<今年2021年は日本では東日本大震災から10年だが、世界史的には「アラブの春」から10年、9・11同時多発テロ事件から20年、湾岸戦争から30年である。「ポスト冷戦期は中東問題の時代だった」と唱える、池内恵・東京大学教授。論壇誌「アステイオン」94号は「再び『今、何が問題か』」特集。同特集の論考「歴史としての中東問題」を2回に分けて全文転載する(本記事は第1回)> 周年期の構想 2021年という年は、多くの周年期が重なる、「複合的な周年期」とも言える年である。日本にとっては東日本大震災から10年という点が何よりも重く感じられるため忘れられてしまいがちだが、中東においては、2011年の「アラブの春」から10年が経過した節目の年であり、国際政治の歴史認識においてはこちらがより関心を集めることは確実である。「アラブの春」が呼び覚ました中東地域の動揺は、途切れることなく現在まで続いている。 そうであれば、「今、何が問題か」という与えられたお題に対して、「アラブの春から10年の中東情勢」こそがまさに「現在の問題である」と、中東研究者たる私が解説、力説すればいいのだろうか。それが相応しい場もあるかもしれない。ただ、私には『アステイオン』がそのような場であるとは思えない。また、私という書き手が今現在、『アステイオン』という場でそのような議論を展開することが有益であるとも、求められているとも、私には考えられないのである。 ここではもう少し、2021年の「複合的な周年期」としての意味を考えてみよう。2021年は、2001年の9・11事件から20年の節目となる。9・11事件によって、冷戦後の米国主導のリベラルな国際秩序に公然と挑戦する、ほぼ唯一の残された理念として、イスラーム教とイスラーム政治思想が、まさに「問題」として国際社会に立ち現れた。 それによって動員される多様な集団が、米国を中心とした国際秩序を揺るがす「脅威」として認識され、米国が主導して、中東・北アフリカから南アジアにかけての地域を主要な対象にした「対テロ戦争」をグローバルに戦った。日本もそれに否応なく関与することになった。この観点からは、2001年からの20年は、国際政治史を将来に叙述する時に、「対テロ戦争の時代」であったと位置づけられることになるだろう。 さらに、2021年は、1991年の湾岸戦争から30周年でもある。前年8月のイラクのフセイン政権によるクウェート侵攻に対して、1991年1月17日に、米国が率いる多国籍軍が戦闘を開始し、短期間にイラク軍をクウェートから放逐した。 ===== 巡航ミサイルなど米国の最先端の兵器の優位性が明らかになったこと、それがCNNに代表される衛星放送という新しいメディアを通じて全世界に中継されたこと、米国主導の多国籍軍とその陣営には、反米主義、反植民地主義、民族主義を喧伝してきたアラブ諸国からも主要な国が加わったこと、崩壊過程にあったソ連がほとんど全く影響力を行使しなかったことなど、湾岸戦争においては、冷戦後の国際秩序の主要な要素が現れている。 そして、当然のようでいて忘れられがちなのは、湾岸戦争は中東で起こった、ということである。湾岸戦争から現在まで、国際政治の主要な「問題」が、多くの場合は中東に発生してきた。この観点から、過去30年は、中東を「危機の震源」とする、国際政治における「中東問題の時代」であったと言うこともできるのではないか。 私はこの1991年の湾岸戦争を起点とする「現代史」の認識を、より深め、広めたいと思う。「中東問題」を軸とした現代史1991年を起点とする現代史、国際政治史の認識はそれほど一般的ではない。 一般的には、現在の国際政治における現代史の起点は、1989年に明らかになった東西冷戦構造の崩壊とされがちであり、その後の時代を「冷戦後」「ポスト冷戦期」といった名称で呼ぶことが多い。1989年のベルリンの壁の崩壊が象徴する、東西冷戦構造の崩壊、あるいは崩壊の始まりが、「冷戦後」という次の時代の起点とされる。 「冷戦後」という観念は、「冷戦」というそれまで厳然と存在していたものが不在になった「後」の、まだ性質と内実が定かではない未知の時代として認識されることで成立している。それまでの冷戦期を生きてきた人にとって、現代史の起点を1989年とすることは、自然な世界認識の方法である。 「冷戦」とは既知の現実の存在であるのに対して、その「後」の時代は未知のこれから生じてくる存在であって、その新たな時代の始まりを示すために、すでに終わった時代の終わりが明らかになった年号を示すのは当然とも言える。 ===== しかしわれわれはすでにベルリンの壁崩壊から30年以上の時間を生きてしまっている。ベルリンの壁が建設されたのは1961年であり、それが崩壊したのが1989年である。冷戦期という時代が、少なくとも、それを象徴するベルリンの壁の存立期間という意味では28年しかなかったことになる。われわれはこうしている間も、刻一刻と、冷戦期よりも長いポスト冷戦期を生きているのである。 そうであれば、ポスト冷戦期を、それ以前の冷戦期という時代に存在した対立構造の消滅と不在として捉えるのではなく、ポスト冷戦期に実際に存在した主要な問題・課題、つまりその時代の内実をもって捉えていく時期に来ているのではないか。この文脈において、私としては「ポスト冷戦期は中東問題の時代だった」と唱えていきたい。 いうまでもなくポスト冷戦期は「米国一極支配」の時代である。米国主導の国際秩序の形成と広がり、トランプ大統領の登場のように、米国という体制そのものの内なる動揺や、米国が主導する国際秩序の揺らぎが、ポスト冷戦期の内実をめぐる主要な議論になることは当然である。