<強いリーダーが熱狂的な支持をつかみ、世界的に民主主義は後退している? 「民主主義の脱定着」は本当か> 民主主義は危機に瀕している、民主主義は絶滅寸前だ──。近頃ではそんな悲鳴にも似た叫びばかり耳にする。 世界各国の自由度を評価している国際NGOフリーダム・ハウスは2021年の年次報告書でも15年連続で政治的自由の後退を指摘した。 世界を覆う悲観的なムードは色濃くなる一方だが、それに流されるのは考えものだ。ロシアと中国では独裁的な政権がしぶとく命脈を保ち、ハンガリー、トルコ、ベネズエラではせっかく芽生えた民主主義があえなくつぶされたのは事実。だが民主主義の未来は決して暗くない。それどころか、多くの人が考えるよりはるかに明るく輝いている。 実際、今やいわゆる「近代化論」の正しさが証明されつつある。すなわち経済開発が進むと、教育レベルが上がり、情報量が増え、人々の知識や判断材料が増える。その結果、人々はただ「お上の命令に従う」のではなく、自分の意思を持ち、自分の頭で物事を考え、政治へと動員されるようになる。これは一部の研究者が「認知動員」と呼ぶ現象だ。人々の知的レベルが上がることで、自由民主主義を支える土台、すなわち成熟した市民社会が形成される。 「民主主義の脱定着」説の問題点 民主主義の衰退を論じるはやりの理論、「民主主義の脱定着」説をご存じだろうか。民主主義が定着した国々で、特に若い世代を中心に既成政治離れが進み、強い指導者が求められるようになる、という説だ。実際、民主化の歴史が浅いブラジルのような国だけでなく、民主主義の旗手たるアメリカでも、歯に衣着せぬ物言いをする権威主義的ポピュリストが熱狂的支持をつかんだ。 こうした指導者は「民意」を盾に取って政敵をつぶし自由を制限する。いい例がハンガリーのオルバン・ビクトル首相やトルコのレジェップ・タイップ・エルドアン大統領だ。 市民が何度か選挙を経験し、いったん民主主義的な制度が根付けば、その後は民主主義がしっかりと定着し、失われることはない──長年そんな楽観的な見方が主流だったが、脱定着説はそれを覆した。 だが、この説には2つの欠陥がある。1つは都合の良い事実だけを集めて論拠にしていること。脱定着説の著名な論客であるロベルト・ステファン・フォアとヤシャ・モンクは民主主義の未来を過剰に暗く描いてみせる。例えば、第2次大戦前に生まれたアメリカ人の72%は民主的な社会で暮らすことが「最も重要」と考えているが、30代から40代前半のミレニアル世代ではその割合は30%にすぎない、というのだ。 しかし部分ではなく全体に目をやれば、フォアらの主張の誤りに気付く。筆者は学術誌ジャーナル・オブ・デモクラシーに掲載された論文で、民主主義支持の民意は1990年代から現在まで75%でほぼ一定していることを示した。参考にしたのは94〜98年と17〜20年の世論調査だ。 ===== そもそも「民主主義への支持」という問い自体に問題がある。文化的な背景が違えば、人々が民主主義に抱くイメージは違ってくる。ミャンマーやキルギスでは、「統治者に従うこと」が民主主義に「不可欠」だと考えている人が40%を超える。同様にエチオピアやイランでは、「富の平等な分配」が不可欠だと考えている人が30%以上。一口に民主主義と言っても、解釈はこれほど異なるのだ。そうしたニュアンスの違いを無視して支持率を比べれば、今の流れを読み違えることになる。 筆者は国際プロジェクト「世界価値観調査」の何十年分ものデータを分析した。その結果、世界中で見られる社会・政治的な混乱や分断の下で「文化的な地殻変動」とも言うべき変化が起きていることが分かった。 ゆっくりと、だが着実に、個人の選択や機会の平等を重んじる解放的な価値観が、服従と同調をよしとする権威主義的な価値観に取って代わりつつある。この変化は今のところ欧米で最も顕著だが、程度の差はあれ、世界のあらゆる地域に及ぶ本質的にグローバルな潮流とみていい。 解放的な価値観は上昇傾向 調査のデータがあるほとんどの地域で解放的な価値観は上昇傾向にある。その結果、若い世代は民主主義の原則に傾倒していくはずだ。1960~2018年、これらの価値観の支持率は、中東では(他の地域に比べればペースが遅く限定的だが)24%から38%に上昇、ブラジルでは31%から51%に上昇した。