<厳しい国境閉鎖で多数の帰国困難者が発生。感染は防げた一方、「多文化主義の移民大国」の名が泣く状況に> 今月発表されたオーストラリアの連邦予算案に、国外にいる多数のオーストラリア人(私もその1人だ)と国内でその帰りを待つ家族を絶望のどん底に落とす記載があった。 国境閉鎖が解除され、帰国できるようになるのは2022年半ばだ、というのである。 オーストラリアは昨年3月、WHO(世界保健機関)が新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)を宣言するや即座に国境を閉鎖。以後、おそらくは北朝鮮を除いて世界一厳しい「鎖国政策」を取ってきた。 パンデミックが始まると多くの国々が渡航制限に踏み切ったが、外国滞在中の自国民の帰国まで事実上制限したのは民主主義国家ではオーストラリアくらいのものだ。 オーストラリア外務省によると、外国で「足止め中」、つまり帰国を希望しているのに帰れないオーストラリア人は最大4万人に上る。 理由の1つはお金だ。連邦政府は国境を閉鎖するとすぐ帰国者の隔離費用(宿泊費など)は帰還先の州と特別地域が責任を持つことにすると決めた。そして多くの州や特別地域は高い費用を帰国者に負担させている。しかも、帰国者の受け入れ人数も行政により著しく制限されている。 大金持ちはプライベートジェットで帰国 帰りたくても、そもそもフライトの確保が難しい。オーストラリアを代表するカンタス航空は1990年代に民営化された。今や利益率の低い長距離便を運航している航空会社は少なく、欠航も多い。しかもエコノミークラスよりビジネスクラスや貨物が優先され、コロナ禍で航空券は3倍以上値上がりしている。 だがラックラン・マードックやニコール・キッドマンのような大金持ちのオーストラリア人はプライベートジェットで帰国し、私有地で自主隔離する許可を与えられ、マスクなしの休暇を満喫できる。 早々と国境を閉鎖し、国内でも厳しいロックダウン(都市封鎖)を実施したおかげで、オーストラリアの新型コロナの死者は累計1000人足らず。迅速に決断を下したスコット・モリソン首相の「お手柄」は認めざるを得ない。 だが鎖国とも言うべき政策はどうなのか。しかもその状況下でもマードックやキッドマンだけでなく、ナタリー・ポートマンやザック・エフロンなどハリウッドのスターたちは難なく入国できる。そしてコロナフリーのロケ地で映画の撮影をしたり、観光客のいないビーチでサーフィンを楽しんだりと羨ましい限りだ。 ===== 片や一般人は帰国が困難なばかりか、一時は帰国すれば刑務所送りになりかねなかった。モリソン首相は5月初め、変異株が猛威を振るうインドに直近2週間以内に滞在した自国民の帰国を禁止すると発表した。 違反した場合はバイオセキュリティー法により禁錮刑か罰金を科される恐れがあるという。さすがにこの措置は激しい批判を浴び、すぐに打ち切られたのだが......。 それにしてもワクチン接種はどうなっているのか。人口2500万人の豊かな先進国オーストラリアにとって、国民全員に行き渡る量のワクチンを確保するのはいとも簡単なはずだ。ところがどっこい。オーストラリアでは今年初めファイザーとアストラゼネカ製のワクチンが認可されたが、少なくとも1回接種した人は約10%にすぎない。 感染リスクが低いから接種は必要ない? いや、専門家は変異株が次々に出現する今の状況では世界中が接種を急ぐべきだと言っている。だがモリソンは聞く耳持たず、接種を急ぐ必要はないと昨年末に明言した。 モリソンによれば、接種が進むアメリカとイギリスの様子を「特等席」で眺めて、リスクとメリットをじっくり見極めればいい、というのだ。コロナ禍など人ごとといわんばかりののんきな言い草だ。 コロナフリーもいずれ崩れる? オーストラリアは政府の迅速な対応と国民がステイホームを守ったおかげで感染拡大を抑え込めた。加えて南半球の島国という地理的条件が幸いしたことも忘れてはいけない。この幸運なコロナフリーの状況もワクチンなしではいつ崩れるか分からない。 オーストラリアの感染状況などを踏まえて、イタリア政府は約25万回分のアストラゼネカ製ワクチンの輸出許可を差し止めた。こうした輸出差し止めが重なれば、接種のペースに影響が及ぶ。大多数の国民が1回目の接種を終える予定日は何度も延期され、現時点では今年中とされている。 国境閉鎖の解除がその半年後になるのはなぜか。連邦政府は解除の遅れを州・特別地域のせいにしている。