<米軍を追い出し20年の時を経て復権したタリバン。彼らは地元アフガニスタン人にとって「恐怖政権」か、国外勢力と戦う「解放軍」なのか> 世界を「カブール陥落」のニュースが駆け巡ったのは、2021年8月15日のことだ。アフガニスタンから米軍が完全撤退するのを前に、イスラム主義勢力タリバンが首都カブールを再び占拠。国外に脱出しようと市民がカブール空港に殺到し、離陸する飛行機にしがみつく光景は見る者を震撼させた。 市民は、なぜタリバンの復権を恐れるのか。20年の時を経て権力の座に返り咲くタリバンとは、何者なのか。 米同時多発テロ事件から2カ月後の2001年11月。私は当時勤務していた朝日新聞の記者として、米軍の侵攻によりタリバン政権が崩壊した直後のカブールを取材した。タリバンは1996年から2001年までの「第1次政権」で、10歳以上の女子の登校を禁じた。頭から全身をすっぽりと覆うブルカの着用を義務付け、女性が働くことはおろか、夫など男性の付き添いなしで外出することも禁じた。 そんな中でも、女子のための宗教教育を名目にタリバンから開設を許された複数の「私塾」が、ひそかに算数や理科などを教え、女子教育の灯を守っていた。その1つを訪れると、16歳の少女が「タリバンが去ったから、大学に行って夢だった医師になれる。そして、私のような子を助けてあげたい」と涙を流しながら語った。彼女は足に障害があった。 再び、窮屈な時代が訪れるのか。恐怖感と重苦しい沈黙がカブールを包むなか、タリバンは2021年8月17日、記者会見を開いた。ザビフラ・ムジャヒド報道官は、「女性の権利を尊重する」と語り、「シャリーア(イスラム法)の枠内で」と付け加えた。 タリバン=「学生たち」 タリバン(ターリバーン)は、その名前自体が組織の由来と、土着性を示している。(男子)学生を意味するアラビア語由来の言葉「ターリブ」を、現地のパシュトゥー語で複数形にした「学生たち」。これが「ターリバーン」という組織名の意味だ。アラビア語の複数形「トゥッラーブ」ではないところに、あくまで地元に根差す組織と自己規定していることがうかがえる。 タリバンの創始者ムハマド・オマル(1960〜2013)は80年代、ソ連軍と戦うイスラム戦士の1人だった。オマルは90年代、アフガン東部のマドラサ(イスラム神学校)でイスラム教について教え始めた。 こうしてアフガン東部の農村地帯やパキスタンのアフガン難民キャンプのマドラサで学ぶ学生らが銃を取り、戦国状態で乱れたアフガン社会でイスラムの教えに従った「世直し」に立ち上がったというのが、タリバン側が主張する組織の由来だ。 アフガニスタンでは90 年代初頭、全土に無政府状態が広がって軍閥が群雄割拠し、暴力的で強引な統治と勢力争いの戦闘を繰り広げていた。こうした軍閥と違って公然とは賄賂を求めず、支配地域では厳格な統治で治安を回復させた当時のタリバンに対し、市民の間では歓迎する声があった。特に農村部ではそうだった。 しかし、タリバンが瞬く間に支配地を広げて96年に首都カブールを占領し、実質的な政権となった頃には、さまざまな出自や価値観を持つ住民が集まる都市部を中心に、反感も強くなっていった。 ===== タリバンには、2つの思想的基盤がある。復古的なイスラム解釈と、タリバンの大勢を占めるパシュトゥン人の伝統的な価値観だ。パシュトゥン人とは、多民族・多宗教国家のアフガニスタンで人口の4割強を占める民族であり、同国では東部に多い。 19世紀末に大英帝国が民族分布を無視してアフガニスタンとパキスタンの間に境界線を引いたため、パキスタン西部にもパシュトゥン人地域が広がる。住民だけでなくタリバンのような勢力も、簡単に国境を越え行き来してきた。 アフガニスタンの農村社会では、男性優位の家父長制的な秩序が続いてきた。政府の力は地方まで届かず警察や行政が頼りにならない。人々をつなぐのは地縁、血縁、そして部族の輪だ。もめ事が起これば、部族長や村の長老ら男性陣が話し合う。 女性の役割は、家事と子育てに専念すること。自由恋愛などもってのほか。部外者を容易には信用せず、自衛意識が高い。一方、「客人」と一度認めれば、とことん大切にする義理堅さもある。 平たくまとめれば、こういうことになる。「女子供は家にいろ。結婚は家と家の問題だから相手は親が決める。何か起これば男衆と若衆が村を守る。物事は男衆の寄り合いで決める。客人は客間に通してもてなす。ただし台所には入れない」。私には、かつての日本の農村社会の価値観と大きな違いはないと思える。 そこに、復古的なイスラム解釈というもう1つの思想的な流れがある。 