世界をリードしているのは北欧諸国で、特にスウェーデンは筆者らの推計では45%から80%に上昇している。 何より、自由、権威、社会における個人の役割に関するこれらの基本的価値観を若い人々が受け入れれば、それに対応する世界観も持続する傾向がある。そうした考え方、感じ方が一時的ではなく生涯にわたって身に染み付くのだ。 制度というものは永続性を目指すので、大抵ほとんどの政治体制は変わらない。だが不変に見える独裁政治の下では、文化的変化が熱とエネルギーを蓄えじわじわと進行している。若い世代で解放的な価値観が台頭すれば、次第に政府の権威主義体制と個人の自由や自主性や機会を求めてやまない人間的欲求との間に構造的矛盾が生じる。 こうした政治体制と文化のずれはやがて増大するストレスにさらされる。例えば、ポルトガル、韓国、スペイン、台湾では、生活水準の向上と教育の拡大によって解放的な価値観が台頭し、大衆の民主化圧力が高まって独裁政権が打倒された。時とともに政権の構造が社会の価値観に対してあまりに非民主的になり、ずれが一層鮮明になるのだ。 ===== 世界各地のデータもこれを裏付けている。政権の民主化度は解放的な価値観に対する国民の支持に比例する傾向がある。70~80年代の同様のデータもこれと同じパターンを示している。興味深いことに、当時は政権が国民の(より解放的な)価値観から大きく「ずれた」独裁的な国々が存在した。アルゼンチン、チリ、チェコスロバキア、東ドイツ、フィリピン、南アフリカ、ウルグアイなどだ。これらの国々はその後全て民主主義に移行している。 今後も価値観が進化し続ける、着実に解放的な方向に向かう、という保証はない。短期の経済的・政治的要因は、インドやハンガリーやポーランドのように、一時的に自由を認めない偏狭な世論を生み出すかもしれない。その結果、現在の世界的な民主主義の後退の中で目に付くように、政権が独裁色を強める可能性はある。しかし、それらは例によって遠回りや脱線であって、より広い世論や考え方や価値観にあらがう、取り返しのつかない衰退ではないことを理解すべきだ。 権威主義的民主主義の限界 さらに、独裁政権は必ずしも近代化とそれに伴う解放的な価値観の台頭の前に無策とは限らない。独裁者とポピュリストは解放的な価値観を葬り去るべく、愛国主義と宗教の下に国家の命運と地政学的使命にまつわる物語を作り出す。 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は正教会の伝統を欧米の堕落に対する防壁とする「主権民主主義」の指導者を自負し、中国の習シー・チンピン近平国家主席は一党支配を中国の発展の要と絶賛する(経済成長と市場経済の受け入れが切り離せない点に言及しないのは言うまでもないが)。今回の分析結果は、そうした戦略が近代化による解放的な価値観の台頭を大幅にペースダウンさせることを示している。 それでも認知動員の解放的な効果は顕著で、それに抵抗する力を上回っている。中国では解放的な価値観の支持率は最も教育水準の低い層で33%、大卒者では55%だ。近代化をめぐる権威主義的な筋書きは解放的な価値観の台頭を減速させることはできても止めることはできない。ドイツのナチズム、イタリアのファシズム、日本の軍国主義、旧ソ連の共産主義も、その信条の勝利を確信していながら、21世紀まで生き延びることはなかった。中国やロシアなどの独裁者が奨励する個人・体制崇拝にしても時間の問題だろう。 過去120年のグローバルな民主化傾向は、近代化が一般市民の知識や情報収集力や意識を着実に向上させてきたことを反映している。解放的な価値観への傾倒が強まり、大衆は自由を求めたり擁護できるようになった。この画期的な流れは拡大し加速しており、最近報じられるミャンマー、香港、ベラルーシなどの情勢にもかかわらず、長い目で見れば状況は民主主義に有利に傾いている。 現在は成熟した民主主義でさえ荒波の中を進み、行く手には力ずくで妨害しようと独裁者が待ち構えているのは確かだ。だが一時的な試練で民主主義の長期的な台頭は止まりそうにない。視野を広げれば過去数十年の出来事はこの楽観的な見方を裏付けている。真の民主主義者はこれに慢心するのではなく、絶望には程遠いからこそ、逆に民主主義の大義のために一層奮闘すべきだ。 From Foreign Policy Magazine