<習近平が先日、重要会議で「愛され、信頼される中国」の国際的イメージをつくり出せと命じた。だが中国政府は、日本留学中の娘が意識不明の重体になった人権活動家の出国すら認めない。恐怖政治の裏側にある極度の緊張状態ゆえだ> 習近平国家主席は5月31日、中国共産党中央政治局の会議で、国際社会とのコミュニケーションにおいて「開放的で自信をもち、謙虚で控えめ」な姿勢を示した上で、「信頼され、愛され、尊敬される」中国のイメージをつくりだすよう指示した。国際社会における中国のイメージは悪化の一途を辿っている。私の身の回りにも「自国(中国)の強硬な姿勢をよいと思わない」と(小声で)話す中国人が少なくない。これでは中国のソフトパワーは弱まる一方であり、政治局会議での指示は習近平政権も危機感を感じていることの表れなのか。 私は大学の中国研究者だが、メディアの取材を受け、エッセイやコラムを書き、SNSでも発信する。気づけば、このところ毎日のように中国のネガティブな情報を流しており、正直うんざりしている。前向きな情報や考えを発信したいのだが、どうしても批判的な見方が多くなってしまう。 ある時ツイッターで、誰だか知らない人が、私のアカウントを「カラー革命」(2000年頃から東欧や中央アジアの旧共産圏で政権交代を目指して行われた民主化運動)というカテゴリーに入れていた(私の方ですぐに削除させてもらったが)。私が中国の現政権を転覆させようとして、悪い情報ばかりを流しているとでも言いたいのだろうか。私は基本的に、中国の政治を変えるのは中国人自身だと考えており、中国の政権転覆を図る活動を行うつもりなど毛頭ない。 「敵対勢力」への過剰な反応 しかし中国政府は、香港のデモ活動や中国の民主化運動に「海外の敵対勢力」から資金が流れ、活動を支援している実態があると主張している。多くの団体が活動の理念として、民主主義や人権の価値を広めることを掲げているし、特定の国の政治目的と強いつながりのある団体が存在することも事実だが、そうした動きを全て政権転覆に結びつける必要はないだろう。だが中国政府は、過剰なほどに「国家の安全」を強調し、「敵対勢力」への監視や取り締まりを強化している。 私自身は、先にも述べたとおり、あくまで研究者として関心のある問題を分析し、発信してきた。「参与観察」という社会学の手法で、中国の貧困や社会問題のプロジェクトにメンバーの一員として参加し、観察を続けてきたため、私の視点はどうしても権力者側ではなく、社会的弱者の側に傾きがちだ。しかし、それは学問的な関心に基づくものであり、弱者の声が聞こえにくい現状を考えてのことでもある。 ===== 人権活動家の娘が意識不明の重体に 調査の過程で知り合った、苦しんでいる人たちを放ってはおけないし、調査に協力してくれた人たちに何らかのお返しをしたいという気持ちもあって、貧困地域や人権派弁護士の子どもを日本の我が家にホームステイさせたり、留学や就職の相談に乗ったりしてきた。 そのうちの1人、元人権派弁護士・唐吉田の娘のキキさん(仮名)は2019年から日本に留学し、東京の語学学校で日本語を学んでいた。自立心が強く、「うちの家の部屋が空いているよ」と何度か声をかけたが、「大丈夫です。自分でなんとか頑張ってみます」と言い、時々、我が家にご飯を食べに来るよう誘う程度だった。アルバイトをしながら学校に通い、大学受験に備えていた彼女は、「中国の農村ではまだ機会に恵まれない女の子が多い。心理学を学んで力になりたい」と話していた。 4月末、キキさんと数日間、全く連絡が取れないと唐吉田から連絡があった。風邪の症状があったと聞き、新型コロナウイルス感染の可能性を心配した私は、彼女のアパートを訪ねた。玄関のベルを鳴らしても彼女は出てこない。近くの交番のお巡りさんに一緒に来てもらい、外から声をかけ続けていると小さな声が聞こえた。キキさんは意識が朦朧とする状態で倒れていたのだ。救急車が到着してから3時間後、なんとか受け入れてくれる病院が見つかった。 