<米西部をさすらう車上生活者の女性を見つめたクロエ・ジャオ監督作『ノマドランド』の静かなすごみ> 「私はホームレスじゃない。ハウスレスなだけ」。夫を亡くした60代のファーン(フランシス・マクドーマンド)は、心配げな年下の友人にそう言う。「それって別でしょ?」 この問いの謎は、詩的で衝撃的なまでに切実なクロエ・ジャオ監督の長編3作目『ノマドランド』の最後まで鳴り響く。成人してからずっと暮らしてきた「ホーム」から、車上暮らしの移動労働者として、自らの手で日ごとにつくり上げるべき居場所へ──それこそがファーンの旅路であり、この映画の物語だ(同作は2月末に発表されたゴールデングローブ賞でドラマ部門作品賞と監督賞を受賞)。 本作は「ホーム」の意味と価値に思いを巡らせる。それは建物の中にあるのか。それとも車に? 家族に? 安心感と帰属感がホームなのか。ファーンは何度もその全てとさらに多くを失うが、自分を哀れむことはなく、哀れな存在として描かれることもない。彼女に家は要らない。ホームがあるのだから。 ジャオの過去2作と同様、本作の舞台はハリウッドの西部劇でおなじみの不気味で美しいアメリカの自然だ。ファーンは仕事を求めてネバダの山岳地帯やサウスダコタの荒れ地、アリゾナの砂漠を移動する。疾走するバイソンを車窓越しに見つけたかと思えば、独り森の中の泉に裸で漂うこともある。だがこうした広大な風景に、多くは自然に対する脅威という形で、21世紀型資本主義の光景が重なる。 高齢者のノマド共同体 ファーンが従事する季節労働の1つが、ネット小売り大手アマゾンの巨大な配送センターでの梱包作業だ。黄色いプラスチックの箱が延々とベルトコンベヤーで運ばれていく。工業型の大規模農場では、ビルのようにそびえる山積みのビーツを荷積みする。 その非人間的なスケールを強調するかのように、こうした作業をジャオは離れた視点から捉える。とはいえ作品自体も登場人物も、現代の労働の搾取的性質について説教したり思索したりはしない。 実際、ファーンは低賃金の重労働を気にしていない。おんぼろの車のメンテナンスのために現金が必要なことに加えて、働くことが好きなのだ。 ファーンはとても好感の持てる人物だ。独立心があって心が広く、過剰なほど機転が利く。その一方、理解するのが難しい人物でもある。自ら選んだミニマルな生活に激しくこだわる姿は、時に一種の悟りとして、時には精神疾患の兆候として解釈できる。 ===== 夫を亡くした主人公ファーンは仕事を求めて移動を繰り返すなか、同じ立場であるノマドの共同体の存在を知る ©2020 20TH CENTURY STUDIOS. ALL RIGHTS RESERVED マクドーマンドの深みと曖昧さに満ちた演技が示唆するように、ファーンが移動を繰り返すのは何かを求める行為であり、別の何かからの逃避でもある。その何かとは何か、本人も把握していない。 ファーンの過去は少しずつ明らかになる。破れたスナップ写真の中に1度だけ登場する亡き夫は、ネバダの鉱山で働いていた。家族とはほぼ断絶状態のようだが、車の修繕費を貸し、自宅に泊まるよう誘ってくれる妹がいる。 恋する男デーブ(デービッド・ストラサーン)をはじめ、ファーンはほかの移動生活者と親しくなるものの一定の距離を保ち、関係が面倒になったらすぐに立ち去る気でいる。労働階層出身で、時に粗暴なほど率直に物を言うが、多くの驚きを秘めている。あるときは独りきりでフルートの練習をし、詩を暗唱して聞かせる荘厳な場面もある。 本作は、2017年に刊行されたジェシカ・ブルーダーの著書『ノマド──漂流する高齢労働者たち』(邦訳・春秋社)を原作とする。アマゾンの倉庫など、季節労働の現場を潜入取材したノンフィクションだ。ファーンは映画のために創作された役柄だが、原作の登場人物がそのまま出演しているケースもある。 ファーンが「ノマド」と称する移動生活者の共同体を知るのは、実在のノマドの集会の場だ。車上生活者(大半はいわゆる定年を過ぎた高齢者だ)が砂漠に集まって食べ物を分け合い、道具やアドバイスを交換し、彼らの拠点となっているYouTubeチャンネルの主宰者、ボブ・ウェルズの言葉に耳を傾ける。 ウェルズは本作に本人役で出演した。ファーンの親しい仲間スワンキーとリンダ・メイも、実在のノマドである同名の女性2人が演じている。彼女たちの物語と、ようやく安らぎを手にしたというたたずまいは、最も忘れ難い場面のいくつかを生み出している。 アマチュアの役者、特に社会の周辺部で暮らす高齢者と有名俳優を混合すれば、独善的な印象を与える恐れもあった。だがマクドーマンド(原作の映画化権を取得し、共同製作者としてジャオを指名した本人でもある)の飾り気のない演技と、プロもアマチュアも配慮と共感を込めて捉えるジャオの目線によって、両者の境界は消え去っている。 ===== まだ38歳のジャオはいわば映画の神童だ。自身の技量をあらゆるレベルで使いこなしている。それぞれの人物の人生と照らし合わせて脚本を書き、撮影中に交わした会話に基づいてほぼ毎日変更を加え、編集(無言劇に近い一連の場面を極めて感動的なストーリーに織り込んだその手法は、本作の技術面での見せ場の1つだ)も自ら手掛けた。 ファーンはあるとき、映画館の前を通りかかる。上映中の作品は、マーベルのアクション映画『アベンジャーズ』。ジャオの次作が、アンジェリーナ・ジョリーら有名俳優が結集するマーベルの超大作『エターナルズ』(今年公開予定)であることに目配せした内輪ネタのジョークだ。 好奇心を込めて対象を見据えるジャオのカメラが、CG用背景幕の前で演技するジョリーに何を見いだすのか。答えはまだ謎だ。だが『ノマドランド』はジャオの「スーパーパワー」を証明してみせた。 ©2021 The Slate Group