予算案には「州と特別地域が帰還者受け入れに上限を設けているため、国外からの帰国は21年中か22年半ばまで制限されることになる」と書かれている。 政府の仰々しい注意喚起は、ワクチンがもたらす医学的な奇跡と予防効果に一切、触れないことも少なくない。アメリカで4月中旬から18歳以上の全員がワクチン接種の対象になった頃、モリソンは、早々に国境を開放して入国を受け入れた場合、感染者が週当たり1000人「もしくはそれ以上」増える可能性があると語った。 ===== 1人でも感染者が出ればその州境が閉ざされかねない国で、首相がこのような発言をしたのだ。 ニューズ・コム・オーストラリアによると、首相や医学の専門家らが懸念しているのは、「たとえワクチンの接種を受けた人が発症や死亡しなくても、感染してウイルスを広める可能性があるかどうか」だという。 ワクチンが感染リスクを減らし、重症化の可能性を大幅に軽減するという証拠は着実に積み重ねられている。それなのに無症状のケースにこだわるとは、ばかげているではないか。 とはいえ、一部でささやかれているように、モリソンが次の連邦総選挙を見据えた戦略として国境の開放を遅らせているのなら、話は別だ。ウイルスの完全排除を目指すつもりはないとモリソンは言うが、政府の現在の方針の下で国民が「コロナゼロ」以外を容認するとは考えにくく、世界との関係を取り戻す道筋も見えてこない。 だからこそ私をはじめ国外にいる多くのオーストラリア人は、裏切られたと感じているのだ。 最も成功した多文化移民国の不条理 1990年代のオーストラリアの子供は、多文化主義は正式な政策というだけでなく、私たちの国を特別にするものだと教わった。今年2月にモリソンは、「オーストラリアは地球上で最も成功している多文化移民国だ」と語った。 私たちの多文化主義の大部分は、ギリシャやスリランカなど各地の在外オーストラリア人を介した世界とのつながりに支えられてきた。それなのに何万人というオーストラリア人が、祖国に再び足を踏み入れることができるかどうか分からないという状況は、あまりにむなしい。 市民から、もっと怒りの声が上がらないことも驚きだ。最近の調査によると、同胞を帰国させるために今以上の手段を講じるべきだと考えるオーストラリア人はわずか3分の1。新型コロナの拡大阻止にワクチンが有効だと確信している人は半分にすぎない。 一方で、国境閉鎖に関する記事のコメント欄には、不満や被害妄想が渦巻いている。自分たちと同じオーストラリア市民である「甘やかされた国外居住者」を、人権条約に違反している国外の難民収容施設に放り込めばいいと言い出す人さえいる。 ワクチン政策の失敗は、他の国では政治スキャンダルと人々の怒りを引き起こしているが、オーストラリアは違う。 報道では、国境の閉鎖は特権階級だけの問題で、海外旅行は贅沢とされている。人口の30%に当たる750万人が国外で生まれているのに、離れ離れになった親子の声はほとんど聞こえてこない。 ===== さらに、オーストラリアは昨年、30年ぶりの景気後退に見舞われたにもかかわらず、国境閉鎖の経済的コストが考慮されることはほとんどない。例えば、昨年1月に約10万人の留学生がオーストラリアに到着した。既に公的資金が枯渇している大学は、留学生が途絶えることでさらに40億豪ドル(約3400億円)近い収入を失うことになる。 パンデミック前に観光業はオーストラリアの労働市場の5%を占めていた。国として「重要過ぎてつぶせない」産業はいくつかあるが、教育と観光は含まれていないようだ。 人的損害は増える一方だ。インドのビハール州で生まれ、乳児期にオーストラリアの両親の養子になったジャーナリストのラティカ・バークは今年5月、シドニー・モーニング・ヘラルド紙に次のように書いている。 「この12カ月、私は何度も涙を流しました。オーストラリアが新型コロナによる死を食い止めようとするあまり、人間性を手放してしまったのはなぜかと自問しています」 ロンドン在住のバークは、イギリスで市民権の取得を考えている。イギリスはオーストラリアのように自分を締め出そうとすることはないだろうと、信じているから。 先日、昨年4月に生まれた孫娘にいまだ会えない私の母から、シドニー湾の写真が届いた。フェリーがオペラハウスの前を横切り、陽光に輝く水面を走る。母が添えたキャプションは、オーストラリアの貴重さと、それを共有しようとしないリーダーたちの頑迷さを物語っていた。「隠遁の王国に訪れた、美しい朝」 From Foreign Policy Magazine