助けることができてよかった、入院してしっかり治療すれば元気になるだろうと思っていた。入院後1週間は、簡単な会話もできていた。しかし、キキさんは結核を患っており、不幸なことに結核菌が脊髄や脳幹部にまで入り込んでいた。結核が原因の髄膜炎が急速に進んだ結果、水頭症を発症し、病院は懸命に治療を進めたが意識不明に陥った。この1カ月間、キキさんは意識が戻らないままだ。 私は毎日、医師の報告を中国にいる両親に伝えた。事態が深刻であるため、特に誤解のないように、専門的な内容を正確に伝えなければならないと、非常に重い責任を感じた。いつ病院から連絡があるかと、電話を一時も離せないし、落ち着いて仕事も就寝もできない。親の代わりに手術の同意書などにサインもしなければならない。唐吉田は、親戚や友人が参加する「キキさんの平安を祈る」SNSのグループをつくった。私は唐吉田の要望に応じて、グループの人たちから届いた「結核は治療可能なはずなのに、どうして意識不明に陥るのか」「他に有効な治療法はないのか」といった質問を医師に伝え、回答を中国語に訳して伝えた。親と同じぐらいの感情を込めて、責任感を持って対応しようとしてはいるものの、親に勝るはずがない。なんとか一刻も早く、両親に日本に来て欲しいと痛切に思った。 日本政府は新型コロナで渡航制限がある中、人道的配慮から両親の短期滞在ビザを超特急で発給した。急いで来日した母親は2週間のコロナ隔離期間を終え、6月初めにようやく娘に会うことができた。唐吉田は2010年5月以降、「あなたが出国すれば国家の安全を脅かす可能性がある」として、10回以上も中国から香港に出ようとした際に足止めされたという。出国禁止者のリストに名前があるなら、事前に関係機関に特別な許可をもらわなければ、今回も空港で出国を阻止される可能性が高い。 ===== やはり「国家安全」を持ち出しての出国阻止 私は中国研究を長年続けているが、中国では問題に直面した時に、政府などへの陳情に頼る人が多いことに驚かされる。依然、人治国家の側面が根強く残っているからだろう。コネや金が不足していれば、警察は捜査しないこともあるし、あるいは「社会の安定を脅かす」と判断されれば、裁判所は訴状を受け付けないこともある。ただ、陳情というルートは公的に確保されており、国の陳情局(国家信訪局)があるし、各レベルの党や政府機関にも受付窓口がある。しかし多くの場合、さまざまな部署をたらい回しにされた挙句、問題は解決に至らない。陳情者が増えると、役人の職務評価に影響するため、「截訪」(陳情阻止)が行われ、中央の機関に訴えようと北京に出てきた人が、強制的に地方に連れ戻されることもしばしばある。 唐吉田は吉林省延辺で教師から検察官に転職し、多くの重大な案件を担当したが、司法の闇を目の当たりにして辞職した。その後弁護士資格を取得し、法的支援の対象としたのがまさに、中国当局が「邪教」に認定する宗教集団・法輪功の信者で迫害された人たちや再開発で強制立ち退きを迫られた人たち、粉ミルクに混入した化学物質による健康被害者など、権力機関にまともに相手にされず、陳情に頼る社会的弱者だった。だが、唐吉田は2010年に弁護士資格を剥奪され、2011年には中国版ジャスミン革命(一党独裁を廃止し民主革命を求める運動)を呼びかけたとして、1カ月弱拘束された。その間、ひどい拷問を受けたことから、体重が急激に落ちて体力が低下し、肺結核を患っている。2016年には不審なバイクによる交通事故に遭い、左足の大腿骨を複雑骨折する重傷を負った。 そして唐吉田は今回、日本で入院する娘のそばにいたいという一心で、出入国管理を管轄する中央政府の公安部(公安省)と北京市公安局の陳情受付窓口に並び、自分の訴えを記した書状を提出した。しかし6月2日、彼の願いは届かず、中国国内の経由地・福州から成田行きの飛行機に乗る前、「国家安全に危害を加える可能性がある」者の出国を禁じると定める「出入国管理法第12条第5項の規定により出国は認められない」と告げられた。 