの夜が更けてから現地の友人に電話した。「前にも経験しているから必要なことは分かっている」と彼女は言い、翌朝の予定を挙げた。飲料水を確保し、市場に食料を買い出しに行き、銀行で現金を下ろす──。軍が存在感を強めるなかで、通貨が使えなくなるとか、パニック買いが起きそうだといった噂が飛び交っている。今の世代の体験が崩壊し、気が付けば親や祖父母の時代に戻ったかのようだ。 クーデターが起きて2日目、抗議運動に参加した若者たちは鍋やフライパンをたたいて悪霊を退散させようと呼び掛けた。昔からある悪霊払いの方法だが、1988年の民主化運動では重要な戦略となった。このとき学生たちが始めた民主化運動には、何十万人もの市民が参加した。 2021年のヤンゴンでは、午後8時ちょうどに鍋が打ち鳴らされた。最初はまばらだった金属音が翌日には市外へと広がり、そこへ自動車のクラクションや抗議のシュプレヒコールが加わった。 ===== 3日目になると、若者たちは親や祖父母の時代にはなかったツールや情報を武器に、オンラインで抗議運動を開始した。さらに若い活動家は、国境を越えてSNSでつながる民主化連帯運動「ミルクティー同盟」を活用し、市民が3本指を抗議の印として掲げている写真を投稿した。昨年タイで起きた抗議運動でおなじみになったポーズだ。 87の市町村に広がった新たな抗議運動は過去のストに似た点もあるが、手法と目的は異なっている。人々はオンラインを活用しているし、要求の内容はNLDが最初に求めたものより幅広い。 ヤンゴン大学の学生連盟は、完全な民主主義と、軍事政権下の2008年に軍が起草した憲法の廃止を断固として求めている。少数民族のラカイン人やカレン人のデモ参加者は自治権拡大と連邦主義体制を訴え、LGBT(性的少数者)の権利を唱える活動家はあらゆる市民のための運動を模索している。こうした要求はクーデーターだけでなくNLDの現状さえ批判し、過去と決別しようというものだ。 歴史は繰り返す。軍の戦略も同じかもしれない。広がりを見せる抗議運動が暴力的な形で鎮圧されるのも時間の問題とみられる。軍はなりふり構わぬ逮捕戦術を取り、工作員を潜入させるなど、抵抗運動を制圧するための昔ながらの手法を取り続けている。 一方で軍は、国連安全保障理事会がクーデターで拘束された市民の即時解放を求めたことを受け、国際社会の圧力を必死にかわそうとしている。欧米諸国がミャンマーへの制裁措置を検討するなか、国軍トップのミンアウンフライン総司令官は2月8日の演説で、ミャンマーの経済回復と、数十億ドル規模の外国直接投資の維持について懸念を表明した。 今回の抗議運動には全く新しい要素もあれば、古くからの手法を「改良」したものもある。例えばデモ参加者たちは、ネットを利用することで個人情報を当局に知られるのを避けるため、デジタルセキュリティーについての手引を共有している。 鍋をたたいて抗議の意思を示す行動は、民主化運動を行った前の世代にとっては最後の手段だった。独裁体制を長年にわたって経験し、1988年の民主化運動が鎮圧されて多くの死傷者が出た後に、鍋たたきが始まった。 しかし今の若者たちは、まず鍋をたたくことから始めた。新型コロナウイルスに関するさまざまな規制や夜間外出禁止令、軍に暴力を振るわれる脅威を巧みにくぐり抜けながら、彼らは鍋をたたいた。 6日も数万数十万の若者が街頭に繰り出した。インターネットが遮断される前に最後のメッセージを投稿した人も多かった。「1988年に戻るわけにはいかない」と、ある市民は書いた。「闘うんだ。自分たちの未来のために」 From Foreign Policy Magazine <本誌2021年2月23日号掲載>