<米ドルを正式通貨とする中米エルサルバドルが、ビットコインを法定通貨に加えたい本当の理由> 中米エルサルバドルの大統領ナジブ・ブケレは若くて(この7月24日で40歳)大胆、そして予測不能だ。去る6月5日にはマイアミ(米フロリダ州)で開かれたビットコインの会議にビデオ出演し、重大な政策変更を発表した。暗号資産(仮想通貨)ビットコインを法定通貨に採用し、米ドルと共存させると発言したのだ(経済の混乱で旧通貨の信頼が失われたため、この国では2001年以降、米ドルが正式な通貨として用いられている)。 とんでもない話だが、これがブケレ流の統治スタイルであり、ビットコイン流の夢物語でもある。つまりエルサルバドル国民の暮らしなど考えもせず、ただビットコインのイメージアップに資するだけのプロジェクトだ。 ビットコインは仮想通貨の元祖で、本来は政府の干渉を受けない通貨として構想されたもの。しかし有益な通貨とはなり得ず、せいぜいサイバー攻撃を受けた企業の身代金支払いに使われる程度。だから今は、もっぱら「価値ある資産」と喧伝されているが、その実態は2、3カ月で価値が50%も乱高下するような投機的商品だ。 納税を含む全ての支払いで使えるように エルサルバドルのビットコイン法案は現地時間の6月8日午後8時に上程され、日付をまたいで深夜0時過ぎに賛成62、反対19、棄権3で可決された。上程前に法案の内容を知っていたのはブケレ大統領と一部の側近のみだろう。議会での審議も形だけ、わずか数時間だった。 このままだと法案成立から90日後の9月7日を期して、エルサルバドルでは納税を含む全ての支払いにビットコインを使えることになる。どんなに小さな商店主も、代金としてビットコインを受け取らねばならない(技術的に不可能な場合は除くとされているが、現実にビットコインが店頭での支払いに利用される可能性は限りなく低い)。だが米ドルも法定通貨であり続けるから、米ドル建ての銀行口座はなくならない。つまり、所詮ビットコインは米ドルの「代用品」だ。 エルサルバドル国民の4人に1人はアメリカで働いており、その稼ぎを本国の家族に仕送りしている。19年の送金額はエルサルバドルの輸出額に匹敵する56億ドルだった。政府と、そして政府と組むビットコイン運用会社が欲しいのは、この米ドルだ。 政府と組んでいるのはアメリカの電子決済企業ザップの子会社ストライク。この会社を率いるジャック・マラーズが今年初めに行った説明によると、同社はアメリカ在住の送金者から受け取った米ドルでビットコインを購入し、それをエルサルバドルに送金した後、さらに「テザー」と呼ばれる別の仮想通貨と交換する。テザーは「米ドルの価値に1対1で連動している」とされるドル代替仮想通貨だが、本当に1対1で交換できると信ずるに足る証拠はどこにもない。 つまり、仕送りを受け取る側がストライクのアプリを通じて手に入れるのは怪しげな「暗号ドル」にすぎず、今までのような本物の米ドル紙幣ではない。 ===== マラーズに言わせると、本物のドル紙幣が欲しいなら、まずは送られてきたテザーでビットコインを購入し、それを最寄りのビットコインATMに入れて米ドルの現金を引き出せばいい。だが現実問題として、あの国にはビットコインATMが2台しかない。仮想通貨モデル地区に指定された2つの村にあるだけだ。 エルサルバドルの経済は現金決済で回っている。成人の7割が銀行口座すら持っていない。わずか90日で、デジタル決済のインフラを構築できるのかは大いに疑問だ。 現状でインターネットを利用できるのは国民の45%。農村部に限れば10%前後だ(大統領は、ビットコイン業界の手を借りて衛星通信網を整備すると主張している)。 消費者にも商店にも決済アプリを無償配布すると政府は言うが、あいにくストライクのアプリは古いスマホだとうまく作動しない。ビットコインATMも自国では生産できないから、外国から調達する必要がある。 ビットコインに賭けるブケレ大統領(就任から2年目の記念式典で、今年6月1日) JOSE CABEZAS-REUTERS 独断専行の肝煎り政策 ブケレはこの計画を、事前に国内の誰にも明かしていなかった。国内メディアは慌てて外国通信社などの報道を翻訳し、伝えたのみ。