それは国際政治の主導的・指導的な主体に着目した場合である。 主導的な主体がその他の主要な主体と共に知恵を絞り対処する、国際政治の主要な「対象」、はては「問題」や「脅威」は、それが実態あるものなのかあるいは過剰な認識による面もあるのかは議論の余地があるとして、中東であり、イスラーム勢力であり、その背後にある理念であった。 その意味で、ポスト冷戦期は「中東問題の時代」であり、その起点を、1989年のベルリンの壁崩壊というよりは、むしろ1991年の湾岸戦争に置くということも可能ではないだろうか。そして、それから10年後の2001年の9・11事件とそれに対する米主導のグローバルな対テロ戦争の展開は、米国一極支配がその頂点に達したところでの、周縁からの反発の表面化とも受け止められうるものであり、過剰拡大・介入過多による衰退あるいは停滞を招いた側面も指摘できる。 2011年の「アラブの春」以後の、米国による統制が効かなくなった中東情勢は、米国一極支配の緩みの顕在化と、より多極的な、あるいは中東から離れた中国に国際政治の「問題」の所在が移動し、今後の展開によっては主要な「主体」も移動していく、次の未知の時代の前触れであったと捉えられるかもしれない。 ===== 「中東問題」の世代論 ここまでは現代史の歴史認識・時代区分の若干の修正を提起する議論を試みたが、この後は少しばかりの「自分語り」をお許しいただきたい。 冒頭に記した「中東中心史観」とも言える現代史の叙述の流れ、すなわち1991年の湾岸戦争を現代史の起点とみなし、それ以後の歴史の中で2001年の9・11事件を最重要の曲がり角と捉え、2011年の「アラブの春」を契機にした中東地域の秩序変動を見届けながら、そこからグローバルな国際秩序の弛緩や改変の予兆を見出す、さらには、前近代の秩序への部分的な回帰を含む、新たな国際秩序の出現を展望しようとする視点は、私個人の、あるいは私の属する世代の経験を多分に反映している。 私個人にとっては、1991年の湾岸戦争を、進路をぼんやりと考える高校2年生として体験したことが、大学に入ってから中東・イスラーム研究を専攻に選ぶ遠因となったというかなり平凡な経緯を、今から振り返ると認めざるを得ない。 2001年の9・11事件は、イスラーム政治思想という、それまでは日本ではかなり周辺的で、趣味的な課題と見られがちだったものが、現代の国際政治に直接的・死活的に影響を及ぼすものとして認識されたことから、私自身が公的な場で発言を求められる書き手として存在することを可能にした。2011年の「アラブの春」はさらに中東問題への社会的・経済的関心を高めた。2001年以後の20年間は、文字通り休む暇もなかったというのが正直なところである。 しかし考えてみれば私が生まれた1973年はオイルショックの年であり、日本で中東という地域の戦略的重要性が広く認識された最初の事件が起きた年と言ってもいい。生まれ年というものが個人の、あるいは世代の意識に影響を与えるかは実証しにくい問題だが、ニュースが今よりずっと一元化されていた時代において、自分の生まれ年に結びつけてたびたび語られる事件・事象に関心を持ちやすいということはあるのかもしれない。 ===== 私が記憶する最も古い新聞記事は、1979年12月24日のソ連によるアフガニスタン侵攻で、これは小学1年生の頃だったはずだが、当日だったのか時間が経ってからか定かな記憶がないが、小学校で担任の教師が「今日の新聞に何が載っていましたか?」と質問すると、いつもこまっしゃくれていて、何かと他人にからかいの声を浴びせ、嫌がらせを繰り出してくる特に親しくない同級生が「ソ連がアフガニスタンに入ったんだよ」と即座に答えたのを覚えている。 私としてはあらゆることに一旦呼吸を置いて考えるタイプであり、知っていると思ってすぐに手を挙げて答えるような子供ではなく、ただ「なぜ『入った』なのだろう」と不思議に思い、印象に残っていた。 冷戦対決の中で、新聞は中立を標榜するか、あるいは当時はあからさまに心情的に東側寄りの姿勢を取ることもあったため、ソ連のアフガニスタン侵攻を「侵略」と価値判断することは避けようとするが故に、「入った」という曖昧な表現を用いたのかと思うに至ったのはかなり後の方であるが、それぐらい印象に残って考え続けていたのだろう。 そもそも小学一年生が新聞の一面を読めるはずがない。ラジオから流れるニュースを聞き、親が話しているのも聞いたのかもしれない。同世代の経験として、中東やイスラーム世界が国際社会における「問題」の源であるという印象が自然に植えつけられる条件はあったのではないか。 ※第2回:前世代の先輩たちがいつの間にか姿を消していった──氷河期世代と世代論 に続く 池内恵(Satoshi Ikeuchi) 1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。国際日本文化研究センター准教授、アレクサンドリア大学(エジプト)客員教授などを経て、現職。専門はアラブ研究。著書に、『イスラーム世界の論じ方』(中央公論新社、サントリー学芸賞)、『[中東大混迷を解く]サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』『[中東大混迷を解く]シーア派とスンニ派』(ともに新潮社)、『新しい地政学』(共著、東洋経済新報社)など多数。 ※当記事は「アステイオン94」からの転載記事です。 『アステイオン94』 特集「再び『今、何が問題か』」 公益財団法人サントリー文化財団 アステイオン編集委員会 編 CCCメディアハウス (※画像をクリックするとアマゾンに飛びます)