神の啓示が預言者ムハンマドに下ったのは7世紀。その後、各種の解釈や類推が積み上がり、多様な学派が生まれた。これらを離れ、教えを文字どおり受け止めて再現することを「シャリーアが支配するイスラム社会の実現」と考える流れだ。サウジアラビアなどで力を持ってきた。 79年のソ連軍のアフガニスタン侵攻以降、サウジアラビアはパキスタンやアフガニスタンへの支援を強化。難民キャンプなどに私立のマドラサがつくられ、そこにサウジアラビアなどからの資金と共に復古的なイスラム解釈が入った。 タリバンの創始者オマルは、世俗政府の打倒と既存の国境を超えた汎イスラム主義を訴えたパレスチナ出身のイスラム思想家アブドゥラ・アザム(1941〜1989)の影響を受けている。アザムはサウジアラビアの大学で教鞭を執り、ウサマ・ビンラディンの「師」となったことで知られる。 そしてタリバンは、母国サウジアラビアを追われたビンラディンを「客人」として受け入れた。客人ビンラディンは、タリバンの保護下で01年の米同時多発テロを計画した。さらに、隣国アフガニスタンに自国の影響下にある政権をつくりたいと考えるパキスタン情報機関も、タリバンを陰に陽に支援した。 ===== 復古的なイスラム解釈。伝統的な農村の価値観。これらに基づくタリバン流の統治は、地方部の男性にとっては違和感が少なく、むしろ「それが当然」とすら思う人も珍しくない。アフガニスタンで長年にわたり支援活動を続けてきた故・中村哲医師が繰り返し、「タリバンは狂信的集団ではない。少なくとも農民・貧民層にはほとんど違和感がない」と語ってきた理由は、ここにある。 だがタリバンが自らの価値観を都市部でも強要すれば、何が起きるか。カブールなどの大都市では、さまざまな少数民族やイスラム教シーア派をはじめとする少数宗派の信者が集まる。さらにキャリアを通じた自己実現と家庭生活の両立を求める女性や、留学や外国生活を経験し社会の近代化を目指す人も多い。 一方的な価値観の強制は、当然ながら反発を招く。服従させるための暴力が襲う。それが第1次タリバン政権時代に起きた悲劇であり、いまカブールの人々を包む恐怖心の源だ。 タリバンは「外国の占領軍と闘う解放軍」というナショナリズムの要素も帯びていた。誤爆の被害や文化的行き違いからのトラブルが相次ぐなか、アフガニスタンの多くの人は米軍を「解放軍」ではなく、「占領軍」と見なした。 アフガン人には、これまでイギリスやソ連といった列強の侵攻をはね返して敗退させたという、民族の枠を超えた独特のナショナリズムがある。国際政治の世界でアフガニスタンは「帝国の墓場」と呼ばれてきた。 日本はアフガニスタンで、奇妙な親近感を持たれてきた。現地で「日本は私たちと同じ年に独立を果たした兄弟国だ。発展した日本を尊敬している」と笑顔で声を掛けられた日本人は、私だけではない。アフガニスタンは確かに1919年に英軍に勝ち独立を果たしたが、日本はそうではない。しかし、アフガニスタンではなぜかそう広く信じられ、日本に親近感を感じると同時に自らの独立を誇りに思う気風がある。 「占領軍」が支えたアフガン政府は、かつての軍閥の集合体だ。相互対立や悪政などでタリバン躍進の原因をつくった軍閥が、新政府の座に就いても腐敗体質を維持し続けていた。 アフガン政府軍には、帳簿の上にしか存在しない多くの「幽霊兵士」がいた。タリバンとの戦闘を恐れて逃亡した兵員をそのままカウントしたり、最初から実在しない人員を書類上で偽造したりした各地のボスや役人たちが、アメリカなどから注ぎ込まれる資金を懐に入れていたのだ。こんな状況下でタリバンは、地方部を中心に再び支持を集めていった。 ===== 女性の権利は守られるのか(8月23日、カブール近郊のバザール)MARCUS YAMーLOS ANGELES TIMES/GETTY IMAGES タリバンが会見で語った「シャリーアの枠内で権利を尊重する」という言葉。シャリーアとは、イスラム法を意味する。イスラム法は日本の憲法のように条文ごとにまとめられたものではない。聖典コーランと口伝などで伝承された預言者の慣行(スンナ)、これらを踏まえたイスラム法学者の類推や解釈、合意などを含む幅広い知的体系であり、イスラムを学ぶ上でも実践する上でも欠かせない要素だ。 タリバン幹部は英メディアに、女性に対して頭からすっぽりとかぶり全身を覆う「ブルカ」の着用は強制しない、と述べた。ただし今後も、髪を覆う「ヒジャブ」は義務とした。20年前、タリバンは「ブルカは義務」と主張していた。タリバンの言う「シャリーアの枠」が、この20年で変化したということだ。 