北京市公安局を訪れた唐氏 Courtesy Tomoko Ako 娘が生死の境を彷徨っているというのに、どうして許可してあげられないのか。中国の政治家も官僚も子の親ではないか。今年1月にも、活動家の郭飛雄がアメリカで癌を患う妻に会うために出国しようしたが、同じように阻止された。ここ10年ほど、人権派弁護士や活動家、あるいはその配偶者や子どもが出国を妨げられるケースが相次いでいる。我が家でホームステイしていた活動家の子どもも、1度目は出国を止められたため、2度目は近しい友人にさえ伝えず、こっそりと日本留学を計画し、やっとの思いで日本にやってきた。 唐吉田は自分の信念に基づいて人権活動を行なってきたものの、家族には迷惑をかけたという思いがある。毎晩のように、娘に生まれた時から今に至るまでの思い出話、歌や詩を録音し、携帯のメッセージで私に送ってくる。私は病院に行く際に、その録音をキキさんの耳元で聞かせてあげているが、本人が直接娘に伝えたいに決まっている。唐吉田はこう呟いた。 「今は魂が抜かれたようで、何も手につかない。娘と共に過ごした日々の生活のあれこれを思い返し、家族を大切に思う気持ちが深まっている。もっと前から、娘のことを思い、娘を大切にしてやればよかったよ」 ===== なぜ中国政府は強硬姿勢を崩さないのか それにしても、中国政府はなぜここまで強硬なのか。習近平個人の性質に原因を見ようとする人が少なくないが、私は、それはごく1つの要因にすぎないと考える。 中国は世界最大の独裁国家であり、AI大国でもある。軍事、治安強化、国威発揚などに関して情報の管理がいかに重要であるかを、長い間の経験を通じて理解している。リスクを見逃さずに削減し、ここというところに圧力をかける。現政権に取って替わる勢力が出てこないように、例えば小型のAIロボット兵器が中央の指導者を攻撃の標的にすることがないように、活動家や弁護士、「異見分子」(異なる意見を表明する知識人ら)を監視し、テロリストを排除するシステムを徐々に作り上げてきた。 国家安全のための「暴力装置」が一旦出来上がると、それに関わる各部門はより多くの人員と予算を獲得しようと動き、組織を膨張させ続ける。そのなかで、必要以上にリスクの存在を訴えたり、意図的な情報操作が行われたりすることもあるだろう。一方、問題が生じた時の責任を過度に意識し、自己検閲や忖度を繰り返し、拘束する必要のない人物を拘束することもあるはずだ。 元来、恐怖政治とはそのようなものだ。何が国家の安全を脅かすのか、誰も明確に説明できないだろう。皆が好き勝手に、自らに都合の良いように国家の安全を定義するならば、それは逆に国家の安全を脅かすことになる。恨みや敵意を増長させ、国際的には中国脅威論を煽ることにもなる。習近平が中国のイメージをよくするよう指示したのは、恐怖政治に関わるアクターたちが、収拾のつかない形で暴走することを危惧しているからではないか。 強大なパワーを持つ国家に対して、娘に会いたい一心の人権活動家は、経済的・社会的にあまりにも弱い立場にいる。そのようなちっぽけな存在に対して、国家の安全を脅かすとして出国を阻止しなければならないのか。これが大国の器の大きさなのか。恐怖政治を敷く独裁政権下においては、統治される側だけでなく、統治する側も極度の緊張状態に置かれている。国家安全の暴力装置にもめげずに抵抗する、知識や思考力、行動力のある人たちが恐ろしいのだろう。しかし、中国政府が重んじる儒教文化は、家族の関係を大切にするよう説いているではないか。子を思う親の心がわからないような国のイメージがよくなるはずがない。 <筆者略歴> 1971年大阪府生まれ。東京大学大学院総合文化研究科教授。大阪外国語大学、名古屋大学大学院を卒業後、香港大学教育学系で博士号取得。在中国日本大使館専門調査員、早稲田大学准教授などを経て2013年から現職。主な著書に『貧者を喰らう国――中国格差社会からの警告』(新潮選書)、『香港 あなたはどこへ向かうのか』(出版舎ジグ)など。