<海の難所や天候、それにサイバー攻撃──国際貿易の8割を担う海運の実態はびっくりするほど脆弱だ> 国際海運の要であるスエズ運河を6日余り塞いでいた大型コンテナ船「エバーギブン」が、ようやく離礁した。今回の事故は、世界経済(と私たちの日常生活)を支える海運の脆弱性に、多くの人が気付く格好の機会になった。 歴史を振り返れば、国際海運の混乱が飢餓や戦争を招いたケースは少なくない。第1次大戦中に英海軍が実施した海上封鎖は、ドイツ国民を文字どおり飢えさせた。1967年にエジプトのガマル・アブデル・ナセル大統領がアカバ湾を封鎖してイスラエル船を阻止したことは、第3次中東戦争の引き金となった。 今回、オランダのロッテルダムを目指していたエバーギブンが座礁したのは、他意のない事故だったようだが、世界の海運業界は慌てた。なにしろ、1975年に1日平均26.6隻だった同運河の通航数は、2019年には51.7隻へと倍増し、通航貨物量は1日240トンから3307トンへと約14倍も増えているのだ。 大量の貨物を運ぶために、船の大型化も進んできた。エバーギブンは全長400メートルと世界最大級。20フィートコンテナ換算で2万個を積んだ状態で座礁した。 「今回の事故は、私たち業界の人間にとっては大きな驚きではなかった」と、コンサルティング会社コントロール・リスクスの海洋アナリストであるコーマック・マギャリーは言う。「コンテナ船があまりにも大型化してきたため、いつかこういう事故が起こると長年警告してきた」 「コンテナ船事業は莫大なコストがかかり、利幅は薄い。だから海運会社は、より大きな船を使おうとする」と、マギャリーは指摘する。「しかも10年前は最大規模の船でもコンテナ数は1万個だったが、今は2万を超える」 国際貿易の80%が海上輸送によって担われ、このうちスエズ運河を通過するのは12%。今回、スエズ運河が塞がれたことで足止めを食らった1日平均51.7隻の貨物船は、難しい選択を迫られた。運河の両端でエバーギブンが離礁するのをじっと待つか、それともスエズ通航を諦めて昔ながらの回り道をするか。つまりアフリカ大陸最南端の喜望峰を回るか、だ。 実際、エバーギブンが動きだすまでに、運河の両端で大型コンテナ船372隻(とそれよりも小型のコンテナ船)が通航再開を待った。その一方で、超大型コンテナ船HMMダブリンなどは、南アフリカ回りに航路を変更した。 海賊やミサイル攻撃も 今回の事故は、スエズ運河だけでなく、海運全般の脆弱性に注目が集まるきっかけにもなった。そして海上輸送を脅かすのは、船舶の座礁事故だけでは到底ない。 ===== 「例えばギニア湾では(海賊による)貨物船攻撃が急増している。ペルシャ湾では3月、イスラエルの貨物船がミサイル攻撃を受けたとされる。貨物船をターゲットにした代理戦争は多い」と、国際的な保険代理店ウイリス・タワーズワトソンのサイモン・ロックウッドは指摘する。 GPSスプーフィング(成り済まし)の問題もある。2017年、黒海を航行中の船舶20隻以上が、GPSの異常を報告した。「正しい位置情報が表示されるときもあれば、そうでないときもあった。数日間、陸上の地点(ロシア・ゲレンジク空港付近)が表示されていたが、実際には船はそこから45キロ以上離れた海上にいた」と、ある船の船長は米海事局に報告した。現場が黒海であることを考えると、ロシア政府の仕業である可能性が高いが、目的は分かっていない。 こうした事故は保険料にも影響を与え、輸送費(最終的には商品価格)を上昇させる可能性がある。2019年7月にイランの革命防衛隊がホルムズ海峡でイギリス籍の石油タンカーを拿捕する事件があったが、それ以降、同海峡を通航する船の保険料は急上昇した。 今回、スエズ運河の座礁事故で足止めを食らった貨物船の多くが、遅延保険に入っていないことも明らかになってきた。こうした損害は、最終的には物品の末端価格に影響を与える可能性がある。 エバーギブンの事故は、こうした船の乗組員について私たちが考える機会にもなった。現在、世界の海運業界が雇用する船員は約170万人に上るが、その多くは中国、フィリピン、インドネシア、ロシア、ウクライナ、そしてインドの出身者だ。 簡単にできる航行妨害 エバーギブンの船主は日本企業だが、船員は全員インド人だった。「上級船員は教育水準が高く、ヨーロッパ出身者のことが多い」とマギャリーは語る。下級船員の仕事はきつく、家族と長期間離れ離れになるのに、給料は高くない。彼らの人件費が抑えられていることは、私たちが安価な輸入品を手にしている理由の1つでもある。 だが、その恩恵は容易に失われる可能性がある。ロシア政府が突然、自国出身の船員たちに船に乗ることを禁じたら、世界の海運業界を大きく揺さぶることができるだろう。中国の場合、船員だけでなく、貨物船そのものの運航を禁止する可能性もある。あるいは、悪質な国の政府が、どこかの貨物船のGPSシステムに侵入して、敵国の海域に誘導するといったこともあり得る。 ===== また「スエズ運河とイギリス海峡、そしてマラッカ海峡は、船舶の航行を妨害するのが非常に簡単だ」と、マギャリーは指摘する。この3カ所を攻撃すれば、世界の海運に急ブレーキをかけることができる。悪質な勢力がまだ実行していないことが、むしろ不思議なほどだ。 世界中の物資が手に入ることを当然と考えて、国際海運の脆弱性に気付かないのは、富裕国の病気と言うこともできる。だが、その病気は治癒することができる。なにも趣味で航行する船舶まで全て追跡しろと言っているのではない。ただ、グローバル・ロジスティクスという奇跡を可能にしている仕組みを、私たちは基礎から学ぶ必要がある。 「アマゾンで買い物をしたら、それが翌日届くことを誰もが期待して、遅れればイライラするだろう」と、ロックウッドは言う。 私たちに必要とされているのは、そこでイライラするのではなく、翌日配送を可能にしている無数の人々のシームレスな働きと、素晴らしくも脆弱なテクノロジーに気が付くことだ。 From Foreign Policy Magazine