有力紙ディアリオ・デ・オイの電子版は国内の専門家にコメントを求めたが、ビットコインが国民に有益だという証拠は誰一人示せなかった。 実を言えば、ブケレ政権の財政は破綻している。支持率が90%超で盤石に見えるのは、増税なしで政府支出を増やしてきたからにすぎない。それで膨らんだ財政赤字を埋めたくても、法定通貨は米ドルだから勝手に増刷できない。だからブケレは、出稼ぎ労働者の仕送りから米ドルを吸い上げようと考えた。 今のアメリカ政府はブケレのポピュリスト的な体質にも縁故主義にも不快感を示している。だから公的援助の支給先も、政府ではなく民間団体に変えた。金融市場もエルサルバドル政府を信用していないから、同国の国債は大幅に割り引かれている。 ブケレはビットコイン法採択の翌日にIMFから10億ドルの融資を獲得するための交渉に臨んだが、IMFも事前の記者会見で、この法律の趣旨に懸念を表明していた。 要するにブケレは、ビットコインを国内に流通させ、それを米ドルと等価だと言い張ることにより、アメリカにいる自国民の送ってくる米ドルを横取りして対外債務の返済に充てる算段らしい。 議会で法案が審議されていた間にも、ブケレはビットコイン推進派との公開ビデオ会議に参加し、自分の構想の詳細を語っていた。ビットコインと米ドルの交換比率の変動による差損を補塡するため、国営の開発銀行に1億5000万ドルの信託基金を設けるという。素敵な大盤振る舞いだが、この国の外貨準備高は25億ドルにすぎない。 ===== 商人(または犯罪者)は受け取ったビットコインをこの信託に持ち込んでドルに替えるから、当初の1億5000万ドルはいずれ、全てビットコインに置き換えられる。 債務の返済もビットコインでできる。年金基金から政府が借り入れた分も同様に処理されるから、結果として国民の払い込んだドルがビットコインに化ける。公務員の給与もビットコイン払いになる。 またビットコインの取引では実名の使用が求められないので、いわゆる本人確認ができない。そこが物理的な通貨と決定的に違う。当然、犯罪絡みのビットコインを持つ人は一刻も早くドルに替えたいので、この信託に持ち込む。結果、この1億5000万ドルは不正なマネーロンダリングの受け皿となる。 マネーロンダリング対策に関して、エルサルバドルは従来、一定の信頼を勝ち得てきた。しかし性急にビットコインを採用すれば、その信頼は吹き飛ぶ。そうなると、アメリカからエルサルバドルへの送金も面倒になる。 政府よりドルを信頼 ブケレ政権要人によれば、ストライクを使えば国内からは1回につき1ドル(米国からなら5ドル)の「クレジット」を差し引かれるだけで送金でき、「手数料は不要」だという。しかし政府は、その「クレジット」の一部をストライクから徴収できるだろう。その場合、政府は国民の貴重な仕送りに手を付け、ドルをかすめ取れることになる。 こんな仕組みをエルサルバドル国民が受け入れるだろうか。現に国民は自国の政府よりも米ドルを信頼している。そしてビットコインの採用は国民のドル資産を政府が吸い上げるたくらみだとみている。米ドルへの交換手数料を引き上げたり、引き出し限度額を設定するなどの措置を追加すれば、政府はいくらでもドルを搾り取れる。 アルゼンチン政府は21世紀初頭に起きた金融危機の際、同様の措置を導入した。 アルゼンチンの通貨ペソは1991年以来、米ドルと1対1で取引されていた。だが2001年には経済の停滞で財政赤字が深刻化し、国民は米ドル連動制の崩壊を恐れ、われ先にとドル資産を銀行から引き出そうとした。 慌てた同国政府は銀行預金の引き出し制限(コラリート)を発動し、事実上全ての銀行口座を凍結した。わずかな額の引き出しのみを許可したが、各地の銀行では取り付け騒ぎが起きた。大規模な暴動が起き、政権が崩壊してコラリートが廃止されるまでには1年以上かかった。 この6月で、ブケレが大統領になってから2年が経過した。実績を残したい、エルサルバドル経済を再建した男として記憶されたい、と思う日もあるだろう。そうは言っても、ひたすら直感で統治するのがこの男のスタイルだ。 ビットコインで財政再建などという妄想は、さっさと捨てるべきだ。さもないと怒れる民衆が大統領宮殿を包囲し、火を放つだろう。 From Foreign Policy Magazine