<外部からの立ち入りが困難な複数の地域で大勢の人が虐殺され、飢え、支援の手も届かないなか命の危機にさらされている現状が詳細に綴られていた> エチオピア北部のティグレ州では、昨年11月から政府軍と反政府勢力の戦闘が続き、人道支援が断たれて久しい。政府軍に包囲され通信網も遮断されて陸の孤島と化したティグレ州の一部では、もう何カ月も虐殺や性暴力、飢饉が続いているとされるが、戦闘の原因や詳しい現状は外にはほとんど伝わってこなかった。現地のあるリーダーが助けを求めて州当局に送った手紙で、惨状が一部明らかになった。 AP通信が入手した6月16日付の手紙には、隣国エリトリアの支援を受けたエチオピア政府軍と少数民族ティグレの軍事部門の戦闘が、現地に壊滅的な影響をもたらしたことが綴られている。手紙によれば、現地では5000棟の民家が略奪被害に遭い、少なくとも440人が死亡。性暴力の被害に遭った者は少なくとも558人にのぼるという。 「清潔な水や電気、電話、銀行、医療へのアクセスがない状態で、孤立し、人道支援へのアクセスも断たれている」と、マイ・キネタル地区のリーダー、ベルヘ・デスタ・ギブレマリアムは手紙の中で述べ、こう続けた。「エリトリア軍に完全に包囲されているため、どこへも逃げられない。交通手段もなく、みんな苦しんで死んでいくしかない」 ティグレ人たちは「落ち葉のように倒れていっている」と彼は述べ、支援が得られなければ2021年と2022年の状況は悲惨なものとなるだろうと警告した。 以下にAP通信による報道を引用する。 既に100人以上が餓死している 支援を求める手紙は、これまで「住民が家から避難している」という噂だけが聞こえてきていた遠く隔絶された地から届いた。ベルヘの署名が入った手紙には「助けて欲しい」と書かれていた。現地では少なくとも125人が餓死しているという。 戦闘で引き裂かれたティグレ州の中でも最もアクセスしにくい地域のひとつで、住民たちは身動きのとれない状態に置かれている。支援の手も届いていない。 手紙は、エリトリアの支援を受けたエチオピア政府軍とティグレ州をかつて支配していた者たちとの戦闘について、これまで知られていなかった、差し迫った現状を伝えている。何カ月にもわたって世界から隔絶されてきた、何十万人もの人々の現状だ。 アメリカは、ティグレ州に暮らす最大90万人がこの10年で最悪の飢餓に直面していると警告しているが、ティグレ州の広い地域については、詳しい状況がほとんど分かっていない。道路が遮断され戦闘が続き、人道支援団体も現地にアクセスできずにいる。 今週に入って、ティグレ人勢力が州都メケレに進軍し、政府軍が撤退。その後、政府が一方的な即時停戦を宣言したことで、支援のチャンスが訪れた。米国国際開発庁のある当局者は6月29日に米議員らに対して、遠隔地域に支援の手を差し伸べるために、複数の支援団体がすぐに停戦状況について検証する見通しだと述べた。 ===== しかしながら、数々の残虐行為をはたらいたと非難されている隣国エリトリアの部隊をはじめ、戦闘に携わったそのほかの当事者たちが停戦を守るかどうかは不透明だ。ティグレ人勢力の報道官は停戦を「悪趣味な冗談」だと一蹴し、同地域を「完全に解放する」つもりだと宣言した。 マイ・キネタル地区から州都メケレに届いた手紙を確認した保健当局者によれば、このような手紙が州都に届いたのは2度目だという。1通目はオフラ地区からで、150人が飢餓で死亡したと報告する内容だった。この手紙は4月に行われた国連安保理の非公開会合で共有されている。 前述の保健当局者(報復を恐れて匿名希望)によれば、マイ・キネタル地区からの手紙には、現地の悲惨な状況が詳細に記されていた。何千頭もの家畜が略奪され、何トンもの穀物が焼き払われた、などの詳しい記述もある。 ベルヘの手紙によれば、農業従事者が多いマイ・キネタル地区では農家が略奪に遭い、作物を育てるための種さえ手元に残っていない。同地区に一度だけ届いた支援は、1995年の古い国勢調査のデータを基に送られたもので、住民の半数は何も貰えなかった。 