聖典コーランに「顔を隠せ」「ブルカは義務」と直接、女性に命じる部分はない。 ヒジャブの根拠とされるものの1つはコーラン24章31節。岩波文庫の井筒俊彦訳では「外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう」となっている。別の和訳では「胸の上にベールを垂れなさい」となっている。翻訳の段階で原文の解釈が加わり、表現も変わっている。 啓示をどう読み解くか。コーランのほか、預言者ムハンマドはどんな規範を示したのか。それらから何が類推できるのか。解釈は1つではない。人によって社会によって時代によって「シャリーアの枠」は変わるのだ。 イスラム教徒の女性でヒジャブをかぶる人は多い。エジプトでは大きなスカーフを巻いて顔を出すのが主流だし、サウジアラビアでは目だけを出すニカブ姿の女性が目立つ。中東の女性がブルカを着用することは、まずない。だから90年代、タリバンのブルカ強制には中東からも「あれは地域の慣習でイスラム教徒の義務ではない」と批判が出た。 実際にこの20年で、タリバンはカタールに政治事務所を開設し、日本を含む各国を訪問。アメリカとも長期にわたり交渉し、国際社会と接触する経験を積み重ねてきた。 96年にカブールを制圧したときのタリバンは、山村や難民キャンプから出てきた、野武士のような「イスラム戦士」集団だった。「イスラムは正しい教えなのだから、(自分たちの解釈する)イスラムに従えば全てうまくいく」という、ある種のユートピア主義で理念先行の部分があった。 今度はそこに、国際経験と広い見聞が加わった。「タリバン2.0」という表現も各国のメディアで使われ始めている。しかし、会見で報道官は「シャリーアの枠内」の具体的な規範を、ほとんど示さなかった。女性の権利などでシャリーアの枠をどう判断するかについて、タリバンとそのイスラム法学者が解釈を独占することには、変わりなさそうだ。 ===== タリバンは米軍の協力者らに対する報復はせず「恩赦を与える」と会見で発表したが、アフガン西部でドイツ国際放送の記者の家族が殺害される事件が起きた。アフガニスタン国営放送の女性キャスターが、局内への立ち入りを拒否されたとSNSなどで訴えている。女性向け広告のポスターが塗りつぶされるといった例も報告されている。 タリバンは「2.0」にバージョンアップしたのか。それとも再び、地方で支配的な価値観を全国民に押し付けるのか。そのとき、国民と国際社会はどう対処するのか。 タリバンはこの20年、「テロ勢力」としてアフガニスタンで選挙から排除されてきた。タリバン自らも選挙参加を「外国の傀儡になる道」と拒否し、有権者への攻撃を繰り返して選挙を妨害してきた。 タリバンは自由選挙を含む、いわゆる民主主義の導入を否定している。しかし、どんな政権も永遠には続かない。選挙がない限り、いずれ人々が政権を変えようと思えば、力で対抗するしか道は残らない。そのとき、どれほどの血が流れるのか。90年代にタリバンが攻略できなかった北部パンジシール渓谷に反タリバン勢力が結集しているといい、戦乱の芽は、既にある。 タリバンは「権力は独占しない」とし、ハミド・カルザイ元大統領らと会談。政権づくりを急いでいるが、一方で「シャリーアの枠内の人権」といった社会像以外の具体的な政策や方向性をほとんど示していない。 世界のアヘン供給量の8割を占め、タリバンの財源と目されるアフガニスタンでのケシ栽培と麻薬密輸をどうするか。国連薬物犯罪事務所(UNODC)の推計では、麻薬関連がアフガニスタンのGDPの1割を占めるという。 女性や少数民族の人権状況に疑義がある上、麻薬密売に関わっているとされる政権と関係を持つことは、各国と企業にとって受け入れ難い。一方で、20年にわたりアフガニスタン支援などの形で関与を続けてきた日本と国際社会は、今の情勢に一定の責任がある。 タリバンは8月24日、医師やエンジニアなど高度な専門知識を持つ人々の流出に強い警戒感を示し、「アメリカが専門技能者を出国させている」と非難した。私が01 年に出会った16歳の少女は、医師になったのだろうか。国外に出る飛行機に乗ったのだろうか。 (筆者はバズフィード・ジャパン・ニュース編集長。朝日新聞記者時代にアフガニスタン、イラク戦争を取材。中東特派員、ニューデリー支局長などを経て18年にバズフィード・ジャパンに入社、20年より現職) ▼本誌9月7日号「テロリスクは高まるか」特集では、米軍撤退目前に起きた空港テロが意味するもの、アメリカの対テロ戦争は20年前の振り出しに戻ったのか?を様々な角度からリポートする。