3万人超の子ども栄養失調 保健当局者は、マイ・キネタル地区から徒歩で州都に逃れてきた複数の住民から、大勢の人が飢えていると聞いてはいたが、ベルヘの手紙によって危機の詳細と規模がはっきりしたと述べた。「大勢の人が死んでいる。ひどい状況だ」と彼は語り、ほかにもアクセスできない地区が複数あるが、ティグレ州の多くの地域で電話回線が遮断されているため、連絡が入ってこないと明かした。 国連のある人道支援担当官は、マイ・キネタル地区について「我々が手を差し伸べたい、とりわけ重要な地域」だと述べ、AP通信に対して、戦闘が始まって以降、同地区をはじめとする数多くの地区への支援が遮断されていたことを認めた。 国連はティグレ州について、外部からの立ち入りが困難な地域に計160万人が残されていると推定しており、国連児童基金(UNICEF)は6月11日に、支援の手が届かなければ、これらの地域の少なくとも3万3000人の重度の栄養失調の子どもたちに「死の危険が迫っている」と警告した。だが人道支援活動家たちは、に今はまだ激しい戦闘が続いている地域もあり、状況が不安定だと警告している。 今週に入ってエチオピア政府軍が一方的に宣言した停戦も、恒久的なものではない。エチオピア政府は、停戦はティグレ人の農繁期が終わるまで、つまり9月までだとしている。ティグレ州の農業従事者たちが今後、どのような形で作物栽培に必要な種や農具を手に入れることができるのかは、明らかになっていない。 ===== 家族がアクセス困難な地域に取り残されているティグレ人たちは、情報が入らないため、何カ月もの間、恐怖と絶望に見舞われている。 「あの地域からなんとか逃れてきた人から話を聞くたびに、痛みと衝撃を感じる」と、マイ・キネタル出身のティグレ人で現在は別の場所で暮らしているテクレハイマノット・G・ウェルデミシェルは言う。同地区にある彼の実家は、戦闘が始まってすぐに砲撃を受けた。その後、両親が実家に戻ったが、エリトリア軍の兵士たちに写真立てやアルバムに至るまでのあらゆるものが奪われていたという。 同地区からスーダンに逃れたキブレアブ・フィゼハはAP通信に対して、マイ・キネタル地区にいた糖尿病を患ういとこが、食糧不足で死亡したと語った。「両親はまだあそこにいる」と彼は語った。「両親は家の中に隠れている。助けが到着するまで、無事でいてくれることを願っている」 また別の住民はAP通信に対して、戦闘が始まってから、一度だけ母親と話すことができたと語った。約1カ月前、電話回線が再び遮断される前のことで、母親とは短い会話を交わしたという。 「戦闘が始まってからずっと、母に電話をかけていた」と、ツィーゲ(家族を守るためファーストネームのみ)と名乗るこの男性は語った。母親は、エリトリア軍が地元の村を掌握して、多くの住民が村を後にしたと語っていたという。 「いま行動を起こして」 ツィーゲの父親(70代)は、高齢のため逃げることができなかった。ある日、エリトリア軍の兵士たちがツィーゲの実家にやって来て、水を持ってくるよう父親に頼んだ。父親が水を渡すと、兵士たちは危害を加えずに見逃してくれたという。 だが兵士たちが村の民家をまわって捜索を行うなか、彼らに見つかってティグレ人勢力の戦闘員とのつながりを疑われた者たちは、殺された。住民が逃げていなくなった後の家は、焼き払われた。 ツィーゲの別の親族は、エリトリア軍の兵士たちに家畜を渡すのを拒み、孫の目の前で殺された。マイ・キネタル地区ではツィーゲが知っているだけでも11人が殺害され、その中には70代の耳の不自由な男性もいたという。 現在はティグレ州から遠く離れた日本に留学しているツィーゲは、「最悪の事態に備えなければならない。数分おきに家族のことを考えている」と語った。 ツィーゲは若く、1980年代に内戦のさなかエチオピア、特にティグレ州を襲って世界に衝撃を与えた飢饉を知らないが、家族から当時の話を聞かされて育った。彼は国際社会に行動して欲しいと述べ、またエチオピアのアビー・アハメド首相に「人として」戦闘を終わらせてほしいと語った。 「今また内戦が起きていて、私たちはそれをただ眺めているだけだ」と彼は言う。「家族が死んだ後に撮影されたドキュメンタリーなんて見たくない。いま行動を起こして欲しい」